10-5
2月13日。フラワーバレンタイン実行の前日、俺は源次郎さんと行動を共にしている。
店長の親父が源次郎さんの知り合いだというフラワーショップを訪れ、バレンタインのために特別に仕入れたという花の中から選ぶことになった。
「どれがどれだか、わかりませんね」
フラワーバレンタインの特設ブースの中で、花に疎い俺はチューリップとバラぐらいしか判別できず悩んでいる。
源次郎さんと喋っていた伊達な雰囲気をもつ店長の親父さんが話をやめて、気にかけたように俺の方を振り向く。
「何の花を贈るか。決めてないのか?」
「ええ、見てから決めようと思ってたので」
「そりゃ甘い考えだな。一概に花を贈るといってもそれぞれ花言葉がある。友情のつもりで恋人でもねぇ相手に真っ赤なバラを贈れば愛の告白になりかねないぞ」
「はあ、なるほど」
オーソドックスな赤いバラでも、と思っていたが、安易な選択はやめたほうがよさそうだ。
あくまで感謝の気持ちを伝えたいのであり、愛の告白をするつもりはないからな。
「ここにある花の花言葉ならおおよそ覚えってから、どういう相手なのか言ってみろ」
俺に任せろ、と言わんばかりに促してきた。
無理に見栄を張らず、専門の人に手伝ってもらおう。
錦馬との関係は――。
「贈る相手は仕事仲間ですね」
「年齢を近いのか?」
「一つ下です」
「どういう気持ちで贈りたいんだ?」
「日頃の感謝を伝えたいんです」
「そうか、わかった」
頷いて請け合うなり店先の方を振り向いて片手をメガホンのように口に当てた。
のぶひろー! と息子の名を呼ぶ。
しばしして伊達な親父さんとは似ても似つかぬひょろりとした眼鏡の紳士が、特設ブースに顔を出す。
「父さん。何か?」
「のぶひろ。お前はこっちの若い客の方を桔梗のところまで案内してやってくれ。俺はゲンの方を応対する」
「わかった」
のぶひろさんは父親に頷くと俺に顔を向けた。
「バレンタインの贈り物ですよね?」
「はい」
「相手は仕事仲間ですよね?」
「はい」
「案内します。ついてきてください」
のぶひろさんは愛想よく言って歩き出した。
俺は後ろをついていく。
「こちらですね」
振り返りながら立ち止まり、傍らの花の群を指さした。
ベルのような形に開いた紫っぽい花が幾つも鉢植えごと陳列されている。
「親父は桔梗って言ってましたけど、僕的にはこちらがいいかと」
「この花は?」
「カンパニュラです。風鈴草とも言いますね」
「聞いたことないです。すみません」
「名前はどうでもいいんです。大事なのは花の持つ意味や花言葉ですから」
慰めるように言って微笑んだ。
「それで肝心の花言葉は感謝です」
「ぴったりですね」
まさに今回の贈り物の目的と合致している。
「バラよりも男性向きということでもお客様の要望にピッタリかと」
「男性向き?」
「はい、男性向きですよ。仕事仲間に贈るのですよね?」
俺の間抜けな問いかけにさらに聞き返してきた。
相手が女性なの伝え忘れてた。
「仕事仲間には間違いないです。でも女性です」
「あ、それは申し訳ございません。いいなぁ女性かぁ」
丁寧に謝った後、嘆きのような羨望の声を漏らした。
仕事仲間に女性がいるなんて珍しいケースでもないだろうに。
「女性の場合は別の花でもいいかもしれませんね」
「何がおすすめですか?」
「贈る相手の写真って持ってないですか?」
「え、写真?」
「はい。その人の印象でおすすめを決めますので」
冗談ではない真面目な顔で言い切った。
生憎、錦馬の写真を持ってないんだよな。勝手に撮っても機嫌悪くしそうだし。
あっ、でも待てよ。錦馬ぐらい知名度のあるグラドルならネットで画像を拾えるかも。
「ちょっと待ってください」
のぶひろさんに断りを入れ、スマホで『錦馬奈津』を検索にかけた。
識別しきれないほど錦馬のグラビア写真や画像がヒットした。
中でも容貌が最も明瞭な正面から撮った画像を選んで、のぶひろさんに見せた。
どういう女性ですか、と訊きながらのぶひろさんが覗いてくる。
「うおっ」
思春期の子供が母親の着替えを見てしまったような声を出して目を見開いた。
のぶひろさんの顔が若干赤くなる。
「こんな美麗な女性と仕事してるのですか?」
「ええ、まあ」
ここまで驚かれるとは。グラビア画像っていうのも驚きを助長してるとは思うけど。
のぶひろさんは画像にじっと熱視線を注ぐ。すると唐突に顔を上げて、メガホンのように口に手を当てた。
俺の遥か後方へ叫ぶ。
「父さん!」
「……のぶひろ!」
のぶひろさんの呼び声と被さって、親父さんの呼び声が同時に響いた。
親父さんのほうがのぶひろさんの元へ嬉々とした笑顔で駆けてくる。
手には源次郎さんのスマホが握られている。
「のぶひろ。見つかったぞ」
「ああ、父さん。僕の方も」
「なにい。では二人同時か?」
「そうだね」
親子は互いに手を取り合い共有する話題で盛り上がると、宝物を手に入れた盗賊のようにフヒヒと笑い始めた。何事、怖い!
「スマホを返してほしいのだが」
親父さんを追ってきたのか、源次郎さんが早足で俺の横を通り過ぎながら親父さんに片手を差し出す。
親父さんは源次郎さんのスマホを掲げ、画面に人差し指を突いた。
画面には野上のグラビア写真が映っている。
「ゲン。この子をのぶひろの結婚相手として見合いを組んでくれないか!」
「断固拒否します」
冷気が口から漏れ出ているかと思うほど冷淡な声で源次郎さんが即答した。
うおおおおおおおおおお、と親父さんがこの世の終わりのように悲嘆にくれて、頭を抱え膝から崩れ落ちた。
「大丈夫だよ、父さん」
のぶひろさんが屈んで親父さんに慰めの表情を向ける。
「まだ、一人いるから」
「ああ」
決然とした顔を俺の方に上げた。
まさか。
「不束者ですが。お客さんが提示された画像の子とお見合いを組んではいただけないでしょうか」
やっぱり。
しかも、不束者って男性が使う言葉じゃない気がする。
「すみません」
俺は迷いなく断った。
「そういった交際に関する要望は当方としては受けかねます」
「ぐうっ」
泣き出しそうに目のふちに涙を浮かべ、のぶひろさんは悔しげに唇を噛みしめた。
誰だって突然に求婚されたら拒否するわ――ここって、フラワーショップであってるよな?
店先に行って店種を確認したくなった。
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