10章 2月14日。待つばかりじゃ駄目だよな

10-1

 正月の余韻なのか一月は仕事が少なくあっという間に過ぎ去ったが、二月に突入すると撮影の仕事が連続で入り、前のような忙しい日々が戻ってきた。

 二月初めの撮影も今しがた終わり、錦馬は撮影スタッフと話があるというので俺は先に休憩室に戻ってきた。


「うん?」


 ふとスチール机の上に目が留まった。

 見覚えのない週刊誌が置いてある。

 机に近づいてどんな雑誌か確かめた。

 某出版社の漫画雑誌だ。そういえば今日の撮影は同じ雑誌の巻頭グラビアだったはず。

 雑誌の表紙では笑顔満点なポニーテールの女の子が水色ビキニの姿で膝立ちしている。

 思わずじっと見てしまう。


「いつのやつだろ?」


 誘惑に負けたことを誤魔化すようにつぶやいて雑誌を手に取って椅子に腰かけた。

 表紙にグラドルの名前が載っているが、知らないので恐らく違う事務所の人なのだろう。

 爽やかで可愛いな、とは思うけど、それだけだ。錦馬と仕事してるからか知らぬうちに目が肥えてるのかもしれない。

 表紙を捲ると、表紙とは違うちょっと扇情的な姿勢をしていた。

 ページの隅に溶け込むようにプロフィールが記載してあり、流し読む。


「あれ?」


 プロフィールに引っ掛かりを覚えた。

 もう一度、最初から読んでみる。


「ああ、そうか」


 引っ掛かりの正体がわかった。スリーサイズだ。

 90/57/86 となっている。

 確か、錦馬のスリーサイズは94/57/87だ。

 錦馬のプロフィールをしっかり記憶していることに少し恥ずかしさを感じたが、それはさておいて巻頭グラビアの女の子を子細に眺めた。


 ――うーん。

 やっぱりどう見ても公表しているスリーサイズ通りとは思えない。

 特にウエスト部分。


「錦馬より見るからに……」

「あたしより何って?」


 突如、背後から錦馬の声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、休憩室の入り口から興味ありげな顔をしたバスローブ姿の錦馬が近づいてきていた。

 グラビア写真に気をとられていた後ろめたさで、慌てて雑誌を閉じる。って、しまった。表紙もグラビアじゃねーか。


「で、何してたの?」


 訊きながら、錦馬が俺の手元を覗き込む。

 雑誌を目に入れた瞬間、ニヤッと冷やかすように笑った。


「あんたも人並みにはそういうのに関心あるのね」

「バカちげぇよ。勉強だ、勉強」


 グラビア写真を見ていたことは言い逃れできないが、仕事のためという体裁は取り繕っておきたい。

 ふーん勉強ね、と錦馬は全く納得していない様子だ。


「お前、信じてないだろ」

「それじゃどんな勉強してたの?」

「それはだな……」


 もっともな内容をでっち上げようと頭を捻る。

 すると一つだけ思いついた。その一つを平然と口に出す。


「市場調査だ」

「上手いウソを思いついたわね。あたしにもちょっと見せて」

 

 見透かした声で言いながら、雑誌に手を伸ばす。

 俺は隠そうとする気力もなくし、錦馬が雑誌のグラビア写真を見終わるのを諦めの気分で待った。


「ねえ、あんたはこういう子が好きなの?」

「いや、好きじゃない。可愛いとは思うけどな」

「可愛いのはあたしも同意見。でも腹立たしいわ」

「はあ?」


 腹立たしい、と錦馬ははっきりと口にした。

 俺は何か機嫌を害すようなことをしでかしたのだろうか。

 錦馬は雑誌を俺のほうへ突きつけるように翻す。


「あんたはこれを見てどうも思わないの?」

「どうって、まあ、プロフィール本当かなぁぐらいには」


 スリーサイズと直截に答えると下心あるように思われそうなので、あえて大枠に捉えて答えた。

 わが意を得たり、と錦馬がほほ笑んだ。


「さすがのあんたでも鵜呑みにはしてないのね。この人スリーサイズを詐称してるわよ」


 間違いないという表情で言い切った。


「やっぱりか。どう見ても錦馬よりも太そうだったからな」

「あんたの言う通りあたしよりか太いわよ。身長もあたしと同じぐらいだし」

「まあ、でも女性芸能人のスリーサイズなんてサバ読みばっかだろ。入澤さんからの入れ知恵だけど、ウエストはプラス4センチで見ろって言われたよ。ははは」


 冗談のような愉快な気持ちで俺は笑った。

 当然錦馬も笑ってくれるものだと思っていたが、違った。

 錦馬はいまにも青筋を浮き立たせんばかりの顔だ。えっ?


