第26話 それもまた地獄
バルナバスはもう口をきく気力もなかった。
ダンジョンに入って三日。バルナバスはすでに現在地がわからなくなっている。【深闇の狩人】は十二層まできていた。
時折ザマロがパーティを離れ、また戻ってきてはメンバーに指示を出す。
「どうっすか、ザマロさん。あいつらは」
「そろそろ追いつく。セーフルームに残った痕跡からすると、楽しく探検してるみたいだぞ」
「なんすかそれ」
「菓子の甘い匂いが残ってやがった」
「けっ。これだからお嬢様はよ」
それを聞きながら、バルナバスはもうすぐリースエルに会えるとぼんやり思う。戦闘が始まれば巻き込まれないように、治癒師の半歩後ろで縮こまってやりすごす。
それでもたまに流れ弾に当たることがある。治癒師は刺さった棘を抜くためにわざわざ傷口をナイフで広げて、楽しそうに悲鳴を聞くのだ。だが治してはくれる。だから逆らえない。
もう嫌だ。でもリースエルに会えば。彼女と一緒に帰れる。一人では帰れないが、彼女がいれば帰れるのだ。そのために自分はザマロたちについて行く。
バルナバスは整合性のない都合のいい妄想にすがる。そして倒れるようにセーフルームの床に転がった。眠ってしまえば痛い目にも怖い目にも合わずに済むのだ。
そして時間がたち目が覚めた。起きないと蹴られる。いきなり水で戻した保存食を口に突っ込まれたりする。喉が詰まりそうになると、それを見て奴らはまた笑うのだ。
今日は何もされない。
不思議に思って体を起こすと、誰もいなかった。荷物もたき火も何もない。呆然として、やがてその意味を理解し始める。
バルナバスの絶叫が薄闇に響き渡った。
眼前には毛むくじゃらのゴリラのような生き物。肩も腕も筋肉が盛り上がり、突き出し気味の下顎から上に向かって太い牙が見えている。ウィティゴと呼ばれる魔物である。
大盾を構えたクリフがその突進を受け止めた。押し負けていないあたりはさすが上級冒険者である。
この世界、魔物を倒して戦闘経験を積むほど強くなれるというのは常識だ。だがステータスの詳細を知る方法はなく、アイテムの鑑定はできるが人間の力量は量れない。ユーゴは自分のステータスを見ることができるが、おそらく他の人間や魔物にもレベルやMP、スキルなどのデータはあるのだろう。
クラウの数値なら見れるような気がするが、召喚コストがレベルだと知ってからは、何だか見るのが怖くて確認していない。
一緒に出てきた三つ目の猿・エンバリスは、リースエルが相手をしていた。多少の知能があるらしく棒を振り回しているが、リースエルはそれを受け流し細身の剣を容赦なく突き込む。
前衛にはすでにマリアから防御魔法がかけられており、ハーリーは短弓から矢を放って牽制に努めていた。
その間に主砲であるガライが魔法の準備を終える。詠唱が終わるのを見計らって、リースエルとクリフが魔法の射線を開けるよう動いた。タイミングを逃さず、ガライの杖の先から雷撃が走った。それは過たずウィティゴと三匹いたエンバリスを行動不能にする。あとは止めを刺して終わりだ。
「ふう」
リースエルが額の汗を拭うと、すかさず熱いおしぼりが出される。
「あ、ありがとう……」
戸惑いながらユーゴからそれを受け取って、リースエルは顔と手を拭いた。見ればクリフはレモン水をもらって喉を潤している。
「あの、ええと、ユーゴ」
「何? ガライもなんか飲む? 熱いの? 冷たいの?」
「……冷たいお茶を」
「おっけー!」
目の前に差し出されたコップを手に取り、ガライはがっくりと肩を落とした。
「駄目だ……どんどん駄目になっていく……」
「わたくしもよ、ガライ……」
「まあ人間堕落しやすい生き物ですからね」
そう嘯くハーリーの口の端からは、ロリポップの柄がのぞいている。
「あたしもうユーゴのいない探索に耐えられないかも」
マリアは胸に愛らしいテディベアを抱いていた。
可愛いもの好きの彼女は、自室に山ほどぬいぐるみをコレクションしている。もちろんダンジョン探索に持ってこれるわけがない。寂しくなって何気なくぬいぐるみを抱っこしたいとこぼしたら、出てきたのだ。手触りは最高で、それ以降手放せない。
「だって見張り免除で荷物持ってついていくだけなんだし、これくらいはサポートしないと!」
ユーゴはニコニコとそう言ったが、彼のマジックバッグには一体何がどれだけ入っているのか。ダンジョン探索で贅沢を覚えるとかあり得ないが、【月下の腕輪】は自分たちがみるみる深みに落ちていくのを自覚していた。
「なあ、ユーゴ。あまり僕たちを甘やかさないでくれ」
「ええ? でも俺他にやることないし」
申し訳なさそうにそう言われると、強くは言えない。ハーリーの言う通り、人間は快楽に弱い生き物なのだ。
「ただでさえ気が急く探索だろう? 少しでもリラックスしていいコンディションでいてもらわなきゃ」
「ユーゴ」
「この恩は忘れません」
思わず涙ぐむ一行。ユーゴが褒められているのでクラウの機嫌もいい。最善の状態で探索が進んでいる。多分。
「【深闇の狩人】は十八層まで行ったことがある、か」
「本当かどうかわからないよ。寝言みたいなもんだし」
あれは寝言ではなく睦言が正しい。
「それでも重要な情報だよ」
ガライは空になったお茶のコップをユーゴに返しながら笑った。
「彼らが行けたのなら、僕たちも行けるってことだからね」
おう、と他のメンバーも力強く頷く。実力的にあちらに負けているとは誰も思っていないのだ。
「最強のサポーターがついてる。必ずコアにたどり着くぞ!」
気勢を上げた【月下の腕輪】一同は順調に進撃を続け、十四層の自己記録を更新し十五層に到達した。
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