第4話 紅茶とコーヒーと私と女史

 私の日課は、昼休みのこの時間帯に、カフェでコーヒーを頼むことだ。

 私が通う大学から徒歩十分。講義と講義の間の時間を使えば、コーヒーを飲む程度のことは容易にできる。

 阪の途中にある大学を下り、大通りにでてさらに真っ直ぐ。

 そして、閑静な住宅街の中に、そのカフェはある。

 住宅街の中なのだから、そのカフェの見た目は一軒家とそう変わらない。こちら側から店内を覗き見ることができ、窓には雨をしのぐには短すぎるオレンジ色の屋根がついていた。おしゃれだ。

 駐車場は車が三台止めれるスペースと、自転車をおくための少し幅のある空き地があるのみ。

 閑静な住宅街の中にあって、そんなおしゃれな風貌をさらしているにも関わらず、そこは落ち着いた雰囲気をもって住宅街に同化していた。

 店内へといたる道の途中にある森の中のカフェと題された看板を、私はピンと指で払ってから中へと入るのだ。


 私はたったの一人でしかこのカフェには来ない。なぜかというとこの隠れ家的なカフェに私はすっかり魅了されてしまって、他者にこのセンスあふれる素敵なカフェを教えることにどこかためらいがあるためだ。

 だから私はあんまり友達がいないんだ。そんなことをささやく私の悪魔。

 私はそいつを助走をつけながらぶん殴って、この素敵なカフェへと入る。


 きい、という扉を開けるとベルがからんからんと鳴る。

 これによって私はこの店に認められた。これは、客として入ることを許す鐘なのだ。

 私はそのいつ聞いても飽きないベルの音に身を委ねながら、定位置へと腰かける。

 入って右の突き当たり。日光が苦手な私は窓側を嫌って光が当たらぬ壁側へと座った。

 どうせまたコーヒーしか頼まない私であるが、机においてあるメニューをとるのはもはやルーチンとかしている。

 もはや国語の教科書よりも何度も見直したそのメニューをふんふんと言いながら閉じて、私は机に置いてあるベルをちんと鳴らした。

 しかし、店員は来ない。だが、ここで焦るのも駄目なのだ。店員は私とこうやって遊戯をして、常連である私を楽しませようとしてるのだ。

 うむ。可愛らしいところがある。

 私はもう一度ちんとそのベルをならすと、はぁーい、という間延びした声が流れてきた。


 私はなんとなく姿勢を正し、んんっと発声の確認をする。

 店員が返事してからたっぷり三十秒かけ、私の元へとやってきた。


「私だ。いつものを頼む」


 もう土日を除くほとんど毎日、私はここ来てコーヒーばかり頼んでいる。

 他になにか頼めよ、とか。茶菓子くらいは買って店に貢献しろよ、などという私の天使の声が聞こえてくる。

 悪魔の私がジャーマンスープレックスを天使の私へとかけ、スリーカウントきっちり鳴らしてその声をもみ消した。

 学生の私にそんな財力はないのだ。調子に乗るんじゃない。

 確かに喉はそんなに乾いてはいない。どちらかというと小腹が空く程度だ。

 さらに、今は夏が過ぎようとしている季節。残暑厳しい中、コーヒーを頼む私のこの精神力をもっと褒め称えるべきなのではないだろうか。


 とまあ、ここまでだらだらと語ったわけだが、要するに私の言いたいことはほとんど毎日コーヒーを頼んでいるのだから、いつもので通用するはずだという過信あってこそだ。

 あと人生の内に一度は言ってみたいセリフでもあったりする。


 そんな私を店員が冷ややかな目で見下ろす。きっと、この暑い中よくお疲れ様です、という意味を兼ねて少しでも寒くしようと頑張ってくれているにちがいない。

 ありがとう。私は心のなかでその心意気に感謝する。


「はぁ。じゃあいつもので」


 そういって店員はすたすたと奥へと引っ込んでいく。

 照れ屋なのであろうか。きっとそうに違いない。私はいつか声を掛けてあげることを誓い、一つ離れた席の麗しの女史を見つめた。


 今時珍しい清楚な黒髪。艶がかった腰ほどまでもある黒髪は、淫靡な印象を私に与え、さらには魔性すらも含んでいるかのようだ。麗しの女史は、どうやら私と同じく日光が苦手らしく、私の前にある暴力的なまでに日光照りつける殺人机には座らないらしい。

