36話―影に潜む牙の気配

「出ろ、犯罪奴隷ども! イスタリアから教戒師の先生が来てくださったぞ、自分の罪を懺悔ざんげしろ!」


 夕方、アゼルが授業を終えた頃。ヴェールハイム魔法学院から西へ二百キロ離れたリギド鉱山の、鉱夫たちが暮らす家屋の中でそんな声が響き渡る。


 リギド鉱山で働く鉱夫たちは皆、殺人や強盗、放火といった罪を犯した犯罪奴隷たちだ。己の罪を償うために、厳しい監督の元過酷な労働を行っている。


 その中に、かつてのアゼルの仲間の一人、ダルタスの姿があった。


「おいデカブツ、さっさと行けよ。ったく、図体ばかりデカくて物の役に立ちゃしねぇ」


「うっ、済まねえ……」


「ケッ、飯ばっか一人前に食うクセに作業はなんにも出来ねえんだもんな。とっとと隅っこに行ってろ、役立たず!」


 ジェリドの拷問で片足を不義にされたダルタスは、リギド鉱山においてはみ出し者の扱いを受けていた。何の役にも立たない穀潰し、ウドの大木、タダ飯食らい……。


 そんな罵倒を受けては、ダルタスは冒険者時代の栄光を思い出しては己を慰める日々を送っていた。自害防止の魔法により、舌を噛み切ることも出来ず、鬱屈した感情を募らせる。


