第40話 残り二十四時間と結果



 ――翌日の夜。



 七瀬は昨夜と同じく家のベランダに居た。

 だけど今日は一人ではない。隣には担当がいてベランダの手すりに身体を預けて二人横並びになって夜景を見ていた。


「あれで良かったんですか?」


「勿論。確かにあれは殆ど私が書いた作品と言えます。だけど骨組みさえあれば後はそれを全て呑み込んで自分の作品にしてくれると信じてましたので」


「主人公の影の薄さが最後になくなった。その為か作品に対する評価が変わった。それにまたしても【奇跡の空】は時代を味方につけた。こう考えるとあの時も今も全ては偶然時代が味方にしたわけではなさそうですね」


「ふふっ。そうですね。時代が味方したのではなく、正しくは時代を利用する作家だったと言う事でしょうか」


「ですね。まさかあんなことになるとは……。昨日の夜、作品の最終話がアップされた時、ネットの読者は当然ながら私も驚きましたよ。そして夜のニュースでそれが話題になり、後は芋づる式でアクセス者が急上昇とは」


 空哲は七海と育枝との関係をまるまる利用した。当然当事者の二人もそれを了承している。空哲は七海を振り、育枝に振られた。世間はその話題に対してかなりホットである。だからこそ自分達を連想させるような物語を空哲はこの短期間で作り上げてそれを二部構成の後半パートとして昨日の夜アップロードした。


 そこには中田姉妹が描いた三枚のイラスト付きでだ。


 これ、もしかして? と思わせて読者の興味を惹いた時点で勝負はもう決まったも同然だった。普段小説を読まない人でもかつて世間を沸かせた【奇跡の空】と今大活躍中の白雪七海の恋愛疑惑小説。話題性としては吉野一人を断トツで抜いていた。


「それで結局最後は妹さんに取られちゃいましたね。白雪先生としては残念だったのでは?」


「何を言ってるんですか? あれはあくまで物語。読者が勝手に私達の作品を読んで私達を連想しているに過ぎません。現実は違いますから」


 そう、あくまで物語は物語。

 現に誰も私達全員がキャラクターのモデルになっているとは言っていない。だからセーフなのだ。【読者選考対決】と【学校一の美女に振られた男】の二つの話題性で空哲は勝負した。到底七海一人ではそんな事しようとすら思わないし、考えもしない。仮に空哲のアイデアを借りて作品を作ったとしても恐らく盛り上がりに今一つ欠けたと思う。だってあの日とりあえずシナリオは作ってもう渡したし一安心と思っている七海の所に空哲がやって来て「ごめん。全部こんな感じでシナリオ書き直して欲しいんだけど……お願いできるかな?」と言って来た時は正直驚いたからだ。その時七海は「勝った!」と心の中で確信した。あの【奇跡の空】が思い描いたストーリーが後で見られると思うと嬉しくて、すぐに最初の原稿の八割以上を修正した。そしてそれを渡したら『これは素晴らしい。少し手は加えるけど、このままでいく。だから七海悪いけど、ここから先は俺に任せて欲しい。それでダメだと思ったら創作者視点で指摘をお願い。育枝は悪いけど一般読者目線で指摘をお願い。だからしばらくは二人の意見が食い違うと思うけど、それで俺にアドバイスをお願い』と言ってきた。

 そこからの空哲は本当に凄かった。初めて見る姿に七海の心がワクワクし、キュンキュンしてしまった。ただ普通に物語の細かいところを修正し最終話に当たる部分を新規で一から書いているだけなのに空哲の集中力は見る者に軽率な文句を言わせないオーラみたいなのがあった。それはプロである白雪七海ですら、簡単に口を出せる次元ではなかった。むしろ書いては消してを繰り返すたびに文章が作品のクオリティーが少しずつではあるが上がっていた。七海と育枝が「凄い! これならいける」と二人して意見が合っても空哲は更に作品の完成度を上げることを止めなかった。