 一度私はそこに腰かけたことがある。

 疲れていた私はふう、と息を吐き、ナプキンの上に眼鏡をおいた。しばし呆然とした状態で中宮をなんのけなしに見つめていたのだ。そのとき、焦げ臭い匂いが私の鼻に吸い込まれていった。

 すわ、厨房で事故でも起こしたか。そう思って姿勢を戻すと、眼鏡によって日光が集められ、ナプキンに引火していただけであった。

 私は慌てて手でもみ消そうとして失敗し、床に放り投げて足で消したのだ。

 その時のことはいまだ床に残っている。黒いしみがそれだ。

 思えば、店員が照れ屋になったのはこの時からだったかも知れぬ。私に心配をかけまいとしているのだろう。健気なことである。


 そんなことを思い出しつつ、私はもう一度麗しの女史を見た。

 それはもう食い入るほどに。きっと端からみれば私は餌を与えられたピラニアのごとき食い付きようで女史を見ていただろう。

 しかし、女史はそんな私の視線をそ知らぬふうに、手元にある本へと視線を落としている。

 ブックカバーがかけられているせいもあって私は女史がどんな話を読んでいるのかは想像がつかない。

 私が出来るのはその本が一体どのような内容なのかということと、もし私が、女史と出掛けることが出来ればどのような場所にいくかということくらいだ。


 女史がペラリとページをめくる。その艶やかな手つきはさながらガラス細工のようで、それを熱心に読み込む女史の顔に私はみとれていた。

 さながら大和撫子。和の美を体現したかのようなその姿に、私は圧倒されたのだ。薄い赤の唇に、すっと通った鼻筋。まるでマンゴーのような小顔に、まん丸とした大きな目。

 そして、その女史から漂う特異な雰囲気に私はすっかり魅了されてしまったのだ。

 うむ。どちらかといえばたまたま入ったこのカフェに女史がいるのをみかけ、そこから入り浸るようになった、というのが本来か。

 確かにこのカフェは、結構最近に出来た住宅街であるがゆえに壁や内装は綺麗なのだが、どこか幼児らしさがあり、派手というには飾り気がなく、また質素というには小物が多い。なんとも微妙な店なのだ。


 ペラリ。またページがめくられる。本へと集中して私への意識は一切ない。それがいい。

 私は女史のその熱心な姿に、魅了されているのだから。


 ――ふと、私は思い付いた。もうすこし、女史は私に注目してくれないものか、と。

 それは幼児が両親への愛情を確かめるために行う反抗的な行為だったに違いない。それは私が身勝手にすぎる行いにより嫌悪へと繋がる一本の糸だったに違いない。

 しかし、私はそんなことをつゆにも思わず、とある行動をしてしまったのだ。

 それは紙飛行機を作ること。ナプキンを折り、私は紙飛行機を作った。

 折り紙は得意ではないのだが、紙飛行機くらいであれば誰にでもできよう。

 私は、女史を見た。

 机の上にはいつも通り紅茶がおかれてあり、四角や丸の可愛らしいクッキーが盛られた皿がある。女史らしい、雅な置き方である。

 私は、その紙飛行機をえいやっと投げつける。慌てて謝ればよい。

 ついつい私の紙飛行機が、あなた様のところへと飛んでいってしまったようです。どうやら、あなた様の魅力に紙飛行機ですら蕩けてしまったに違いない。そうだ、お礼と言ってはなんですが、私があなた様に茶菓子をご馳走しましょう、と。

 私は内心でほくそえむ。もうずいぶんと女史とは会話が出来ていない。私はずっと女史に話しかける機会を伺っていたのだ。

 勇気とは、ひょんなときに飛び出てくるものである。やろうやろうと思っている内にはでてこない。そうだ、やってやろうという気持ちでいたときのほうが何のけなしに出来るものなのだ、


 私の作った紙飛行機はひょういと飛んで、私が作ったにしてはしっかりとした軌道を描きながら真っ直ぐ女史の元へ。

 このままおでこにこつん、とでもすれば、私は颯爽彼女の元へと駆けつけて、おお腫れてしまった。すいません、あなた様のその白磁のごとき白肌に、この真っ白の紙飛行機ですら嫉妬してしまったようです。そういって、私は女史のおでこに触れる大義名分を得ることができるのだ。


