9-6
遊園地からの帰途。
陽が沈んで一層寒くなった駅のホームで、俺は錦馬と意味もなく並び立って乗るべき電車を待っていた。
「あと一分早かったら一本前に乗れたのにね」
錦馬が隣で残念そうに言った。
「今更嘆いたって仕方ない。それに十分もすれば次が来る」
「けど寒いじゃない」
「そればかりはどうしようもない。車内に乗り込めば暖房が効いてるだろうから、それまでの辛抱だ」
根性論を押し付けると、錦馬が呆れた目を向けてきた。
「辛抱させないでよ。さりげなくカイロでも出して温めてくれる甲斐性はないの」
「カイロなんて持ち歩いてねえよ。朝出るときここまで寒くなかったからな」
「甲斐性なし」
「悪かったな、甲斐性なしで」
自分に甲斐性がないことを知っていても、いざ面と向かって言われるとムカつく。
近頃は俺への当たりが柔らかくなったと思っていたが、不満があるのは相変わらずらしい。
「大丈夫。寒くない? とか、手冷たくない? とか訊くぐらいしなさいよ。男性のあんたよりも体温が低い女性なんていっぱいいるのに」
「……錦馬。手、冷たくないか?」
「言われてから訊いてるようじゃ遅いわよ」
「冷たいのか冷たくないのか。どっちだ?」
押し切るように二者択一を迫った。
甲斐性なしと言われたまま引き下がれない。
「冷たいけど。カイロ持ってないんでしょ?」
どうせ、という目つきで俺を見てくる。
「ああ、持ってない」
「代わりに俺の手で温めてあげる、とか言わないでよ気持ち悪い」
「そんな気障なセリフ言わないから安心しろ」
というか、気持ち悪いのトーンがマジだったぞ。
「別に今から気にしなくていいわよ。乗るまで我慢するから」
そう言って、両手の体温を共有させるように揉み手した。
冷たいなら冷たいって最初から教えてくれればいいのに。
まあ、言う前に気付けってことなんだろうけど。
「売店であったかい飲み物買ってくるから、ちょっと待ってろ」
一時この場を離れることを告げて、駅の売店に向かった。
売店でブラックとシュガー入りのラテを一本ずつ購入して錦馬の下に戻った。
俺が近づくのに気づいて錦馬が振り返る。
「ほんとに買ってきたのね」
「そんなことで嘘つくかよ。ほら、どっちがいい?」
ブラックとラテ両方を突き出した。
錦馬は二つの間で手を浮かせて、迷った表情をする。
「そうね。甘いの飲みたいけど、飲んじゃっていいのかしら?」
「好きな方選べ。俺はどっちでもいいから」
「じゃあ」
錦馬はラテを選んで手に取った。
片方の手に残ったブラックを両手で挟む。温かい。
「甘いものが美味しいのがいけないのよ」
誰に対してかわからない言い訳をぶつぶつと呟きながら、錦馬はラテの缶を左手に持ち右手をプルにかけた。
躊躇なくプルを開けると、口に近づけて喉に流し入れる。
ほわりと口元を綻ばせた。
「うまそうに飲むな」
「……」
冷やかしを含めて言うと、錦馬は飲み口をじっと眺めて何やら考えはじめた。
「どうした?」
「ダメね」
「何が?」
「ここで自制しとかないと歯止めが効かなくなりそう」
訳わからぬことを口にして、無言でラテを突き返してきた。
はい?
「残りはアンタ飲んで。やっぱり無糖にする」
「今頃そんなこと言うなよ」
しかも、ラテが飲みかけだぞ。さらにそれを飲めと?
