第二十話 心海
海ちゃんから明言されたその試練の内容、それは、
『今からキミの意識を向こうに見える深い海の底へ沈める』
というものだった。
海の底に沈める。それはまさしく言葉通りだった。その証拠に、気づけば僕は深く青黒いどこか広い場所にいた。
――ここが、海ちゃんが言っていた……、
“深海”
僕以外は何も、そして、誰もいない。
真っ暗で青黒い、どこまでも広い海。
――まるで僕の心の中みたいだ。
そんな事を思っていると、どこからか誰かの声が聞こえてきた。どこかで聞き憶えのある、そんな事を思っていると、
「――」
この声は、まさか……、
「メリーちゃん、なのか?」
「――」
その声はゆっくりと近付いてくる。あの時、ある試練において僕達の為に自らが
犠牲になった少女。僕のもう一人のパートナーにして、今現在、僕のパートナーとして協力してくれているリリーの姉でもある少女。そして、
「もう、どこにもいない存在。僕の、大切な存在……」
「め……」
――いや、違う。こいつは、
――アリス、どうしてこいつが、僕の試練に?
――まさか、僕が本当に好きなのは、
「嘘だ」
アリスの姿を取った少女が僕の方へとゆっくり近づいてくる。しかし、僕の意識は
意思とは別にぼうっとしており、何の抵抗も出来ないでいた。
――って、これはいつも通りか。まぁそれはいいとして、
アリスは僕のすぐ傍まで寄ると、「ここは意識の海、あなたは現在、その最深部に
います」と言った。僕はそんなアリスに対して、内心で、「それくらい知ってるよ!」と反論した。アリスはその反論を察したらしく、「では続きを」と言った。
「あなたに与えられた六つ目の試練は、この《心海》から無事に浮上する事です。ですがあなたの意識は、今は私の手中にある。そんなあなたが、いかにしてそれから逃れるか。その思考が鍵となってきます。よろしいですね?」
そう言って、アリスは僕の頬を両手で包み込み、
「健闘を祈っています」
そう言って、僕に口づけをした。それは、或いは僕にとってのファーストナントカに等しいものだった。
――絶対に殺す。死んでも殺す。死ななくても勿論殺す。
改めて内心でそう決意を固めていると、
「うっ」
今回は左手に強い痛みが走った。ゆっくりとそちらへと視線を移してみると、そこ
に見えたのは、いつの間にか上書きされたその紋章だった。それは所謂白金《プラチ
ナ》の輝きを帯びたもので、正面を向いた少女の形を模していた。
――マジかよ? メリーちゃんの、紋章が。
「僕の……左腕が……」
しかしその痛みは一瞬にしてひき、気付けば僕はそこに立っていた。アリスが口に
していた水底だった。上を見る。まるで夜空のように真っ暗でどこか温かみがあり、
安心感があった。或いはこれが僕に与えられた本当の意味での試練なのかもと思い、
息苦しさも感じずにそのままどこへともなく歩みを刻んでいた。
「……」
――アリス、あいつは一体何者で、何が目的なんだ?
試練が始って何日が経ったのか、一体今が何時なのかも解らない。更に言えば、
脱落者が何人になってしまったのか……は、元々リリーちゃん達にしか解らないが、
それにしてもどこまでも深い海である。そう思っていると、今度はまた別の声がどこからか聴こえてきた。
「父さん見て、超大物だよ!」
――この声は、
辺りを見渡す。だがその声の主はどこにもおらず、首を傾げていると再びその声が聴こえ、そこでハタと気づく。
――ひょっとして、この声って、
僕の脳裏にある一人の少女と一人の男性の姿が映し出された。そう、海ちゃんだ。
そしてそのすぐ傍にいる男性は父親らしい。どうやらこの場所にちなんで釣りに来て
いるようだ。
「楽しそうだな?」
――僕はあまり得意じゃないけど。
まぁそれはいいとして、それじゃあこの記憶と今僕が受けているこの試練は、一体
どのような関係があるというのだろう? そう思っている間にも、記憶の回想はまだ
続いている。
「へへこれで父さんに追いついたね! よぉし、それじゃあどんどん釣って、今夜は
――」
そこで一旦記憶の回想は途切れ、今度は海ちゃんの声が僕の脳裏に響いてきた。
『人の記憶を勝手に覗き込むのはよくないよねぇ? まぁいいけどさ。それよりどうかな? 何かヒントみたいなものはあった?』
海ちゃんは愉快そうに笑っている。これだけなら普通の可愛い女の子なのに。実に
勿体ないと思いつつ、僕は海ちゃんにこう質問してみた。
「キミってお父さんがいたんだね? それもすごく仲がよさそうだ。いいね? そう
いうのって」
すると海ちゃんは、『でしょ?』と控えめに自慢しつつ、『私の自慢のお父さん『だった』んだ』と言った。
「そっか……え?」
――過去形?
