9-3

 ジェットコースターを一周した後に乗車席から降りると、錦馬が青白い顔色をして疲弊したように肩を落とした。


「ジェットコースターってこんなに高かったっけ?」


 錦馬はジェットコースターの乱高下する軌道にかなり身を削られたようだ。

 発車前は、この程度で緊張するなんてビビりね、などと言って俺を煽ってきたくせに、いざ終えてみたら錦馬の方が堪えていた。


「お前。恐くないんじゃなかったのか?」


 搭乗スペースの出口へと向かう人の流れの中で、俺はわざとおちょくる口調で言ってやった。


「あんな上下するなんて思ってなかったのよ。認識が甘かったわ」

「あんなものだろジェットコースターって。これよりハードな奴なんていくらでもあるんじゃないか」

「いやっ、これ以上キツイのなんて考えるだけでゾッとするわ」


 もはや泣きそうな面で言っている。

 これは少し休ませた方が良さそうだ。ジェットコースターの近辺に休憩用のベンチがあったはずだ。


「次乗る人の邪魔になるから、とりあえず下に降りるか。ベンチもあるし」

「……ああ」


 それとなく休憩に促すと、錦馬は悲しげに空疎な声を出した。

 どうも様子が変だ。


「どうした。乗ってる間に何か落としたか?」


 訊くと、フルフルと首を横に振る。


「じゃあ、なんだよ?」

「……腰が抜けちゃってる」

「マジか」

 

 どれだけ恐かったんだよ。


「うう、腰が抜けて動けないのよ」

「下のベンチで休むか?」


 錦馬は頷き、ゆっくりと腕を伸ばしてくる。

 俺の服の袖を掴むと、気力を無くしたように項垂れてしまった。


「ベンチまで連れてって」

「言われてもなくてもそうするよ」


 弱った婆さんみたいな錦馬を放っておけるわけないだろ。

 錦馬を労わりながら近くのベンチに向かった。

 

 

 錦馬が立ち直るのを待ってベンチで休憩していると、俄かにフードコーナーに人が多くなって賑やかになってきていた。

 スマホで時間を確認すると、もうすぐ正午になろうとしている。


「なあ、昼どうする?」


 隣でつま先を無為に眺めている錦馬に尋ねた。


「……パスタ」

「パスタが食べたいのか?」

「ナポリタンにカルボナーラ」

「その言葉に俺はどう返せばいいんだ?」


 唐突に代表的なパスタの種類を口にされても困る。

 錦馬は俺の方を振り向いた。


「ナポリタンとカルボナーラ、あんたはどっち食べたい?」

「どっちでもいいけど、そんなこと訊いてどうする気だ?」

「どっちも食べたいんだけど、どっちも食べたら満腹になっちゃうじゃない。だからあんたに選んでもらおうと思ったの」

「なるほど。確かに両方頼んでも一人じゃ多いな」


 それにパスタ二種は食べていても飽きそうだ。


「あんたがどっちでもいいとなると迷うわね」


 呟き、腕を組んで真剣に悩みだした。

 しばしして名案が浮かんだのか、楽しいことを想像しているかのように口元を緩ませた。


「決まったわ」

「で、どっちだ?」


 錦馬がどちらを食べようが俺には関係ないのだが、会話の流れに釣られて思わず訊いてしまう。

 錦馬は勝ち誇るような笑みを浮かべた。


「どっちも頼めばいいのよ」

「……おい、どっちも食べたら満腹になっちゃうって言ってなかったか?」


 呆れた。本末転倒だ。


「満腹にしないためにあんたの出番よ」

「はあ?」

「両方頼んで残った分はあんたが食べて。廃棄するわけにもいかないから」

「廃棄すべきでないっていう考えは賛成だが、そもそも頼む品目を減らせばいいのでは?」

「それが出来ればこんな提案しないわよ。今日カルボナーラを我慢したせいで、撮影が近くなってからカルボナーラを食べたくなっちゃったらどうするのよ」

「そこまで想定してるのかよ」

「当たり前じゃない。撮影当日になってウエストが太くなってたら嫌だもの」


 錦馬らしいプロ意識だ。

 普段我慢してる分、食べると決めた日に色々食べたいのだろうな。


「どうしても食べたいんだな?」

「そうよ。いいでしょ?」


 俺の目を見つめて許しを乞うてくる。

 野上に示しがつかない、と言っていた理由がわかった気がする。


「仕方ないな。好きにしろ」

「ありがと」

「礼はいらん。好きな物好きなだけ食べるんだろ?」

「そのつもり。やっぱり優香を誘わないで正解だったわね」


 はしゃぐ気持ちが抑えきれない口調で言った。

 糖質制限を勧めている手前、パスタ食べたい、なんて優香の前でとても口にできないのだろう。


 我慢の捌け口として頼ってくれるのは、俺としても悪い気分じゃない。

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