「チクショウ……俺がこんな惨めな生活をする羽目になったのも、全部アゼルのせいだ! あいつさえいなけりゃ、俺は今頃……」


「うるっせぇぞ、そこの木偶の坊! 教戒師の先生が来るんだ、静かにしてろ!」


「うぎゃあああ! す、すみません……」


 奴隷たちを管理する守衛の電撃ムチが振るわれ、ダルタスに折檻の一撃が飛んでくる。他の奴隷たちが嘲笑うなか、ダルタスは部屋の隅で丸まり屈辱を堪え忍ぶ。


「全員、揃っていますかな。今月の懺悔を始めましょうか」


「お前ら、整列だ! 教戒師の先生に挨拶をしろ!」


「ハッ! 先生、こんばんは!」


 少しして、奴隷たちが集められた大部屋に一人の老人が入ってきた。グレーのローブで全身を覆い、長い錫杖と分厚い本を持った老人は、長い顎ヒゲを撫でつつ穏やかに笑う。


「はい、こんばんは。さぁて、今月の皆さんの罪を清め、償いをするお手伝いを……おや? すみません、少々お待ちを」


 奴隷たちに挨拶を返した後、老人は演説をしようとする。その時、懐に入れていた連絡用の魔法石が淡い光を放ち始めた。老人は一旦演説をやめ、魔法石を取り出す。


「はい、こちらマクスウェル。……ああ、なるほど。ここに例のアレが……。では、すぐに支度しましょう」


「先生、どうなされました?」


「守衛さん、申し訳ありませんがね……ここで死んでもらいましょうか」


「え……?」


 次の瞬間、老人――マクスウェルの影の中から一人の男が飛び出し、手に持った短剣で守衛の心臓を一突きし殺害した。奴隷たちは何が起きたのか理解出来ず、固まってしまう。


「バールヴァルディ、セルトチュラ様より伝令だ。例の末裔の少年の元仲間がここにいる。確保せよとのことだよ」


「ヘッ、楽ナ任務だゼ。ここニいるのハ丸腰の連中ばかリ。仕留めるノは朝飯前ダ」


「頼もしい限りだ。同じ『灼炎の五本槍』として嬉しく思うよ。それじゃあ、任務を遂行しようか」


 マクスウェルとバールヴァルディのやり取りで、奴隷たちは気付いた。自分たちの目の前にいるのは、あの悪名高きガルファランの牙の一員なのだと。


 殺害された守衛の血の匂いで正気に戻った奴隷たちはパニックに陥り、大部屋から逃げ出そうと一つしかない出入り口へ向かって走っていく。


「うわああああ! 逃げろぉぉぉ!!」


「俺はこんなところで死にたくねえ! どけええ!」


「ムダだってノにな。一人残らず、我ラが殺すのニ」


 バールヴァルディがそう呟くと、部屋の床や壁、天井から無数の影のツタが伸びて奴隷たちを捕らえてしまう。手足や胴、首を絡めて取られ、奴隷たちは動けない。


「バールヴァルディ、人相書の内容は覚えているね? ダルタスと言ったか、その奴隷を見つけよ」


「お、俺だ! そのダルタスは俺だ、ここにいるぞ!」


 一人ひとり検分しようとしていたバールヴァルディに、ダルタスが必死にそう叫ぶ。それを聞き、影の暗殺者は懐から似顔絵が書かれた紙を取り出す。


「ふーん、確かニ人相書と同じ顔ダ。自分かラ名乗り出るとは、いイ心掛けだナ。マクスウェル、もう終わったゾ」


「おお、それはよかった。では、さっさと撤収しようか。イスタリア軍に駆け付けられても面倒だしね」


 バールヴァルディはダルタスの拘束を解き、肩を貸して部屋の外へ歩いていく。それを見た他の奴隷たちは、ホッと胸を撫で下ろす。


 このままいけば、自分たちは助かる、と。しかし、敵対者全ての根絶やしを掲げるガルファランの牙が、犯罪奴隷といえども生かして帰すことはない。


「ああ、すっかり忘れていました。ガズィーゴ様、お食事の時間ですよ。脂肪は少ないですが、食べ応えは抜群かと」


「メシ、メシメシメシメシメシメシメシメシメシ……クウ」


 マクスウェルが錫杖を床に叩き付けると、魔法陣が出現する。その中から現れたのは、小さな異形の竜だった。腹まで大きく裂け、無数の牙がデタラメに生えた口を持つ竜は、そう口にする。


「では、お食事をお楽しみくださいませ。我々は先に目的地へ向かいますので、後からついてきてくだされば結構ですから」


「メシメシメシメシメシ……」


「聞いていませんね。まあ、いいでしょう。お腹いっぱい、食べてくださいね」


 そう言い残し、マクスウェルは部屋を出て扉を閉める。直後、何かを貪る音と、奴隷たちのくぐもった悲鳴が扉の向こう側から聞こえてきた。


 錫杖の上部に付いた四つの鈴を鳴らしつつ、マクスウェルは廊下を進む。鉱山に勤務する守衛や事務員は皆、すでにバールヴァルディの手で始末されていた。


「さて、用も済みましたし目的地へ行きましょうか。例の末裔がいるヴェールハイム魔法学院へ、ね」


 そう呟き、マクスウェルは奴隷たちが暮らしていた宿舎を後にする。バールヴァルディと合流し、転移石テレポストーンを使ってどこかへと消えていった。



◇――――――――――――――――――◇



「ブヒッ。アゼルさん、聞きましたよ。生徒たちが大喜びしていましたよ。なんでも、手作りのタリスマンに、授業のご褒美としてペンダントも貰ったとか……」


「はい。基礎の魔法を行使するものなので、スケルトン一体を操るくらいしか出来ない簡単なものですが……喜んでもらえたなら、とても嬉しいです」


 リギド鉱山での異変など露知らず、授業を終えたアゼルは校長室にてセルベルとゆっくりくつろいでいた。大盛況だった授業の内容を知り、セルベルも満足しているらしい。


「それにしても、スケルトンとチャンバラですか。とても楽しそうですなぁ。どうでしょう、アゼルさん、次にやる時はワシも混ぜてくれませんか」


「ええ、いいですよ。でも、ご褒美が欲しいからって大人げない真似をするのはダメですからね、あくまで生徒さんたちへの授業なんですから」


「いえいえ、そこはちゃあんとわきまえていますよ。生徒たちがあまりにも楽しそうに話してくれるので、ワシも参加したく……ん? 誰か来たようですな。どうぞ」


 盛り上がっていたその時、校長室の扉がノックされる。セルベルが入室を促すと、三人の生徒が入ってきた。


「失礼します、校長先生。時期生徒会の予算編成についての資料が完成したので、お届けに参りました」


「ああ、デューラさんですか。遅くまで資料を作ってくれてありがとうございます。後でゆっくり目を通しておきましょう」


「そうしていただけると助かります。では……あら、例の英雄さんもいたの」


「こんばんは。一ヶ月の間、ここで代理教師を……」


 アゼルがそこまで言うと、デューラの取り巻き二人がズイッと割って入る。霧吹きで何かをシュッとアゼルにかけた後、汚らわしいものを見るような目を向けた。


「汚らわしい平民風情が、デューラ生徒会長に気安く声をかけるな。平民毒が移ったらどうするつもりだ」


「わぷっ、し、塩辛い……これ、塩水?」


「ヘドロじゃなかっただけマシだと思いなさい、平民。デューラ様、帰りましょう。ここにいると平民毒にやられてしまいます」


「そうね。じゃあ、また明日。アゼル先生? あっははは!」


 愉快そうに笑った後、デューラ一行は校長室を去っていった。呆気に取られているアゼルに、セルベルが平身低頭して彼女らの所業を詫びる。


「ああっ、申し訳ありません、アゼルさん。あの子たちは根はいい子なのですが、何分貴族としてのプライドが高く……平民出の生徒たちと、その……」


「あんまり仲が良くない、ということですね?」


「お恥ずかしながら……。ワシ含めた教師は、彼女ら貴族主義の生徒たちに毎日口酸っぱく注意しているのですが、なかなか上手くいきませんで……」


 セルベルの言葉を聞き、アゼルは考える。平民の生徒と貴族の生徒の間にある溝を、なんとか埋められないかと。子どもの頃から選民意識に染まってしまっては、どう歪むか分からない。


(明日、リリンお姉ちゃんたちにも相談してみよう。もしかしたら、いい案が出てくるかも)


 そう結論付けたアゼルだったが、この時の彼はまだ知らなかった。すでに、ガルファランの牙が刺客を送り込んできていることを。


 自分たちの知らないところで、恐ろしい計画が進んでいることを。

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