何言ってんだよ、こいつ。
「いらないなら捨ててこい。ブラックの方はお前にやるから」
「食べ物を粗末にするようなことしたくないわよ。それに一口しか飲んでないから、まだたくさん残ってるし」
「量の問題じゃないんだよ」
錦馬の飲みかけを喫飲するのは、つまり間接キスということで。
そんな小っ恥ずかしいこと、簡単に出来るか。
「どうせ……」
錦馬の俺を見る目に呆れが宿る。
「気まぐれな奴だな、って思ってるんでしょ」
「いや……」
思っていないわけではないが、それよりも。
「その、これ、間接キスになるよな」
「…………」
次の瞬間、錦馬の顔が真っ赤に茹で上がった。
慌てて俺から顔を背ける。
「そ、そういうこと、口に出さないでくれない。い、意識しちゃうじゃない」
「悪い。デリカシーなかったな」
「ほんとよ。貰えるものはすんなり貰っておけばいいのよ。これじゃあえて間接キスすることになるじゃない」
「お前、気づいてなかったのか?」
「あんたに言われてから気づいたのよ」
「飲まないなら捨ててきてやるから貸せ」
「ダメよ。捨てるのはダメよ」
「じゃあどうしろって言うんだよ?」
「どうしろって……そりゃ」
逡巡するように言葉を切る。
しばし目を伏せて思案してから、決然と顔を持ち上げた。
「飲んでいいわよ」
「マジで言ってる?」
こくんと頷いた。
「アンタとは間接キスぐらいで恥ずかしがる仲でもないと思うから、そうでしょ?」
「え。そ、そうなのか?」
「思春期じゃないんだから、ね?」
「そ、そうだな。じゃあ残りは俺が飲み切るよ」
錦馬が言うことは理解できる。どっちも成人した男女で間接キスぐらいなんてことはないのだ。
自分にそう言い聞かせ、ラテの缶を受け取る。
飲み口に唇をつけ、錦馬を意識しないようにして中身を啜った。
……普通の甘いラテだ。
「ブラックの方、もらうわね」
さらに一口飲もうとしたとき、錦馬がブラックの缶を俺の手からかっさらうよう
に取った。
成分表を一瞥する暇もなくプルを開いて一喫する。
「無糖を飲むとなんだか気が引き締まるわね」
「別にこれから仕事するわけでもないだろ」
「なんていえばいいかな。休息から労働に心が切り替わる感じ」
「スイッチみたいなもんか」
「そう、それ」
我が意を得たりという笑みを浮かべた。
ブラックコーヒーがやる気のスイッチか。スポーツ選手のルーティンに近いだろうか。
錦馬が隣でため息を吐く。
「明日からはまた糖質制限の日々よ。撮影まではスタイルを保っておかないといけないから」
「大変だな。糖質制限」
甘いものを好んで食べる錦馬を知ったからか、いつになく気の毒に思った。
「ええ、大変よ。今日みたいに甘いココアなんて飲めないもの」
「そうだよな」
相槌を返した時、ふと錦馬への質問が頭に浮かび上がった。
こういう類の質問は今までしたことなかったかもしれない。
「なあ、錦馬。食べたいものを我慢してまで、どうしてグラドルを続けてるんだ? 入澤さんみたいにグラドルが好きなのか?」
「需要があるからよ」
唐突で意表を突くような質問で返答に間があるかと思ったが、錦馬は用意していたみたいにはっきりと答えた。
「自分のことを認めてくれて、自分のことを求めてくれる人がいるから、あたしはグラドルを続けてるの。誰かに期待されることって中々ないじゃない」
「……そうかもな」
他人から自分の存在を欲され、それに応える。
錦馬の言う通り、そうそうあることでも出来ることでもない。
「高邁な目的があるわけじゃないのよ。がっかりさせちゃった?」
「いや。むしろ感心した」
周りの要求に本気で向き合える姿勢は文句なしにプロのものだ。
仕事熱心な錦馬に置いていかれないように、マネージャーである俺も改めて身を引き締めないとな。
「あっ、やっと来たわね」
襟を正すような思いでいると、錦馬が軌条の奥から駅のホームへ接近してくる車両を目に入れて、そちらへ首を回した。
ホーム内で車両の来着を告げるアナウンスが響き始める。
「コーヒー、飲み切らないと」
慌ててブラックの缶の中身を口に流し入れる。
俺もラテの残りを一気に飲み干した。
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