第四話 最初の選択

「どうやらこの方、わたくしの上をゆくようね?」

 メリーは一度だけそう言うと、「少しだけ醜くなるけど、嫌いにならないでね?」

と言って、顔に着けたシルクの眼帯を外した。そして、「私のマスターにこのようなものを目の当たりにさせた事、すぐに後悔なさい!」と言って、その小さな身体から

ドス黒いオーラを露わにした。

「美しき者の条件はご存じで? それは一切の穢れなく、ましてや性の交じりなどの

ない事をさしております。けれどもそれもあくまで自らの事。愛する者の為ならば、

わたくしは幾らでも、あなた様の為だけにこの身をお捧げ致しましょう」

 まるであの時の少女のようにそう口にしたメリー。だが、

「ねぇマスター、こんな私でも、愛してくれますか?」

 僕の方を振り向いた彼女の顔は、皮が剥がれ落ち、眼球は丸見えの、本当に醜い顔

だった。

 それでも、僕の応えは決まっていた。

「……勿論だ」

「よかった」

 僕からの返答を貰ったメリーは呟くようにそう言って、もう一度巴というその子に

向き直った。

「《耽美》を名乗る者として、本当は不本意なのだけれど、今はどうこう言っていら

れる場合ではないから、ここは早急に終わらせないとね?」

 そろそろいい頃合いでしょ? そう言って、メリーはリリーを呼んだ。それに対して、リリーは「はい、お姉様」と応え、一度僕を放し、「お楽しみは、また後でね?

マスター」と、まるで挑発するかのような仕草でそう言い、そっとその場に座らせて

くれた。そして、

「美は穢れ、穢れは美、醜き者こそ美しく、美しき者こそ穢らわしい。さぁ、貴方の

その美貌は、強さは、果たして本物なのかしら?」

 詠唱のようにそう呟く彼女の姿は徐々に腐敗していき、最終的にはほとんど人の形を取らない何か、否、ゾンビに等しい姿へと変貌していた。

 ――まさかこの子達の正体がこんな醜いものだったなんて。

 そう思いながら僕はもう一度その子を抱き直し、「大丈夫だよ?」と自分にも言い

聞かせるようにそう呟いた。きっと勝てる。僕達なら、あの子達なら、きっと勝てる

と信じ、今は見守る事にした。

「そうか、お前達も禁忌の一手、最期の瞬間ザ・ファイナルを発動出来るのか。

なるほど、それは話が早い。ではこちらも遠慮なく本気を出させて貰うとしようか」

 聞け、我が血肉よ。聞け、我が身体よ。今こそ我が全てを以て、腐敗しようとも、朽ち果てようとも、我が目前に立ちはだかる者を抹消し、何もかもを奪い尽くせ!

 瞬間、先程まで馬鹿広かった――言葉の綾だ――はずの教室が、一瞬にして暗闇に

包まれてしまった。

「チッ!」

 まずはこの子を背負わなければ。そう思った僕だったが、その子に手をかけた瞬間何か違和感を覚えた。何かこう、とても細く、そして何よりも硬すぎる。まるで木の

棒でも握っているかのような……、

「……?」

 ――木の棒?

 ハッと思った僕は、すぐさまその子を抱き上げた。だがその手に感じられたのは、

少女の身体というよりは、むしろしょろりとした硬い何か、否、それは、

「嘘だ」

 先程のあの子は全身が白骨と化し、首、及び手足をだらりと垂れ、最早初めて出会

った時のあの幼く愛らしい姿はどこにも残ってはいなかった。

「ちょっと待てよ、一体何がしたいってんだ? どうしてこの子まで、誰か応えろよ

……応えてくれよ、なぁ!」

 不本意ながら、それが無意味であることは知っていた。知ってはいたが、それでも

僕は受け入れたくなかった。受け入れる訳にはいかなかった、受け入れてしまえば、

きっと、いや、必ず後悔する。そう思ったからだ。

「クソ、あいつら二人はどこに行きやがったんだ!? こんな大事な時にいなくなりやがって!」

 早く二人を探しに行かなければ。そう思った時、ふと、ある事が僕の頭を過った。

 ――元々あの子だったこの遺体は、果たしてどうすればいいんだ?

 或いはそのままにしてしまうのも一つの手段かもしれない。しかし、また或いは

……、

「いや、迷っている暇はない。ここにいて。絶対に迎えに来るから」

 そう言って、その場を離れようとした時、


「行かないで、置いて行かないで……」


 どこからかそんな声が聴こえてきた。

 ――まさか、この子、なのか?

 僕の足元に伏しているこの子が、僕にそう語りかけているというのか?

「もし本当なら、一体どうそれば……」

 連れて行くか、或いはそのまま置いて行くか。

「どうした! お前達の力はその程度のものか!」

 どこからかそのような声が聴こえてきた。これはどうやら先程の巴という子の声の

ようだ。

 ――クソ、一体どうすれば!

