野上ルート 3
駐車場から走り出して十分強。
俺と優香を乗せた送迎車は、安全運転で旅館のそう広くはない駐車スペースに到着した。
「ようこそ、白樺旅館へ」
福原さんが運転席を降りて後部座席にドアを開けるなり、ニコリとして歓迎した。
なんと返していいのかわからないまま、俺と優香は送迎車を降りる。
「ここから建物の壁沿いに真っすぐに行って……」
身振りを加えながら、その場でルートを教えてくれる。
「建物が途切れたところを左に曲がれば旅館の入り口があります」
「道順までありがとうございました」
俺は福原さんに礼を言って、ボストンバッグを担ぎなおして優香と教えてもらった順路を歩きだす。
しばらく道伝いに進むと、日本家屋を模したような旅館らしき建物の戸口が見えてくる。
「あれが入り口ですかね?」
隣を歩きながら優香が俺と同じ方向に視線を遣る。
だろうな、と半ば肯定して返すと、いきなり戸口の向こうで人影が動いた。
戸口が内側から開かれ、焦った様子で坊主頭が飛び出してくる。
俺と優香が突然の坊主頭に驚いて足を止めると、坊主頭の双眼が俺達を捉えた。
坊主頭は足に制動をかけ、俺達と三歩分の距離を空けて対峙する。
彼の顔をよく見ると、大人というにはまだ早い幼さの残っており、学生上がりの溌剌な青年といった印象だ。
俺と優香の姿をじっと眺めると、途端に苦い表情になる。
「……お客様ですか?」
「あ、はい。そちらは旅館の方?」
俺が質問を返すと、坊主頭は目にもとまらぬ速さで一回頷いた。
「私たち、先日この旅館を予約した……」
隣の優香が遠慮深い態度で坊主頭に歩み寄って話しかける。
すると坊主頭の顔面が羞恥で真っ赤に染まり、視線を避けるように首を垂れた。
「すすす、すまねぇ。おいらは仕事を仰せつかってるもんで、これから浴場の掃除をしなきゃなんねぇ」
「あ、そうなんですか」
「失礼するぜ」
首を垂らしたままそう口にし、坊主頭は俺たちの横を通りすぎ後方へ駆け去っていった。
嵐のように騒がしい坊主だったが、なんだったんだろう。
俺は後方を振り向き、坊主頭に妙な関心を覚える。
「また逃げられた」
と、その時。旅館の開けられたままの戸口から女性の憎々し気な声が聞こえた。
女性の声に脳へ強い刺激が走った。
薄れかけていた記憶の一部が妙に色濃くなり、激しく存在を主張している。そんな胸騒ぎがして戸口に向き直る。
戸口と庭の境目で、見覚えのある整った顔貌で見覚えのない和装をした黒髪の女性が立っていた。
「なっちゃん、久しぶりです」
優香が懐かしさがこみ上げているような声を出す。
その呼び名に俺の記憶の中で一人の人物が克明によみがえる。
「ああ、優香。久しぶりね。待ってたわよ」
錦馬菜津。俺がマネージャーとして初めて担当した女性だ。
優香に笑顔で接していた錦馬が、ふと気が付いたように俺の方に横眼で視線を寄越した。
急に真顔になる。
「あんたも来てたのね」
歓送会以来の再開だというのに、こいつは微塵も喜んでない。
俺はあからさまに眉をしかめてみせる。
しかし錦馬は、俺の不服など気に介す素振りもなく小さく微笑んだ。
「久しぶりね浅葱。ようこそ白樺旅館へ、歓迎するわ」
一応、歓迎された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます