117話―善と悪の天秤

「ぐぬ、おおお……」


 アゼルの放った一撃が、ズーロにクリティカルヒットした。呻き声を漏らしつつ、堕天神は数歩後ずさる。一気にトドメを刺すべく、アゼルは走り出すが……。


「これで、終わり……」


「そうはいかぬな。ワシはまだ、倒れぬよ」


 つい先ほど致命的なダメージを負ったのにも関わらず、ズーロはピンピンしていた。恐ろしいことに、もう傷が半分近く塞がりはじめていた。


「き、傷が! こんなに早く治癒するなんて……」


「ワシが司る神能は『豊穣』。その力を応用すれば、傷の治癒など楽なもの。一撃で死なぬ限り死なない。どうだ、恐ろしかろうよ」


「くっ、厄介ですね……」


「クホホ、これだけではないぞ。恵みの力を分け与えてやれば……ほら、弱き魔物でも強くなる」


 その言葉の後、地面から無数の木の根が出現する。根は魔物たちの身体に突き刺さり、大地に眠る養分を充填していく。強化された魔物たちは、一斉に門へ向かう。


「壊せ! 壊せ! 人間どもを守る門を壊せ!」


「む、これは……。さてさて、我ら五体で守り切れるか……面白くなってきたな」


 身体能力、知能共に格段に上昇したオークの群れを切り刻みつつ、ブラック隊長はそう呟く。アゼルはスケルトンたちの援護に向かおうとするも、ズーロに阻まれる。


 連携を阻止し、数の暴力で強引に防衛ラインを突破させようという魂胆なのだろう。騎士たちはまだ治療を終えておらず、戦える者は少ない。


「さあゆけ、魔物たちよ。ワシの撒いた種の導きに従い、滅ぼすのだ。大地の民に芽生えた、悪しき可能性の芽を」


「悪しき可能性、ですか。カルーゾもベルルゾルクもあなたも、随分とぼくたちを嫌っていますね」


「それも仕方あるまい。ぬしらは、神に管理されてこそ意味がある。ワシらの手から離れれば、何をしでかすか分からぬ。人は簡単に忘れる。神の威光を、善き者としての振る舞いを」


 地中から生やした木の根を鞭のように振るい、アゼルへ腰掛けながズーロはそう口にする。人は神に管理されていなければならない。そこから外れれば、悪に堕ちる。


 それが、ズーロの懸念だった。悪に染まり、制御出来なくなった者たちが何をするのか。それが分からないという恐怖が、彼をカルーゾに思想に共感させたのだ。


「確かに、そうですね。でも、神の管理から外れたからといって全ての人が悪に染まるわけじゃない! 戦技、フローズンブラスト!」


 ヘイルブリンガーを振り回し、木の根を粉砕しながらアゼルはそう叫ぶ。彼は知っている。世界には、悪人しかいないわけじゃないことを。


 弱き者に手を差し伸べ、救い上げ共に歩むことが出来る者が多くいることを。アゼル自身が、そうした者たちに救われたのだから。


「さあ、どうかな。ワシはこれまで、数多の大地を見てきた。廃棄された大地の住民たちはみな、誰も彼もが粗暴で野蛮な者たちだった。そのような者たちが、神を越える可能性に目覚める……そんなことはあってはならぬのだ!」


「ズーロ、あなたは先入観に囚われている。あなたの言うように、どうしようもない悪人も、確かに多くいます。でも……それ以上に、他者を思いやれる善人もいるんだ!」


「善人か。善人の定義など、ワシからすればただ一つ。神に従い、支配される者だけだ! スティング・ストーム!」


 アゼルの言葉を振り払うように、ズーロは木の根を束ね巨大な槍を作り出す。そして、門目掛けて槍を発射しつつ、自身も走り出した。


「こ、こっちに来るぞ!」


「まずい、このままだと門が!」


「人など、所詮己のことしか考えぬ者どもに過ぎぬ。見よ、あの騎士どももお前を見捨て逃げ去るだろう。窮地を救われた恩も忘れてな」


 人の醜さを見せ付けてやろうと、ズーロはわざと騎士たちを狙ったのだ。アゼルが加勢出来ないよう、自身も突撃して怒涛の攻撃を叩き込み、身動きを封じる。


 ズーロの経験則では、この状況に追い込まれた者たちはみな守るべき者を捨て、一目散に逃げ出すのが常だった。だから、今回もそうなると思っていた。――が。


「こうなったら……! お前たち、まだ治療は終わってないがやれるな?」


「はい! アゼルさんに助けてもらったんだ、今度は俺たちの番です!」


「よし、全員構えろ! 防御魔法、グランドウォール!」


 騎士たちは一人として逃げることはなく、治療中の者すらもアゼルのために立ち上がる。一列に並び、全員の魔力を合わせ巨大な障壁を作り出して槍を防いだ。


「バカな!? 何故逃げない! その壁が砕ければ、門もろとも貫かれ死ぬだけだというのに!」


「うるせえ! 俺たちにだってな、矜持ってもんがあるんだよ! アゼルさんが戦ってるんだ、俺たちだけ逃げるわけにはいかねえんだ!」


「そうだそうだ! ここで逃げたら一生意気地無しって笑われちまうよ。俺たちじゃ、確かに神になんて勝てないさ。でも、アゼルさんがお前に勝てるように助けることは出来るんだよ、クソッタレ!」


