野上ルート 1

「光人さん?」


 リビングでテレビニュースを漫然と観ていた時、子供を寝かし終えた優香が微かに声を弾ませながら話しかけてきた。

 

 俺は優香と結婚した。

 八年前の二月一四日に優香から二度目の告白をされ、俺は応諾して返事とともに唇を交わした。

 その日から恋人として、錦馬が帰郷してからはグラドルとマネージャーとして、優香が二三歳の年からは夫婦として共に歩んできた。

 現在では六歳と五歳の兄妹を子に持つ父母として家庭を営んでいる。

 

 俺はテレビから視線を外して、優香に見向く。


「どうした。悠那からプレゼントでももらったのか?」


 悠那は今年五歳の妹の方で、なんでも自分でやりたがる年頃だ。


「違いますよ。悠那は私がお母さんを寝かしつけてあげるの、って言ったきり寝ちゃいました」

「じゃあ、昇太の方か?」

「違います。昇太は昇太で私にお休みも言わずに寝ちゃいました」

「疲れてたのかな?」


 近頃の昇太は幼稚園の友達とサッカーで遊んでいるらしく、迎えに行く度に服が砂で汚れている。


「帰ってきてからもよく欠伸してましたし、昇太はきっと疲れてたんですね」

「悠那でも昇太でもないとすると、優香はどうしてご機嫌なんだ?」


 核心に迫る気持ちで尋ねる。

 俺の質問を聞き、優香は頬を紅潮させた。


「光人さん溜まってないかな、と思いまして」

「溜まってないか、って、ようするにあれか?」

「はい」


 ちょっと恥ずかしそうに頷く。

 そういうことは俺の方から求めるべきなのだろうが、生憎と最近の忙しい優香を見てると、さらに疲れさせてしまいそうで遠慮している。


「私の疲れを心配してるなら大丈夫ですよ」


 言葉を継ぎかねる俺へ、安心させるように微笑んだ。


「大丈夫、とは言われても。やっぱり気が引けるよ」


 俺のためなら無理をしてしまう優香の性格は、充分に理解しているつもりだ。

 だからこそ、無理をさせないように気を払ってやらないといけない。


「それとも、光人さん。私に魅力感じないですか?」


 途端、不安げに見つめ返される。

 俺は慌てて首を横に振った


「そんなわけないだろ。魅力的だからこそ大事にしたいんだよ」

「ありがとうございます」

「……なんか自分で言っておいて、すごい恥ずかしかった」


 結婚して六年経った今も、優香の恋人になる前から維持している艶やかで美しい身体には飽きない。


「……次の連休って何時だっけ?」


 照れを紛らすために、壁にかかったカレンダーに目を移して話題を変えた。

 優香も壁のカレンダーを見る。


「次の連休は日曜日と月曜日です」

「じゃあ、日曜の夜辺りにしようかな」

「今日じゃダメですか。私、やりたいです」


 提案すると、優香はお願いするように上目遣いに見てきた。

 俺の方は構わないが、やっぱり優香の疲労の方が心配だ。明日にも朝からテレビ撮影の仕事が入っている。


「ダメだ」


 強く拒否した。

 優香は驚いた顔はせず、しっかりと話を聞く姿勢で俺の言葉を待ってくれる。

 俺だって優香を抱きたい。けれど、ここで誘惑に負けるわけにはいかない。


「明日もテレビの撮影があるんだ。夫としてもマネージャーとしても優香の身体を酷使させたくはない」

「光人さん……」

「日曜は必ず要望通りにする。俺だってやりたいからな」

「わかりました」


 説得に近い俺の言葉に、優香は納得の表情で首肯した。


「でも……」


 しかし、唐突に困ったような微苦笑を浮かべる。


「でも、なんだよ」

「今週の日曜と月曜日は予定が入ってます」

「あれ、そうだっけ?」


 今日の仕事帰りにスケジュールに目を通したが、日曜と月曜日は連休だったはず。

 記入し忘れたとなれば、マネージャーとして風上にも置けないぐらいのミスだ。


「そういえば、光人さんにはまだ言ってませんでした。すみません」


 ごめんなさい、とチロッと舌を出すような声音で詫びた。

 なんだ。俺の記入忘れじゃないのか。


「ええとですね。日曜と月曜なんですけど……」


 ほっとする俺に、優香は口頭で予定を伝える。


「二日掛けて旅行したいと思ってます」

「旅行?」

「はい。私と光人さんで二人で」


 少しはにかんで答える。

 二人で、というフレーズが妙に浮かび上がって聞こえた。

 結婚してからを思い返すと、二人きりで遠出したことってないな。


「いいな、旅行」


 思わず呟いていた。

 優香の表情が笑みで崩れる。


「ですよね。久しぶりに二人で出かけましょう」

「いつの間に旅行なんて考えてたんだ?」

「それは秘密です」


 俺の質問ははぐらかされた。

 まあでも優香と二人きりで旅行とは考えるだけで楽しそうだ。

 今週の残り数日も頑張れる気がしてくる

 出掛ける前から心が弾むようだった

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