第二十一話 大漁

「春間、少しの間だけいい子にしててね?」

 そう言って、僕はこの子の手を放し、その場を後にしようとした。しかし、

「嫌だ」

 そう言って、春間が僕の服の裾を摘まんできた。

「僕もお兄ちゃん達と一緒に戦いたい」

その片方しかない瞳には、僕には決して表す事の出来ない

静かな強さが宿っていた。それを目の辺りにして、僕は思った。

 ――やっぱり、僕が無理矢理生かしている限り、ケジメと筋は通さないといけないのか。

 或いは当然かもしれないが、しかしこの子にはもう何の力も残されてはいないはずである。それでもこの子の力を借りる必要があるのであれば、この子がまだ戦えるのであれば、僕の応えは、

「解った。それじゃあ、おいで?」

「うん」

 僕は春間と手を取り合い、その合い言葉を口にした。

「最期の瞬間ザ・ファイナル!」

 今に思う。ここまで同じ呪文を口にして、果たして何が最期ザ・瞬間ファイナルなのだろう? と。

「錬磨様、大事な場面で申し訳ございませんが、一つよろしいでしょうか?」

「何? リリーちゃん」

「わたくしは、決してあなた方を死なせはしません」

 一拍の間を置き、リリーちゃんが瞼を閉じた。そしてもう一度ゆっくりと開き、

「この命、尽き果てようとも!」

 それと同時に、リリーちゃんは詠唱を始めた。

「愛する者への我が想いをお伝え致しましょう」

 ズキリッ。と、思わず身体が跳ね上がってしまいそうな鋭い痛みに襲われた。僕はこの魔法は何事かと思いつつ、リリーちゃんのほうへと向き直った。リリーちゃんは海ちゃんへと向かっていくその足を止めずに更にその詠唱を続けた。

美味しいお料理に忙しい掃除洗濯、そして何より、

 凄まじいオーラが溢れ出す。そのオーラは一切の穢れのないさらな白を表し、それでいて、或いはこの子の二つ名でもある『穢れし純白』に相応しく、指一本触れただけで汚れてしまいそうな、そんなオーラだった。

「わたくしの、偉大なる主として!」

「……へえ? そうか、キミにはまだそんな魔力ちからが残っていたのか。これは面白い」

「面白くなんかないよ! 少なくとも、僕はちっとも面白くなんかない。だってそうでしょ? どうしてこんなふうに戦わなきゃならないのかって、そんな事も解らなくて、気づけば後悔先に立たず後の祭り、そんなのおかしいよ!」

「おかしい、か」

 口元だけでふっと笑い、顔を伏せた。海ちゃんは、「では今一度聞こう」と言い、再び顔を上げ、そしてこう訊ねてきた。

「キミにとって本当に大切なのは、誰だい?」

「……」

 頭の中に、三人の顔が浮かんだ。

 自らその命を絶ったメリーちゃん。

 今も尚、僕の傍にいてくれるリリーちゃん。

 そして、

「……アリス……ちゃん……」

「それでいい。本当に、いい応えだ」

 それではそろそろ、僕も本気を出すとしよう。そう言って、海ちゃんは大きく息を吸い、あの時の華菜ちゃんのように――

「第二の輪廻の成功者……」

「青き大海原に浮かぶ一つの影」

 幾年の時を越え、今、僕を導く。さぁおいで。あの時僕の元へとやってきた、

「絶望の大鯨よ!」

 そう唱えた海ちゃんの背後に、言葉通り一頭の大きな鯨が現れた。その鯨は、まるで海ちゃんの声に応えるように、地鳴りのような大声を上げた。

「オォォォォォ」

「鯨、これがこの子の切り札」

「切り札だって? 勘違いはやめてくれ。こいつは僕の道具だ。最も、それはキミを倒すまでの間の。ね?」

 薄く微笑み、そして、「行け」と命令した。そいつは僕達に向けて更に大声を上げて襲ってきたので、僕達は慌ててその場を回避し、どうにか四方八方に避難した。だが、

「春間、みんな!」

 僕のその一瞬の隙が仇となったらしく、心なしか、海ちゃんは僕ではなく、僕以外のメンバーだけを集中的に狙っているようにも見えた。その鯨、あの子の切り札は、言葉面だけで表すならとても爽やかな水飛沫を、しかしとてもベトベトドロドロとしたその飛沫を、僕以外の全員が浴びていた。何が言いたいか? それは、

「振り向かないで! 大丈夫、僕達は平気だから、お兄ちゃんは目を放さないで勝負を続けて!」

 決して崩れることのないその微笑みは、しかし今だけは大きく、醜く、悲し気に歪んで見えた。いや、歪んでいた。

 ――春間、みんな……、

「……」

「どうしたんだい? 何だかさっきから覚束ないみたいだよ?」

「……そうかもしれないね。でも、僕は大丈夫。僕はこの戦いを勝ち抜く。そして――」

 大きく息を吸い、それを口にした。

「僕はアリスちゃん救う、救ってみせる!」

 かろうじて、まだみんなは生きている。だが、あの大鯨は、今現時点では僕にしか倒せそうにない。下手に向かって行けば、或いはこの僕も倒されかねないだろう。

「だから僕は、僕達はキミを、倒す」

「……どうやら今のキミになら出来そうだね? 最期の瞬間ザ・ファイナル超越えた、真の詠唱を」

 唱えてご覧。そう言って海ちゃんは右掌を僕達に向けた。すると、ドクンッ。と、僕の心臓が脈を打ち、それと同時に、

 ――これは、

 まだ誰からも何もされていないにも関わらず、僕の左手の紋章が明滅を開始した。それでも、何故だろう? 今に限っては、その明滅にい対して恐怖心は覚えず、むしろそれどころか身体の底から力湧いてくるようだった。

 ふと背後を振り向く。そして目の当たりにした。

 ――そうか、これが、

 ――これが、僕の力、なんだね?

 みんなから感じられるオーラ、その全てが僕のほうへと吸い込まれていった。それはまるで、或いは僕がこの子達の生命いのちを吸収し、それを自らの糧にしているかのような、そうも取れるものだった。

 あるところに一人の少年がいました。彼は友人が少なく、否、一人もいなかったそうです。毎日が退屈で、時折悪さもしたそうで、事ある毎に注意を受けては嫌気が差し、つらく、悲しく、息苦しく。けれどそれでも、懸命に生きていました――

 僕の口が勝手に開き、言葉を紡いだ。それはある意味で海ちゃんの言うように一つの詠唱といえるものだった。僕の口は言葉を紡ぎ続け、そして、

「――終幕ジ・エンド

 彼が出した決断、それはただ一つ、その答えがすべての引き金となりました。

「その引き金、それは気づかずとも周りにいた幾人もの仲間達だったのです!」

 僕は両手にありったけの魔力を込め、その腕を空へと向けてのばした。

そしてその魔力のすべてを引き出し、そこに一人の少女を召喚した。

「すべてを輝きへと導く使者・少女アリス。これが、僕の最後の切り札だ」

 彼女を召喚したことにより、僕の印の明滅は更に激しさを増していた。恐らく、これで敗北を喫すれば、言わずもがなな末路に辿り着くだろう。

「決着をつけよう、海ちゃん。いや」

 僕は大きく息を吸い、こう言った。

「その悲しい海から出よう」

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