野上ルート 2
待ちに待った日曜日。優香が旅行先に選んだのは群馬県だった。
子供を野上の両親の家に預かってもらい、榛名山やめがね橋など高崎市近辺を観光して回り、優香と久しぶりに夫婦水入らずの時間を過ごした。
遊楽な気分のまま早くも夕方となり、俺は二人分の必需品を詰めたボストンバックを担ぎ、優香と二人で旅館がサービス提供している送迎車を麓の駐車場で待っているところだ。
「どうでしたか。群馬県は?」
会話の種を植えるように優香が当たり障りのない話題を振ってくる。
「楽しかったよ。群馬って来たことないから、観光地で見るものほとんどが新鮮だったよ」
「上京してきた田舎出身者みたいな感想です」
ツッコミみたいに言って軽く笑った。
対して面白みもない一言でも、優香がこうして笑ってくれると自然と場が和む。
「優香の方はどうだったんだよ?」
会話を終わらせてしまわぬよう穂を継ぐ。
「群馬県ですか?」
「そう、群馬県。優香も初めてだよな、どうだった?」
「明日もありますけど、今日一日だけでも満足なぐらい楽しめました」
優香が笑顔で答えてくれた時、前を通る道路の右奥で信号待ちをしているタクシーの形をした車が視界に入った。
旅館の送迎車がタクシー会社のタクシーの貸し受けだと思い出し、信号待ちの車に目を向けた。
「光人さん。どうかしました?」
俺の視線が他に移ったのに優香が気が付き、不思議そうに伺ってきた。
優香に顔を向けず、俺はタクシーらしき車を見るよう顔を振って促す。
「あれじゃないか、送迎の車」
質問とは取れない俺の言葉に、優香もつられて信号待ちの車に視線を遣った。
「おそらくあの車です」
「思ったより早いな」
送迎車の到着予定時刻は、午後の五時半だったはずだ。
しかしまだ五時十五分だというのに、信号待ちを終えたらすぐに駐車場へ横付けできるほど近くまで来着している。
「私たち早すぎましたかね?」
ドライバーに迷惑なのでは、と心配する口調で訊いてくる。
「そんなことは無いと思うぞ。五時三十分が予定時刻なら、利用者は少なくとも五分前には来て待っていなきゃいけないはずだ。それが俺達の場合もっと早かっただけの話だ」
「早すぎても良くないです」
「利用者が早い分には問題ないだろ。利用客それぞれで送迎の時間は決まってるし、他の人に邪魔にさえなければ時間が来るまで待てばいいだけだ」
「初デートの時の光人さんと似てます」
俺の顔を見ながら、楽しいことを思い出したように笑みを浮かべた。
初デート。今からだいたい八年前になるのか。
「あの時光人さん。待ち合わせの一時間前に来てたのに、五分ぐらい前に来たばっかりだって誤魔化してました」
「そういえば、そんなことあったな」
はっきりと記憶している。
一時間前から来てたなんて言ってないのに、デートの途中でバレたから内心すごい仰天してたんだよな。
今思うと、どうして優香は俺が一時間以上前から来ていたことに気が付いたんだろう。
「なあ、優香?」
八年越しに謎を解明しようと問いを口にしかけた時、丁度同じく駐車場に先ほどまで信号待ちして車が入ってきた。
「来ましたよ、光人さん」
と、優香が俺に知らせるように言った。
優香の関心は初デートの思い出から目の前の送迎車に移ってしまったらしい。
「見てください光人さん。送迎車けっこう古いです」
期せずして優香が歓声みたいな声を上げる。
車を改めてよく見ると、二〇〇〇ゼロ年代サスペンスドラマで登場するような一時代前のクラウンだ。
車体側面を俺と優香に向けて、横づけに停車する。
運転席のドアが開き、中から男性が出てきた。
黒地に紺のストライプが走った渋いスリーピースに、朗らかながら年輪による聡明さを湛えた初老の相貌。
男性は車を降りるなり、俺と優香にほのかに笑いかけた。
「お待たせしました。白樺旅館の送迎を担当しています、福原です」
「どうも。お世話になります」
白樺旅館は今日俺たちが泊まる旅館の名だ。
突然の四角四面な挨拶に、慌てて言葉を返し頭を下げる。
隣で優香も俺に倣うように頭を下げていた。
いえいえ、と福原さんは下手に出る。
「こちらこそ当館をご利用いただき誠に感謝しています」
「そんな。こちらこそ、わざわざ送迎の手間をかけさせてすみません」
「遠慮なさらずに送迎サービスをご利用ください。さ、ここで話をするのもなんですから車の中へお乗りください」
謙譲の示し合いの最中、福原さんが乗車を勧めてくれた。
「では、お言葉に甘えて」
そう返し、優香を先に座席に座らせてから俺も乗車する。
福原さんは俺が乗り込むのを見届けてから運転席に戻った。
「お二人はどちらから?」
発進の準備しながら、福原さんが沈黙を避けるようにさりげなく話を振ってくる。
「東京です。群馬には旅行で来たんです」
「今日は榛名山とめがね橋に行ってきました」
俺が答え、優香が隣で付け加える。
バックミラーの角度を調整している福原さんが、感心したような目で俺達を振り向いた。
「榛名山、もう行きましたか」
「はい。私たちロープウェイ乗りました」
「いいですね、ロープウェイ。秋には山肌が紅葉に染まって、今の時期とは違う景観が楽しめますよ」
「へえ、そうなんですか」
優香は素直に興味を惹かれた声を出す。
秋にも来てね、と言外に観光アピールされてる感じは否めないが、紅葉が綺麗なのは偽らざる事実なのだろう。
東京から新幹線で三時間も掛からないから、紅葉シーズンにまた旅行に訪れてもいいかもしれない。
福原さんがミラーの調整を終えてハンドルを握った。ミラーを介して俺と優香にちらりと視線を送ってくる。
「それでは、白樺旅館へ向かいますかね」
「よろしくお願いします」
俺が座席で頭を下げると、送迎車はゆっくりと走り出し駐車場を後にした。
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