 そして白雪七海が好きになった小説家が一瞬だけど戻って来た。

 それは限られた有限の時の中での話し。

 だけどあんなをするのは七海の知る限りしかいないのだから。

 勝負とは別に私の気持ちにいい加減気付いてと言うメッセージもどうやら作品を通して伝わったようにも思えた。結果は今回も振られてしまったのだが。最後に勝てばなんら問題もないわけで。



 疾風新聞は三人に取って公平なポジションを取ってあまり話題にしなかったが、他社は違った。テレビ、新聞、ネットで大きくその記事を取り上げた。そしてそれをあの時と同じく素晴らしいと賞賛してくれた。




 ――『刹那の恋心が永遠に』【最終話:一部抜粋】




 ――二人の人を好きになってしまった。


 具体的には当時好きだった奈央にある日を節目に急にアタックされ、当時奈央を諦めようとする中でいつも優しくアプローチをしてくれてかなり気になっていた真由美にもアタックされてとタイミングが悪かった。奈央があの日振った理由は本人しか知らない。大切な存在だからこそ心配をかけたくない。その優しさが主人公を遠ざけた。だけど命の灯が長くないと知った時、最後の時間を一緒にと考えた時に奈央が選んだ人物、それが主人公。初めて本当に大切な存在に気付いた奈央は最後だけ理屈抜きで我儘に自分の意思を素直に貫く事にした。


 募り諦めて進展がなかった恋にまた募り始めた恋心と徐々に知らず知らずのうちにかなり募っていた恋心。まるで紅葉の落ち葉が二ヶ所、別々の場所に落ち募っていくかのように。


 だから今すぐには選べない。


 ゴメン……。


 主人公は涙を流し、手に拳を作り震わせて二人のヒロインに謝る。

 ヒロインの二人は初めて見る主人公の泣き顔に思わず、驚きその場でコクりと頷いてしまった。

 

 それでも……俺の事を好きでいてくれるなら……。


 一人だけになるけど……絶対に幸せにして見せるから待ってて欲しい!


 そして主人公の口から出てきた言葉に、しっかりと向き合って考えてくれるんだと言う真剣な想いが言葉の節々から伝わる。それから主人公は今まで以上に二人の事をよく知ろうと今まで消極的だったのが積極的に二人と関わるようになった。人生は不思議なもので、奈央と真由美も気付けばよく話しよく二人で遊びと大の仲良しになっていた。そんな時間がなんだかんだ言って三人に取っては心地良くていつまでもそんな時間が続けばいいと願っていた。だけど時間は有限で待ってくれない。卒業式が終わった時、主人公はあれから真由美と半年一緒に過ごしてどうだったのかを正直に伝える。


