第25話 【深闇の狩人】2
洞窟のように見える通路は、不思議と足元は平坦にできている。ところどころデコボコしていたり段差もあるが、おおむね歩くに困るものではない。
「疲れたのヨン……」
誰も答えない。
「足が痛いのヨン!」
怒鳴る声に反応したのか、壁から細い紐のようなものが飛び出し、バルナバスの首に巻き付く。それは舌だ。べちょりとした粘っこい感触とひんやりとした温度にバルナバスは悲鳴を上げた。
白刃が閃き、舌を叩き切る。舌の根本……保護色で壁と一体化していたシャドウフロッグが飛び出してくる。押し倒されたバルナバスが絶叫した。その首元に剣先が突き付けられた。シャドウフロッグの頭を貫いた剣が、下にいるバルナバスのギリギリ手前で止まっていたのだ。
バルナバスは震えて声も出ない。
「うう……」
「お静かに、若様。でないとこうなりますので」
薄い唇を吊り上げてバルナバスを見下ろし、ザマロは剣を引き抜いた。戦士の持つ剣とは違う片刃のショートソード。薄い刃は切り裂くためのもの。ザマロは斥候職だが、この程度の魔物ならいくらでもあしらえる。
戦士がバルナバスの上からシャドウフロッグの死体を蹴り落とす。
「ボ、ボクが疲れたと言っているのに無礼なのだヨン!」
「知らんな。勝手についてきたのはお前だろう」
歯牙にもかけない態度に、バルナバスは目を吊り上げる。
「ボクをちゃんと守るのだヨン! ボクに何かあったら父上が許さないヨン!」
「さあ、どうでしょうね?」
薄笑いを浮かべる男たちにバルナバスは青くなる。
彼らの目的はダンジョンコアの奪取。そのまま奪ったコアをヘズッハ伯爵のもとへ届ける。それが今回の依頼だ。子息のお守りは含まれていない。
「か……帰るのネン! 引き返すのヨン!」
「ご自由に」
「は……?」
「それで計画が間に合わなくなったら、伯爵のお怒りを買いますのでね。我々は先に進みます。お一人でお帰り下さい」
ザマロは歩き出す。まだ中層。【深闇の狩人】にとって緊張するような階層ではない。だから若様の戯言にも丁寧に答えてやっているのだ。
バルナバスは呆然とする。父がアージン子爵領のダンジョンにザマロたちを送り込んでいるのは、自分のためだとばかり思っていたのだ。
婿選びの夜会でリースエルはガライに恋をしたが、バルナバスも一目見てリースエルを欲しくなった。高貴で美しい令嬢は自分にふさわしいと舞い上がった。だがダンジョンという資産を持つアージン子爵が彼女をさらっていった。
ダンジョンさえなければ、彼女は自分のものだ。
バルナバスはそう思っていた。父がエークのダンジョンを潰そうとしているのを知って、リースエルを取り戻してくれるのだと喜んだ。だから無理を言って使いの者に同行してきたのだ。
ダンジョンを崩壊させるのなら、中にいるリースエルを助けないといけない。バルナバスは白馬の王子よろしく、自分が彼女を救い出すのだと勇んでダンジョンへやってきた。
だがダンジョンを進むうちに不審を持った。ザマロたちの態度が、明らかにお荷物を見る目つきだったからだ。
転んでも手も貸さない。疲れたと言っても速度を緩めない。おぶってもくれない。辛うじてさっきのように魔物に襲われたら助けてくれるが、それもおざなりなものだ。
そして今、平然と置き去りにしようとしている。
「ま……待って! 待って欲しいのヨン!」
バルナバスは必死にザマロたちの後を追う。ダンジョン歩きの経験もなく、装飾向きの武装しかしていないバルナバスが、一人で帰れるわけがない。ザマロに戻る気がない以上、ついていくしかないのだ。
「おや? 帰らないので?」
見下す目に怒りが沸いたが、それよりも取り残される恐怖が勝った。一緒にいれば少なくとも命は守ってくれる。バルナバスはそう信じていた。
「リ、リースエルを助けなければならないのネン」
小さな声でバルナバスは呟いた。今はそれだけが心の支えだ。
「そうですね。男が決めたことならやり通さねばなりません。まあ若様もお疲れですし、今日はもうセーフルームで休みましょう」
パーティメンバーの男たちはニヤニヤ笑っている。ザマロはああ言ったが、もちろんバルナバスを気遣ったわけではない。最初からこの階層で泊まるつもりだっただけだ。
彼らは無知な貴族の坊ちゃんがどんな目にあうか、泣くか喚くか、どう哀れにすがってくるかを期待している。中身もないくせに偉ぶっているお貴族様だ。嗜虐心がそそられて楽しみでならない。
伯爵様からはバルナバスについて特に指令はない。下に弟君がいるそうだから、つまりそういうことだろうと彼らは理解していた。殺せとも言われていないが、死んだら死んだで構わないのだろう。
【深闇の狩人】は仕事の都合で邪魔になった冒険者たちや、気分で楽しめそうな相手を散々暗闇でなぶり殺しにしてきた。今になって忌避する理由はない。
「べたべたするヨン……」
バルナバスにはシャドウフロッグの粘液と血がまとわりついている。だがザマロたちは反応しない。臭いと思えば水くらいぶっかけるかもしれないが。
すすり泣きを噛み殺しながら、バルナバスは足を引きずってザマロたちの後をついていく。今が最悪だと考えながら。
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