「ごめん、『だった』って、どういう事?」
『言葉通りだよ? 私の父さんはこの時に死んだんだよ……私を庇って、波に攫われて。ね?』
怒りとも悲しみとも取れる、形だけだと僕でも解る笑い声が聴こえてきた。海ちゃんはそれだけその時の事を後悔し、自分を怨んでいる。何となく、そんな気がした。
「それじゃあ、まず一つ、キミに訊きたい事がある」
『何だい?』
僕はその内容を伝え、海ちゃんはその質問に対してこう応えた。
『僕は別に自分を怨んでいる訳でも後悔している訳でもない。ただ……』
ふふ。と、海ちゃんは小さく笑い、そしてこう言い放った。
『僕と父さんの最高の思い出を返してくれ! ……って、願うばかりさ』
それはある種で後悔などに当てはまると思うのだが、しかしこの子が違うというのであれば違うのだろう。でも、それでも、じゃあ何故今回の試練の担い手としてこの子が選ばれたのだろう? そんな事を思っていた。すると海ちゃんは僕の心中を察したかのようにこう言った。
『僕の父さんが水底に沈められた時の苦しさや冷たさをキミはどう思うか、そして、
残された者の身になった時、どう落とし前を取るか、僕はそれを見極める為に、キミを試させて貰ったんだ』
そして、僕が本当に心配をかけたくない人物、それが、
――アリス。
「だって言うのか? 海ちゃん」
『ああそうさ。何故ならキミは――』
『――』
「……っ!」
海ちゃんが口にした一言に、僕は衝撃を受けた。
――まさか、そんな。
「最期の
「……やっぱりね? キミなら戻ってくると思ったよ。渡良瀬錬磨君」
「まぁね? だって僕は――」
息を整えつつ、僕は海ちゃんにこう言った。
「あいつを、アリスを――」
――殺したかった。でも、それでも、この子から聞かされたことが本当なら、
「アリスちゃんを、助けたい!」
「よく言ってくれた。それじゃあ、その意思を称えて、僕も自分の正体をキミ達に教える事にしよう」
――来る!
海ちゃんの詠唱が始った。
見てよ父さん、これが僕達の海なんだね? ほら、こんなに青くて、こんなに鮮やかで、こんなにも、
「深くて広大な、僕の闇を!」
先程までの海ちゃんは消えていた。今現在の海ちゃんは、その身に纏ったワンピースこそ純白のままだったが、しかしその眼球は深い青のような黒のような闇色を模しており、瞳は小さく赤い。そしてその蒼白の面持ちに似つかわしくない鮮やかな紅色
の唇をグニャリと歪め、僕達を見つめていた。
「錬磨君、キミは現実世界では誰か意中の相手はいたのかい?」
「……いいや。でも、どうして?」
「それこそ、あのお方、アリス様が長年の間ご自身の想い人を探していらっしゃり、
僕達はその想い人、及びそれに相応しい人物を見定める為にこうしてそれぞれの形で
転生させて頂いたんだ」
海ちゃんは声なき声で小さく笑い、「それじゃあ、この第六の最後の試練といこうか」と言った。その途端、
「……げほっ!」
僕の隣にいたリリーちゃんが唐突に苦しそうな面持ちになった。それと同時に大量
の水――色からして海水だろうか?――を吐き出していた。その姿はこの上品な彼女
には似つかわしくないもので、リリーちゃんは必死にその醜い無様な姿を隠そうと両
手で口元を押さえていたが、それでもげほげほと耳障りな音を立てながら引っ切り無
しにそれを吐き続けていた。リリーちゃんの視線が僕に向けられ、それと同時に何か
テレパシーのようなものが伝わってきた。
『錬磨様、これは想定外でございます。これはわたくしめが想定していたものを遥か
に凌駕するもの。故に』
「ぐえぶっ!」
そうとう苦しいのだろう、その美しい目元からじわりじわりと涙を流していた。
――拙い、これはマジで拙い!
「和毅君、雄兎ちゃん!」
僕の呼びかけに二人はそれぞれの応答でイエスの答えをくれた。
――とは言え、
今の僕にはパートナーはおらず、春間は命が危ないと言われている為可能であれば
戦いには巻き込みたくない。
「リリーちゃん」
僕の呼びかけにリリーちゃんが苦しそうな眼差しを向ける。僕は彼女に、「ごめんね?」と言い、「少し、無理してもらうよ!」と言った。
「最期の
リリーちゃんに掌を向け、そう唱えた。それは所謂魔力解放の合図。要はどこぞで言うところの
そしてそれを受けて、リリーちゃんの姿が露わとなった。
「……やはり、この姿にならなければならないのですね? 錬磨様」
「ごめんね? リリーちゃん」
「お構いなく。ですがその代わり、誠に申し訳ありませんが、後程この代償はお受け
になって頂きます。よろしいですね?」
「解ってる」
「畏まりました。それではこのリリー、あなた様のご命令に従い、この身、この命、
お捧げ致しましょう」
リリーちゃんのその狂気の瞳が、僕に突き刺さった……。
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