 私はワクワク、いや、ドキドキしながらその紙飛行機の行く末を見守った。

 紙飛行機は半円のような見事な軌道を描き、私の期待。それら全て嘲笑うかのように、女史の紅茶へと突っ込んでいった。


 ぽちゃん、という紅茶が跳び跳ねる音とともに、女史は驚き、目を見張る。女史によく似合う真っ白な服に、紅茶の染みが出来てしまった。

 私は取り乱すでもなくただ呆然としてその女史へと視線を屍のように向ける。

 女史は、えー、と言葉を漏らしながら紙飛行機を見つけ、目の前にいる私へと視線を向けた。

 私はそこで気が戻った。

 慌てて私は席から立ち上がり、女史の元へと駆け寄った。


「ああ、すいません。私はこんな予定ではなかったのです。ただ、その紙飛行機が白から茶へと姿を変貌させたいと申すのでそれを手伝ったまでのこと。決して、悪気はなかったのです。すいません。私がクリーニング代全てお出ししましょう。やけどはしませんでしたか。では、その服をお脱ぎください。私が今から颯爽コインロッカーへと駆けつけて、ごうんごうん回して見てきますゆえ。さぁ、はやく」


 私は気が動転してしまっているようで早口でそんなことを口走ってしまった。

 女史は呆気にとられ、口を開けたまま魂が抜かれたように私を見つめている。

 悪魔の私と天使の私が、二人揃って私の後頭部を殴り付ける。だから友達が出来ないのだ。私は涙を堪えながらその攻撃に耐え、ぐっと歯を食いしばり、目をつむる。

 一体どんな怒声が飛んで来るのだろう。

 私はその全てを甘んじて受け入れ、しかるべき処置をしようと心を決めた。男なれば、自らの失態を受け入れるのは当然のことである。

 隠しとおせるのならば隠しとおす。それもまた、誇りを保つためには重要なことである。


 ぎゅっと強く目をつむった私には、いつまでたっても怒声が浴びせられることはなく、なんと、笑い声が聞こえてきた。

 私は信じられないような面持ちで顔をあげ、女史をみる。

 朗らかな笑い声をあげながら、口元に手をあて上品に笑うその姿は、まさに日本が誇る大和撫子だった。


「あなた、面白いですね。ここまで笑ったのは、私、久しぶりです。ああ、そこまでおかたくなられないで。確かにドキリとはしましたし、これでは染みはとれないのかもしれませんが、私は別に怒ってはいないのです。むしろ、ここまで笑わせてもらって、私は嬉しいのです。お名前を聞かせてもらえないかしら?」


 私は信じられないような面持ちをもって彼女を見た。

 すでに笑いは落ち着き、穏和な表情を浮かべ、優しい口調で諭した彼女は、大和撫子ではない。仏であった。


「そ、そんな滅相もありません。しかし、名乗れと言われれば名乗るのが男というもの。私の名前はアカタと申します」

「アカタさん。ふふ、これって偶然なのでしょうか。私の名前はアオキなのです」

「わあ、アオキなのですか。確かに、偶然のようですね。私はアカタ。あなた様はアオキ。アカとアオとは、なるほど、偶然のようだ」


 私ははははとわざとらしく笑って見せた。それにつられて彼女もホホホ、と笑みを溢す。

 幸せである。なんという幸せであろうか。

 こんな幸せが私に舞い降りてきてもよいのか。幸せの女神よ、私は見事、お前の前髪をつかんで見せたぞ。


 と、そのとき、声がかけられた。


「お客様? ご注文のコーヒーです」

「あ、ああ」


 私は内心舌打ちしながら、店員へと毒ついた。なんと空気の読めない店員であろうか、これでは私は自分の席へと座らなければならない、せっかく仲良くなれたと思ったのは幻であったか、


「どうせなら、アカタさんもご一緒に、どうですか?」


 私は女神を見た。その美しさ、純潔さに私達は女史が後光を放っているとしか思えなくなってしまった。

 ありがたや、ありがたや。

 私はコーヒーをもって、女史の席へとつく。


「コーヒー、お好きなのですね。私は紅茶が好きなのです」


 女史は私のコーヒーを見つめてそう言った。

 ああ、そうだとも。私は心が気持ちよくなった。


「ええ、そうですとも! 紅茶のような軟弱な飲み物などではなく、やはりコーヒーが最も大切な飲み物でしかるべきなのですから!」


 私はそういって、女史をみる。女史は、ははは……と引きぎみに紅茶へと、視線を落としていた。

 悪魔と天使の私が、剣と鉄砲を持って、私を惨殺するのは、火を見るよりも明らかであった。

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不感症の水 水汽 淋 @rinnmizuki

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