「オニイチャン……イカ……ナイデ……」

 その時、今度はハッキリとその声がそこから聴こえてきた。そう、やはり、

「キミ、なんだね?」

 そこにいたその子、否、その子だったそれが僕へと手を伸ばし、ない瞼から大粒の

涙を零していた。

「……そう、だよね? 約束、したんだもんね? 必ずこの試練を終わらせるって」

 ごめんね? そう言って、僕はその子を背負い直し、彼女達を探し続けた。

「クソ、一体全体どこにいやがるんだあいつらは!」

 そういえば、この闇を発生させたのはあの巴という少女だったが、今に思えばこの闇と試練は果たして一体どこにどのような関連性があるのか そう思った時だった。

「うっ!」

 ――な、何だ?

 唐突に頭痛を覚えた僕は、思わずその場につまずいてしまいそうになり、間一髪の

ところで踏みとどまり、再び歩みを刻んだ。


 どこまで行っても、どこまで走り続けても彼女達の姿は見当たらない。まさかとは思いつつも、しかしそんなはずはないのだと信じ、僕は更にどこまでも走り続けた。

そして、

「ここは、屋上?」

 例え夢とは言え、仮にも建物を想定したこの場所では変な展開ではあるが、しかしあくまでも夢なので、それは気にしないでおく。

 それより、今僕達の前で繰り広げられているのは、

「リリー、あなたはそちらをお願い、わたくしはあちらを担当致します!」

「はい、お姉様」

そこはまるで闇夜のような場所で、尚且つ空には大きな満月があり、それはあの時、

僕がリリーとメリーに出会った時の事を思い出させた。

「リリーちゃん、メリーちゃん、迎えに来たよ!」

「あらマスター、かなり遅かったのね? わたくし達、そろそろ限界なんですよ?」

「はい」

 正直僕にはそうは見えなかったが、しかし先程の頭痛といい、今頃になって現れた

極度の疲労感といい、もしかすると、或いは本当にこの子達のダメージの表れがそれなのかもしれない。

「なるほど、どうやらお前は試練の条件を一つは満たしたようだな?」

 ――何だって?

「条件って何さ?」

「そいつだ。お前が背負っている、そいつだ」

「この子の事か?」

「そうだ。言ったはずだろ? この試練は〈命の試練〉だと」

「それが、何さ?」

「選べ」

そう言って、巴はその右手を僕達に向けてきた。そして、

「そいつを切り捨てるか、お前自身が脱落するか。無論、この試練は現実世界においての両者生存は不可能だ。だからよく考えろ」

 ――そんな。

「ま、待ってよ、それって……」

「それとも、お前は忘れたというのか? 元々そいつは試練のルールを破ったうえで

命を落としている。ましてやその時点で参加資格である模様ですら失っているんだ。それにも関わらず、お前はその部外者をここまで連れてきた。故に本来であればお前

自身も失格の対象となるはずだったのだ。私の言っている言葉の意味、無論、理解は出来るはずだよな?」

「……」

 ――僕自身が脱落するか、或いはこの子を見捨てるか。

「そんな事……」

 ――そんな事……出来る訳ねぇだろ!

「最期の瞬間ザ・ファイナル!」

 そう唱えた途端、まるでどこぞの国の、所謂白夜という現象のように、仮にも真夜

中でありながらとても目映い光景へと変化していた。

「僕はこの子達と共にこの試練を終わらせると誓ったんだ。だから、悪いが誰の命も

奪わせない。少なくとも、この子だけは」

「……では仮にもお前はいかにそいつを蘇らせるつもりなのだ?」

 言うまでもない。内心でそう返答し、僕も僕で詠唱を始めた。

 さぁ、昼寝の時間は終わりだ。早く起きて、みんなで遊ぼう。

 余りにもダサすぎるかもしれないが、しかし年相応のほうが通じ易い場合もある。

だから僕はこれを選んだ。だから、

「頼む、頼むから、起きてくれ……」

 締め付ければいとも容易く砕けてしまいそうなその人骨を抱き締めつつ、僕は心底そう願った。

「無駄なあがきを。なんとも愚かしい」

「うるせぇ、テメェに僕達の何が解る! 勝手にこんなのに参加させやがって。何が

〈命の選択〉だよ。ふざけんじゃねぇってんだ!」

 いつまで経っても変化が現れない。流石の僕でも、まさかもう無理なのか? と、諦めかけたその時、

「っ!」

 先程まではピクリとも動かなかったその両手が僕の頬に触れ、その頭から首、手から全身にかけて淡い光に包み込まれていった。

「まさか、やった、のか?」

僕の願いは、しかし完全なものではなかった。

「オニイチャン、アリガトオ……」

左半分の愛らしい面持ちとは裏腹に、右半分の肉の露出した瞼と眼球のない面持ち。

少女は曖昧な姿で蘇ってしまったのだ。

「……ごめん、ごめん、ごめん!」

 ――本当に、ごめんっ!

 息苦しくなるまで、僕は泣き続けた……。

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