「真由美来年からは中々会えなくなるな。でも俺……お前と過ごした時間本当に楽しくて幸せだった。それであの時の答えなんだけど――」


 主人公の一瞬の戸惑い。

 その些細な戸惑いを真由美は見逃さなかった。だってそこに全部答えがあるって直感でわかってしまったから。

 傷付けたくないと言う優しさが今の真由美にとってはとても辛かった。

 そう彼はいつも優しいのだ。私にもそして奈央にも。


「――いいよ。ありのままの気持ちで答えて」


 真由美は優しく微笑み、零れてきそうになる涙をグッと堪えて言う。

 心臓は見えない何かに捕まれ、息苦しい。

 やっぱりまだ現実を受け止めたくないと脳が必死に抵抗する。

 でも今逃げたらもっと後悔する事になると、理性が七海に訴えかけてくる。

 様々な感情が真由美の心の中でぐちゃぐちゃに混ざりあい心の中を支配してくるこの……モヤモヤ感。

 泣いて良いだろうか……。

 いやダメ。後ちょっとでいいから我慢して私。

 そう自分に必死に言い聞かせて最後の言葉を待つ真由美。


「俺は奈央の事が……大好きだ。だからゴメン」


「そっかぁ……私振られたんだね」


 とうとう我慢できなくなった真由美がハンカチを取り出して涙を流す。

 我慢できなくなった辛さからその場を走り去ろうと身体の向きを反転させた時だった。


「だけどな……本音を言うと真由美と幸せになりたかった」


「え?」


「出会いはであってではない。だったら俺達ってさ――」


「ん?」


 その言葉に真由美は耳を疑い、頭の中でそれだけが一杯になった。

 彼は今なんて言ったのだろうか。

 それが全ての辛さを一瞬でかき消したからだ。


 そして振り返ると彼はもうそこにはなぜかいなかった。

 ただの幻聴だったのか、それとも最後の言葉が彼の本音だったのか、はたまた真由美の辛さを疑問へと昇華させる為に考えられた嘘の言葉だったのか……。


「……あっ、そうゆうことか」


 真由美は一年前の事を思い出し、桜の花びらを見てそう呟いた。

 そこには疑問が答えに変わり、納得し微笑んだ彼女の姿があった。


 ――これは彼からのメッセージなのだと、真由美は気付いた。





「あんな台詞よく出てくるわよね、空哲君。つまり私にもまだ可能性があるって事かな。ウフフっ」


「結局あの真由美の気づきはなんだったんですか?」


 担当はずっと気になっていた事を質問として七海にぶつけてみる。


「ネットに答えがありますよ」


「いやネットって……今ネット上では予知夢、正夢、幻聴、あれが実は主人公の本音、優しい嘘、そもそもこの物語自体が真由美か奈央の夢物語もしくは主人公の夢物語なんじゃないかってそれ以外にも沢山の憶測が飛びかっているんですよ」


「凄いですよね。まさかすぐに答えが出てくるなんて思いませんでした」


「って事は答えはあるんですか?」


「ありますよ。答えは挿絵にあります。皆【奇跡の空】の文文から答えを導きだそうとしていますが、【奇跡の空】はそこは全て曖昧にしか書いていないので答えはそこにはないんです。最終話だけ挿絵三枚そして表紙、わざわざイラストレーターが四枚も描くってことはそうゆう事なのでしょう」


 ようやく担当はハッと何かに気が付いたのか、小さく頷いた。

 そう【奇跡の空】は一人であの作品を完成形として世の中に送り出したのではないと。目に見えない沢山の人との共作であるのだと。


「ならあれは可能性という未来の一つであり真由美の夢物語ですか?」


「はい。表紙は真由美が学校の教室で机に伏せそれを主人公と奈央が見て悪戯をしているシーン。挿絵はそれぞれのヒロインと主人公の時間の共有場面。だけどこの時から何故か奈央の顔色が悪く、笑みが引きづっているんですよね。そして最後の挿絵は三人が笑顔で卒業したシーンです。この時も奈央だけがやはり少し体調が悪そうでした」


「それは奈央が病弱で体調が優れなかったからですよね」


「はい。詳しくは小説の世界の現代医療では治せない病ですけどね」


 そう空哲は育枝をそのまま起用するのではなく、アレンジを加えた。

 でないと学校の人達に色々とあれこれ裏設定がバレた時がと言う、空哲本人の悩みがあったのだがそれは六人だけの秘密である。


「ならこれで私は例の仕事の話しを全て断っても構いませんよね?」


「わかりました。全部上手い事しておきます。後ご自身の原稿の締め切りは本締め切りですからね。絶対に忘れないで下さいね!」


「は~い。ちゃんとわかってますよ」


「なら構いません。では今日はこれで失礼します。白雪先生いつもお疲れ様です。恋の病も良い方向に進んでいるみたいで安心しました」


「気を遣って……って余計な事は言わないでください! 恥ずかしいじゃないですか!」


「あらあら、ムキになって……これは失礼しました」


「……いじわる」


「あら? 何のことですか? お顔真っ赤にして可愛いですよ。これで今よりも素直になれれば更なる進展があるかもしれませんね。では、またお会いしましょう。お疲れ様です」


 担当は顔を真っ赤にした七海を見てクスクスと笑いながら部屋に戻っていく。


 白雪は軽く会釈をしてベランダから担当を見送った。

 二人の間柄玄関まで見送ると言うのはあまりしない。むしろ担当がそれを嫌がるのだ。

 何でもお互いに気を利かせ過ぎると疲れやすくなるとかだった気がする。



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