IF&AFTER STORYS

錦馬アフター 1

 錦馬の恋人になった俺は彼女の帰省に同伴し、旅館を営む錦馬の母と祖母を説得にしようと試みた。

 週末ごとに旅館へ通って説得五回目にして、錦馬が25歳まで、繫忙期には旅館を優先、錦馬の引退後は自分も住み込み従業員になる、という条件付きだがグラドルの仕事を継続していい許可が下りた。


 それから三年間は錦馬のマネージャーを務め上げ、錦馬のグラドル引退後に結婚し夫婦になった。

 待望の娘も生まれてすくすく育ち、次月から幼稚園の年長に上がろうという頃。


 夜に備えて俺が旅館の浴場を掃除し終えると、送迎兼宣伝係の福原さんが初老の皺が刻まれた顔に笑顔を浮かべて浴場の暖簾をめくり姿を現した。

 作務衣にゴム長靴の内装係姿で福原さんを振り向く。


「どうしたんですか、こんなところまできて」


 普段ならば浴場になど顔を出さない福原さんがわざわざ来るのは珍しいと、俺は疑問を投げる。


「若い方の女将さんが呼んでる。入口の方まで行ってあげて」

「奈津が? 何かあったんですかね?」

「わかりませんが、とにかく呼んでますよ」

「そうですか。じゃあすぐに行きますよ」


 旅館の若女将を担っている菜津は入り口で客人を出迎えるが、掃除が仕事の俺が入り口に呼び寄せられることは、ほぼない。

 呼ばれた理由は何にせよ、指示を聞かなければ後々小言を頂くことになるので、俺は急いでゴム長靴から草履スリッパに履き替えて入り口へ向かった。



 入り口に着くと、菜津が水色生地に可憐な花模様をあしらった着物で身を包んだ女将スタイルで俺の方を向いて真っすぐに立っていた。

 平身低頭で近づくと、俺の顔を疑るようにして睨んでくる。


「あんた、何か企んでる?」

「はあ?」


 呼んでおいて、いきなり企てを探ってきた。

 俺が要領を得ない顔をしていると、菜津は表情から疑いを消して案じ顔になる。


「企んでないならいいのよ。お出迎えした客が少し予想外で、仕組まれてるのかと思っただけだから」

「俺は何も仕組んでないから安心しろ。それで、予想外の客って誰だ?」


 旅館には様々な境遇の客が訪れ、宿泊していく。

 今までどんな珍奇な客でも対応してきた菜津に、予想外と言わしめる人物って誰だろう?

 俺が尋ねると、菜津は真顔で見返してくる。


「……知りたい?」

「まあ、興味はあるな」

「ちなみに、あんたも知り合いよ」

「共通の知り合いってわけか」


 菜津と俺の両方と知遇を得ている人物は、誰が居ただろうか?

 久しく会っていない顔を思い浮かべようとした時、はっとしたように菜津が入り口の方を振り向いた。

 つられて、同じ方向を見る。

 入り口の両開きにしたガラス戸の向こうから、記憶にあるショートカットの女性が快活そうな笑みでこちらに手を振っていた。

 野上だった。

 俺と菜津が揃って近寄ると、野上は嬉しそうに口を開いた。


「なっちゃん、浅葱さん。お久しぶりです」

「久しぶりだな」「久しぶりね」


 菜津とほぼ同時に挨拶を返す。

 野上は冷やかすようにニンマリと笑んだ。


「なっちゃんと浅葱さん、相変わらず仲いいです」

「……」「……」


 俺と菜津は同じくように照れて黙ってしまった。

 だから、仲良いって言われるんだろうな。


「優香?」


 菜津が遠慮気味に話しかける。

 なんですかなっちゃん、と野上は昔のままの態度で訊き返した。


「あなたの前では、女将の顔をしなくてもいいわよね?」

「もちろんです」

「そう、なら楽だわ」


 微笑み、ほっと息をついた。


「ところで訊くけど。野上はどうしてうちの旅館に来たんだ?」


 東京から群馬まで気まぐれで、とは考えられない。

 野上は快活な笑顔のまま答える。


「テレビ撮影で群馬に訪れたので泊まりに来ました」

「なるほど。要するに、ついで、か」

「そんな言い方しないでください。女将姿のなっちゃんと会えるの楽しみにしてたんですから」


 そうなんだ、と納得しかけて悲しくなった。

 俺とは会うのは楽しみにしていなかったらしい。所詮、好意を感じなくなってフった元彼だし、当然か。

 俺が一人で悲嘆していると、野上は菜津に向き直った。


「今日の夜、部屋を共にしましょうなっちゃん。積もる話はたくさんあるんです」

「いいわよ。一応お母さんにも聞いてみるわ」

「ありがと」

「私も楽しみだわ。優香に聞かせたいたくさん話があるのよ」


 菜津と野上は二人して笑い合った。

 思えば二人がこうして喋るのを見るのは、菜津がグラドルを辞めてから初めてだ。

 月日が経ち環境が変わっても、グラドル時代の友誼は揺るぎないんだな。

 二人が快適に過ごせるように、俺は裏方に徹するか。

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