「そういう風潮が腹立たしいのよ」

「どういうことだ?」

「ここで待ってなさい。すぐに戻ってくるから」


 一方的に言い残すと、錦馬は休憩室を出て行った。

 錦馬の怒る理由がわからず安易に部屋から動けないでいると、一分ぐらいで錦馬は戻ってきた。

 右手には何故か計測用のメジャーを持っている。


「おい、何をする気だ?」

「はい、これ」


 メジャーを俺に差し出す。

 57センチを輪にして作ってみなさい、とか言うのだろうか?


「これで何をしろと?」

「何をするって、メジャーなんだから測るのよ」


 俺が変なこと訊いているような口ぶりで言い、バスローブの紐をほどき始める。

 水着を着ているのは知っていたが、目を手で覆うかどうか迷った。

 迷っているうちに、錦馬はバスローブを脱いで机に置く。

 改めて間近に見るが、ほんとスタイルいいな。

 錦馬は挑戦的な目になる。


「あたしが本物の57センチを教えてあげるわ」

「な、なんのために?」

「サバ読んでるのが当たり前みたいな風潮がむかつくからよ。プロフィール通りの人だっているっていうのを証明するの」

「だからって、俺が測る必要は……」

「いいから早く測りなさい。休憩室でずっとこの格好してたら異常者みたいになっちゃうじゃない」


 何かに駆り立てられたように言った。

 自分のウエストを測りなさい、って提案するほうが異常だと思うけど。それを正直に話したら余計に怒られそう。


「ほんとにいいのか?」

「早くして」


 急かすと、両腕を持ち上げた。


「じゃあ、測るぞ」


 一応断りを入れてから、俺はメジャーの巻き尺を引き出してかがんだ。

 その部分だけ抉り取ったようにくびれた錦馬の腹囲に巻き尺の端を当てる。


「ちょっと待って!」


 唐突なマッタの声にびっくりして腹部からメジャーを離す。


「どうした?」

「なんでもない。ほら、いいわよ」


 頬をほんのり赤くして了承を下し、伸びをするような格好で腕を上げた。


「腕の上げ方が大袈裟じゃないか?」

「そんなことないわよ」

 否定して、目線を逸らす。

 今になって恥ずかしくなったのか? 俺だって恥ずかしいんだけど。


「嫌ならやめるけど」

「ここまでしておいて後戻りできないわよ。早く測って」

「……わかったよ」


 錦馬の頑固さに根負けして、へその横あたりに巻き尺を当てる。

 最もくびれた部分に沿わせながら巻き尺を引き出していき、反対側の見えないところまで回った。

 右手から左手へ巻き尺を伸ばす手を入れ替える。


「……手つきがやらしい」


 怒るでも貶すでもない恥ずかしさに耐えるような声音が錦馬の口から洩れた。

 思わず入れ替えていた手が止まる。


「……仕方ないだろ。やったことないんだから」


 気まずさをおして言い返した。

 強行突破のような気持ちで錦馬の腹囲を手早く一周させる

 0の位置と重なった巻き尺上の数値に目を凝らす。

 57センチと――――8ミリだ。

 四捨五入したら58センチになってしまうんだが。


「どう、57センチでしょ?」

「57,8たぞ。小数点切り上げたら58になるけどいいのか?」

「切り上げないで。小数点ぐらい見逃しなさいよ」

「でも8ミリだぞ。大きくないか?」

「そんなの誤差よ。いいから見逃しなさい」

 有無を言わせぬ口調で言われた。

 まあ確かにミリ単位は誤差のうちだろう。

 錦馬の主張を認めて巻き尺をゆるめようとしたとき、ノックの音もなくドアが開いた。

 窃盗の現場を目撃されたみたいな驚きでドアの方を振り向く。

 ドアを半ば開けた状態で、撮影スタッフの若い男性が俺と錦馬を無言で見つめていた。

 マ、マズい。


「……独特な遊びしてますね」


 苦笑いとともにそう言い残すと、静かにドアを閉めて廊下に姿を消した。

 途端に錦馬との間に微妙な空気が流れる。


「なんかごめん」


 俺は錦馬の顔を見ないようにして謝り、メジャーの巻き尺を収納する。

 錦馬が伸びのような姿勢をやめた。


「……それらしく誤魔化しといて」

「ああ」

 

 言い訳は考えれば幾らでもあるだろう。

 それにしても。裸を見たわけじゃないのになんでこんな胸が詰まるように気恥ずかしいんだろうな。

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