野上ルート 4
夜になって優香が入浴のために部屋を出ていったあと、俺が一人でテレビのチャンネルをザッピングしていると、突如障子の外から人の気配が現れた。
外から障子が開かれ、俺はそちらを振り返る。
「あれ、あんただけ? 優香は?」
少し疲れの色が見える顔色をした上下スウェット姿の錦馬だった。
「優香なら風呂場に行ったけど」
「じゃあ、行き違いね。残念だわ」
「優香に用でもあったのか?」
言付けならば俺が、と続けようとしたが、錦馬は首を横に振った。
「用ってわけじゃないのよ。今さっき仕事が終わったから、久しぶりに優香と話そうと思っただけ」
「なら、ここで待ってろよ。そのうち優香戻ってくるだろうから」
俺が親切心で提案する。
そうさせてもらうわ、と錦馬は微笑み、部屋の隅に積んである座布団に歩み寄る。
座布団を一枚手にすると座卓の傍に敷き、その上に足を投げ出すようにして腰を下ろした。
俺はテレビの方に意識を戻す。
「あんた、さっきから何やってるの?」
チャンネルをころころ変える俺に、錦馬が不思議そうに訊いてくる。
「チャンネルを変えてるんだよ」
「それは見てればわかるわよ。私が知りたいのは、なんでそんなことしてるのか」
なんで、と問われても深い意味はないのだが、強いて理由をつけるなら。
「東京とここじゃ放送してる番組や時間帯が違うだろ。だから暇つぶしに比べてた」
「そういえば違ったわね。東京だとこの時間何やってるの?」
「たしか、野球中継」
「それ、どこでも放送するんじゃない。チームは違うかもしれないけど」
「そうだな。比較にならないか」
弱くツッコまれて俺は苦笑した。
錦馬も小さく笑い声を漏らしている。
しばしすると、音量を上げていないのにテレビの音だけが妙に大きく感じた。
――――会話が続かねぇ。
「なぁ?」「ねえ?」
互いに話題を振ろうとした時、障子の外から聞き慣れた鼻歌が耳に入ってきた。
障子が開き、鼻歌が止む。
「あ、なっちゃん来てます」
旅館貸し出しの浴衣に着替えた湯上りの優香が、錦馬を見つけて機嫌の良さげに言った。
錦馬が優香を振り向いて微笑み返す。
「失礼してるわ。仕事終わったから部屋に遊びに来たの」
「嬉しいです。この三人で揃うの久しぶりですから」
この三人ということは俺のことも含んでくれているのだろう。
錦馬が釈然としない顔で俺に視線を送ってくるが、無視だ。
「なっちゃん」
優香が錦馬に話を振る。
なに、と微笑して錦馬が俺から優香に視線を移した。
「このあいだ、雑誌に二か月連続で表紙飾ったんです」
優香が嬉しそうに話す。
錦馬は称賛の目を向けた。
「連続はすごいわね。優香の可愛さをやっと世間が認知し始めたってことかしら」
「それも清純系とセクシー系両路線です」
「新たな境地を開いたわね、優香」
「はい。この歳になって人気が付いてきたので、私って晩成型だったのかもしれません」
錦馬は我がことのように喜び。優香は自身の魅力を型に分類して誇る。
二人のやり取りを聞くのもほんとうに久しぶりだ。
「でもなっちゃんは二十一の時からどっちの需要もありました。それと比べると、私なんてセクシー系がひよっ子です」
「最初が誰でもひよっ子よ。あたしだって最初から需要があったわけじゃないわよ」
「そんなことないです。なっちゃんはデビューしてすぐに結構なファンがついてましたから。あの時の私なんて売れないグラドルでした」
「グラドルの人気なんて紙一重の差よ。あたしはたまたま運がよかっただけよ」
互いに謙遜し合っている。
殊勝な態度だが話に埒が明かないので、俺は軽口のつもりで言葉を差しはさむ。
「錦馬は引退してるが二人とも実力があるんだよ。時期は違えど、人気なるべくして人気になったんだ」
納得の顔をしてくれると思っていた。
だが優香は不得要領な、錦馬は冷えた顔つきをして俺をじっと見つめた。
「一端のマネージャー面して、何まとめようとしてるのよ」
「なっちゃん、それは言いすぎです」
「そうだぞ。マネージャー面というか、実際に俺はマネージャーだ。それも業界八年の中堅だ」
「八年って言ってもあんたが担当したのは、あたしと優香の二人だけじゃない。しかも優香なんて仕事仲間どころか夫婦だし」
「……」
ぐうのねも出ない。
俺が押し黙っていると、不意に優香が若干に錦馬を正面に居直った。
咎を責める目で睨みつける。
「なっちゃん」
「な、なによ」
思わぬ反応に錦馬は戸惑う。
優香はムッと口を突き出した。
「私の夫をいじめないでください」
「……わかったわよ」
錦馬が渋々受け容れると、優香は俺の方を振り返った。
慰めるように優しい笑顔を宿す。
「私は光人さんの事日本一のマネージャーだと思ってます。だから安心してください」
「あ、ああ」
日本一は大げさではないか?