 ズーロの叫びに、騎士たちは額に汗を浮かべながらそう叫び返す。弱き者にも、覚悟はある。誰かを守りたいという、強い想いがあるのだ。


 全ての人がみな、悪人というわけではない。永い間、伴神としての職務を行う中で、悪人ばかりしか見てこなかったズーロはそのことを忘れ去っていた。


「何故だ? 何故だ! 何故だ!? 分からぬ、ワシには……大地の民は、みな自分のことしか考えぬ悪の徒のはず。それが、こんな……」


「ズーロ、今ならまだ間に合います。歪んだ色眼鏡を捨てて、ぼくたちを見てください。あるがままの、人の姿を」


 狂乱状態に陥り、めちゃくちゃにステッキを振り回すズーロに対し、アゼルは説得を試みる。まだ、改心させられるチャンスがあるかもしれないと。


 だが……。


「もう、遅いさ。今さら、信念を変えることは出来ぬ。ワシにとって、大地の民は悪だ。神の手で導かねばならぬ、暴虐の徒だ。そこ考えに、変わりはない!」


「そう、ですか。ならば……ぼくはあなたを倒す。守るべき人たちのために! チェンジ、重骸装フォートレスモード! 戦技……パワーゲイト・クラッシャー!」


 アゼルの声は届かなかった。ズーロは、己を変えることを拒んだ。ならば、アゼルがするべきことは一つ。――神を、討つことだけ。


 強固な全身鎧に身を包み、相手の攻撃を防ぎながらアゼルは前に進む。ヘイルブリンガーを振り上げ、力を込めて一気に振り下ろす。


「その程度、受けきってくれようぞ!」


「そうはいかない! このまま……あなたを倒す! てやぁぁぁぁ!!」


 ベルセルクモードの効果が切れる前に押しきるべく、アゼルは全身に力を込める。斧とステッキがぶつかり合い……仕込み刃にヒビが入った。


「なっ……」


「今だ! やぁぁぁ!」


「ぐはっ……」


 勝機を逃すまいと、アゼルは一息にヘイルブリンガーを叩き込む。ステッキが砕け、神殺しの一撃がズーロの身体を両断した。


 豊穣の力をもってしても、身体を真っ二つにされてはどうにもならないらしく、ズーロはその場に崩れ落ちる。


「無念……。だが、槍は止まらぬ。お前の仲間たちは……死ぬのだ、ここで」


「そうは……うっ!」


 即座にきびすを返し、騎士たちの元へ向かおうとするアゼル。だが、間の悪いことに、ベルセルクモードの効果がここにきて消えてしまった。


 体力が尽き、アゼルは動けなくなってしまう。騎士たちが作り出した障壁も、もう限界を迎えておりいつ壊れてもおかしくない状態だ。


「くっ、魔物どもめ……まだ沸いてくるか! これでは救援に行けぬ!」


「グギィッ!」


 ブラック隊長たちは魔物の処理に追われ、とてもではないが槍の対処をする余裕がない。そうしているうちに、ついに障壁全体に亀裂が走り……。


「ダメだ、もう持たない……!」


「ここまで、なのか……」


「そーはいかないよ! そぉーれっ、お菓子になっちゃえー!」


 その時、騎士たちの背後からなんとも気の抜ける声が聞こえてきた。それと同時に、槍が弾け、大量の飴やチョコレートへ変化して地に落ちる。


 アゼルを追って単独行動していたメレェーナが、ようやく追い付いたのだ。腐っても神なだけはあり、間一髪でアゼルたちを窮地から救ってくれた。


「貴様……メレェーナ……か。裏切り者め、大地の民につくのか……」


「ごめんね、おじーちゃん。もう、そっちには戻れないの」


 メレェーナはアゼルの方へ近寄り、虫の息となったズーロへそう声をかける。仲間を裏切ったことに後ろめたさを感じているらしく、声に元気がない。


「よい。元々、お前がカルーゾ卿の思想に共感していないことなど、みな分かっていたよ。いつかは離反するだろうと思っていたが、このタイミングだとはな……」


「あ、バレてたんだ……」


 そう言った後、今度はアゼルの方へ顔を向ける。そして、自身を倒した強者に最後の言葉を投げ掛けた。


「……アゼルと言ったな。悔しいが、ワシの完敗だ。何もかも、全て……敗れたよ」


「ズーロ……」


「見せ付けられたよ、君たちの強さを。大地の民も……悪しき者ばかりではないと、身をもって教わったよ」


 そう言うと、ズーロは微笑みを浮かべる。大地の民はみな、邪悪な存在だという固定観念を打ち砕かれ、憑き物が落ちたのだろうか。


「最後の最後で、ワシの懸念は晴れた。大地の民にも……善き者はいる。それを知れたのなら……こんな死に方も、悪くは……ない、なぁ……」


 そう呟いた後、ズーロは息絶えた。安らかな笑みを、顔に浮かべたまま。アゼルはそっと相手のまぶたを閉じてやった後、黙祷を捧げる。


「……ゆっくりおやすみ、ズーロ」


 一つの戦いは終わった。しかし……。


「なんダ、全然ダメじゃないカ。一人は裏切リ、一人は犬死ニ。何の役にも立たないとハ、がっかりだヨ」


 空間に開いた亀裂の中から、息つく間もなく次なる敵が姿を現す。神の肉体を得た、大魔公……ジルヴェイドが。


「やはり私でなければならないようだネ。さア、全員ここで殺してあげるヨ」

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