第25話 琴音の機転と赤面の育枝



「ありがとう」


「ところでくうにぃとしてはもういくとは話しにくいとかはないの?」


「そ、それは……」


 俺はもう大丈夫と言おうとしただけど、言葉が出てこなかった。

 本当は大丈夫だと心の中では思っている。

 様子を見る限りではあるが、俺が嫌われているという感じは今の育枝から一切しない。

 もし嫌っていたり、避けられていたら朝大好きとは言ってくれない。

 そう考えると、大丈夫なんだと思う。

 だけど、零ではない。

 万に一つ、億に一つの可能性として、再び距離を取られる原因を俺自身が作ってしまうのかも知れないと思うと、やっぱり怖い。

 育枝に取っては全部が演技だったかもしれない。だけど、俺にとってはある意味演技でもあり本気でもあった。

 心が途中から確かに揺れ動いた。


 その結果、俺は育枝を失い、最後に拒絶された。

 それは間違いなく俺にとっては本物の失恋の痛みだった。例え育枝の中ではそうじゃなかったとしても俺の中ではハッキリと痛みとして残っている。


「あらま……。もしかしたらと思ったけどそこはまだなんだね」


「うん……」


「まぁ気持ちはわかるよ。私も好きな人の事になるとたまに自分でもよくわからないことしてたり気持ちが揺らいだり……後はよく悩んだりする時あるから」


 亜由美はそう言って笑いかけてくれた。


「ねぇ、くうちゃん?」


「ん?」


「そんな難しく考えなくていいと思うよ。人間失敗してなんぼなんだし、失敗したらしたでそれを経験にして次の成功に活かせばいいんだよ。だからもう少し気楽にやり直してみようかなって考えてみたら? そっちの方が私はいいと思うよ」


「まぁ、それもそうだな」


「うん」


 一人自分を責めてしまっている俺にそう言ってくれた琴音。

 確かにその通りだと思った。

 俺が育枝を信じて、もう一度今度は元の関係か新しい関係かを正しく判断して関係を気付いていけば少なくとも前よりはいい関係になれると思う。

 だってあの時に比べたら、少なくともお互いの事を知っている。

 なによりあの時と同じく臆病な俺が必要以上に恐れているだけなんだ。だから、育枝は俺の近くにいてくれる、そう思う事が出来ればきっとその先の関係にだってなれるはずなんだ。


 大事な事は後は俺がどこまで自分の心を信じられるかだ。

 当然俺は自分の事を信じているし、自分の思いや感情が間違っているとは思っていない。

 ただ恋愛に限っては――別である。


 そう恋愛に関しては素人が故に行き当たりばったりになっている。


「そろそろ時間だね」


 琴音がそう言うと、二階の方からドアが開く音が聞こえる。

 そして階段をバタバタと音を鳴らし降りてくる。

 このタイミングで来る、流石は自慢の妹だ。俺が腕時計に目を向けると、八時五十九分。

 ギリギリとは言え、ある意味正確過ぎるとも言わんばかりのタイミング。


「あっ! 三人共、お待たせー!」


 育枝はピンク色のキャリーバッグと、小さいハンドバッグを肩にかけて登場した。


「「相変わらず、ギリギリに見えて余裕の登場だね~」」


 琴音と亜由美はそれが当然の如く声を揃えて言う。

 そして一瞬で三人は色々と目で会話をしたように頷き合った。

 えっ、うそだろ!? なに今の頷き。てか俺だけ置いてけぼりなんですけど……。


「あれ? この匂い……」


 育枝がクンクンと鼻を動かして俺の近くに来たかと思いきやそのまま通り過ぎて玄関にいる琴音、そして亜由美の隣に行く。なんか犬みたいで可愛いなと思って眺めていると、育枝の動きが急に止まった。


「あ、亜由美だ」


「私?」


 亜由美は首を傾げる。


「うん。そらにぃが好きな香水付けてる。一人だけズルィ!」


「ん? あ~これ? これは私が好きだから付けているんだけど……まぁそうゆうことならいくにも付けてあげるよ」


 そう言ってハンドバックから取り出した香水をシュシュと育枝にふりかける亜由美。

 育枝はそれを手首で広げ、首元と腕へ広げていく。


「ありがとう、亜由美」


「うん、喜んでくれて良かった」


「なら行くわよ。ここでグダグダしてたらJRに乗り遅れちゃうわよ」


 琴音の言葉を聞いて俺は昨日荷造りが終わると同時に玄関に予め用意しておいた大きめのバッグを持ち靴を履く。


「それでいくちゃんは先日何があったの?」


 とても自然な形で琴音が育枝に話しかける。

 そのまま玄関を出て琴音は育枝と会話を続けて、さり気なく俺と亜由美を二人きりになるようにしてくれた。育枝も久しぶりの再会で昨日だけじゃ足りないのか色々とまだ話したいみたく特にこちらを変に気にする様子も見られなかった。


 育枝と琴音が並んで歩き、そのすぐ後ろを俺と亜由美が並んで歩く形となった。


「普通だね」


「だな」


 実は俺と話すのが気まずいだけなのかと一瞬思ったが、そうは見えない。むしろ昔に戻ったようにいつもの四人の時間って感じがした。


「こう見ると、昔と何一つ変わらず仲良しだね~」


「うん……。そうだな」


「で? お兄ちゃん的には今のいくを見てどうなの?」


「う~ん。なんか本当にあれは全部演技で俺から距離を取っていたようにしか見えなくもないし、そんな気しかしなくもないと言うか……」


 亜由美は俺の方をチラッと見て、「ふ~ん」と言った。

 それから俺は育枝の事を後ろから気にかけながら見ていたが、途中話しかけてきたりと俺が本気の告白をする前、もっと言うと育枝と偽物の恋人になる前のように普通に接してきた。そして恋が絡まなければある程度普通に話す事が出来た。俺と育枝が話しているときは琴音と亜由美も気を遣ってくれたのだが、特に心配するようなことは起きなかった。


 そのまま博野駅に到着した俺達は各々電子決済にて精算を済ませてJRに乗った。


(だけど俺はこの時、ある事に気付いていなかった)


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