そう思いはしたが、優香には認めてもらえていると分かって安堵した。
「それに最初に光人さんを認めたのはなっちゃんです。マネージャーとして有能じゃなかったら正式に担当契約結んでいたはずないです」
「そんな昔の話、掘り返さないでよ」
過去を利用した優香の難詰に、錦馬は微かに顔を赤らめた。
俺のことを評価してくれる優香には悪いが、錦馬の指摘は悔しいが的を射ている。
「もういいよ、優香」
思わず妻の庇い立てを制していた。
「錦馬の指摘は最もだから。過ぎたことを掘り返すのはやめよう」
「ほんとにいいんですか?」
心配げな目で伺ってくる。
俺は頷いた。
「ああ、いいよ。俺が指摘されないぐらいのマネージャーになれば済む話だからな」
「それじゃあ光人さん。他の人のマネージャーに……」
優香が不安そうに訊いてくる。
微笑み返して首を横に振った。
「他の人のマネージャーをするつもりはない。でも世界で一番優香に詳しいマネージャーになって、優香をもっと人気にする」
「……ありがとうございます」
少し戸惑いを見せつつも、優香は顔を綻ばして礼を言った。
しかし、錦馬だけは不服そうに眉をしかめている。
「なんか、夫婦の幸せを見せつけられてる気分になるんだけど」
「え?」「はい?」
俺と優香には実感がなく、夫婦揃って問い返した。
錦馬の表情に寂しさが現れる。
「私と違って幸せそうで何よりだわ」
「なっちゃんは幸せじゃないんですか?」
優香は何故か、憂慮ではなく申し訳なさの滲んだ瞳で錦馬を見つめた。
錦馬は罪を打ち明けるみたいに沈んだ顔で頷いた。
「あたし、この歳で彼氏の一人もいないのよ」
「……ほんとですか?」
「嘘なんて吐かないわよ」
錦馬ほどの美人に彼氏がいないとは。
言い寄ってくる男性なんてごまんといるだろうに。
はあ、と錦馬はため息を吐き出す。
「旅館で過ごすそれなりに忙しい日々に不満はないのよ。従業員にも慕われて、旅館を気に入ってくれるお客さんもいるし。
でも、祖母と母が良い人と結婚しろってうるさいのよ」
「はあー、そういうことですか」
優香が納得したように相槌を打つ。
なるほど。幸せじゃないという意味合いが分かった気がする。
「なっちゃんの祖母と母が言う良い人って具体的にどんな人なんですか?」
「同い年か年上で、誠実で、男らしい体格で、義理の家族にも優しくできて、博打の類をやってなくて、好色なところがなくて、妻の言うことに文句なしで従える人」
「条件多くないですか?」
「優香も思うでしょ?」
仲間が増えたかのように前のめりで優香に同意を求める。
優香が頷くと、やっぱそうよと怒りを含んだ口調で吐き捨てた。
「条件が多すぎるのよ。そんな人を旅館の仕事で籠りながら探せって言うんだもの、無理難題よ」
「はは、そうですね」
不満をまくし立てる錦馬に、さすがの優香も苦笑いで応じた。
幸せになれるといいな、錦馬。
俺は心の中で念じた。
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