第29話 力を貸して

 あまりにあっけなく十七層を踏破してしまった。


 人は上手くいきすぎると不安になるもの。階段を前にして微妙な空気が漂う。


「罠があるわけでもないんだろう? 油断せず落ち着いて行こう」


 ガライが堅実な指示を出すと、ユーゴが待ったをかけた。


「あっ、ちょっと待って」

「ん?」


 階段に足を掛けかけた【月下の腕輪】が立ち止まる。ユーゴはガライに大きな袋を渡す。


「これお昼ご飯。今日はピラフとポテトサラダにしてみた。階段降りたら先に食べてて。俺はちょっとヤボ用に行ってくる」

「え? それくらい待つよ?」

「いやいや。新しいフロアだし偵察の時間もいるでしょ? 俺はついて行くだけなんだし、周りの様子を見ておいてよ」


 確かに一旦休憩するにはキリのいいところだ。ヤボ用というのは俗に言うお花摘みと同じ意味。男が花を摘むのも……ということで色々と言い換えられているうちの一つである。


「わかった。気を付けて」

「うん」


 クラウの実力は散々見せつけられている。そのため特に心配することもなく、【月下の腕輪】は階段を下りていった。


 ユーゴはクラウと二人きりになった。クラウは心配そうに表情を曇らせユーゴを見る。ユーゴは普段ののほほんとした様子が嘘のように、陰鬱な顔をしていた。


「主」

「……うん。色々教えてもらううちに、何となくわかっちゃった」


 ユーゴはうつむいた。声が震える。


「クラウは最初からわかってたんでしょ? 俺が人間じゃないって」


 クラウはユーゴを抱き寄せる。ユーゴは抵抗せずクラウの胸に倒れ込んだ。


「俺のスキル。異世界チートじゃなかったんだ」


 最初は本当に気付かなかった。だが知識を得るにつれて、薄々感じていた。自分のこのスキルは、似すぎていると。


 構築で部屋を作ると上がるレベル。そのレベルをコストにする召喚。


 テリトリー化した範囲を感知する効果、内部の生き物からMPを奪取できる性質。


 アイテム生成で解体した皮は、ダンジョン産のように綺麗だと言われたし、ストレージに収納する時のエフェクトは、ダンジョンで死体が消える時とそっくりだった。


 認める勇気が出たのは、ガライが優しいことを言ってくれたからだ。


「召喚された私は、主の知識以上のことを知らぬ。ただ、主と私は同じ側だとは思っていた」

「やっぱり、そうなんだ」

「だが主が人でいたいと望むのなら、私はそれで良い。人間であろうがなかろうが、そんな区分けに意味はない。主が在りたいように在るのが私の喜びなのだ」

「……うん。うん、ありがと……」


 強く、優しく抱きしめられてユーゴは小さく肩を震わせる。ユーゴを抱え込んで、クラウがその髪に唇を触れた。そのすぐあと、頭にこつんと当たる感触にユーゴははっと体を離す。


「あぶな……っ!」


 前傾姿勢になったためにころりと落ちたクラウの首を、ユーゴが咄嗟に受けとめる。持ち上げて見れば眉をへにょりと下げて、口元をへの字に結んで顔は真っ赤だ。やってしまったと思っているのだろう。顔を隠すにはユーゴから手を離さなければならない。が、それもためらわれるのか、ユーゴの体に添えられた手がぱくぱくしている。


 ユーゴは思わず笑って、大事にクラウの首を抱きしめた。さっきとは逆の体勢だ。ユーゴの頬がクラウの額に触れる。


「はっ!?」

「もう、クラウってば。落っことしちゃ駄目でしょ」


 そのまま額にキスを落とすと、クラウの首がふるふるともがき始める。体の方は驚いたのか固まったままだ。


「こういうとこがポンコツだよね」

「わ、私は! 主が笑ってくれるのならそれで!」

「体張りすぎ。でも元気出たよ。ありがとう」


 目尻に残る雫を払って、ユーゴは軽く背伸びをしてクラウの首を元の位置に置き直す。


「で、奴らは今どこにいるの?」

「どうやら我々が通ったルートをたどっているようだ。もうフロアの中ほどを過ぎた」


 ユーゴが口実を作ってわざわざここに残ったのには理由がある。


 【深闇の狩人】が追いついてきたら教えて。ユーゴはクラウにそう頼んでいた。クラウは【月下の腕輪】を誘導しながら、ザマロたちが十七層に到着したことを感知し、ユーゴに報告したのである。


「人が掃除したあとをついてくるか……」


 目的地が同じなので、それが一番楽な方法ではある。先行したアドバンテージはほぼ埋められてしまった。上手い手と言えよう。とはいえ、やっているのが敵なので腹も立つ。


「まあ、ここから先はそう簡単にはいかせない」


 ユーゴは今しがた通ってきた通路を見据えて口の端を上げた。このまま楽々と【深闇の狩人】についてこられてたまるか。


「ご命令とあらばすぐに始末するが?」

「ごめん。さすがにまだその覚悟はできてない」


 ユーゴはる気満々のクラウに手を合わせて謝った。どうやら異世界に来て人間ではなくなってしまったようだが、ユーゴの意識は日本人のままだ。積極的に人を殺すのは抵抗がある。だから。


 ユーゴは一つ深呼吸をして足元を見た。


 ごめんね。君を利用することになって。でもダンジョンを潰そうとするあいつらは、君の敵でもある。驚かせるだろうけど、手伝ってほしい。


「力を借りるよ――テリトリー化!」


 ユーゴは階段の前に立ち、己の領域を生成する。


 その瞬間、ダンジョンが震えた。を感知したのだ。


 ニムワーが、ポーラグが。出会わなかった別の魔物が、敵を排除するため一斉にその場所へと走り始めた。咆哮と足音が、わんわんと反響しながら近づいてくる


「主!」

「なるべく倒さないで。戦力を減らしたらもったいない。クラウならできるよね?」

「当然だ。私は主の守護者ガーディアンだぞ」


 クラウはどこか誇らしげに笑い、一番乗りで駆けつけたニムワーを大剣の腹ではたき飛ばした。

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