9-2
電話から二日経った今日。
俺は錦馬に誘われて、『海が最も近い遊園地』を売り文句にしている県外の遊園地に訪れた。
「チケット持ってたから、なんか優遇されてる気分ね」
ゲートを潜ってすぐに、ショートブーツに砂色のムートンコートを着た錦馬がちょっと誇らしげに言った。
天気は晴れて行楽日和、と言いたかったが一月の寒さが頬に刺さる。
「偶然にくじで当たっただけだろ。優遇されてるわけじゃない」
「それはわかってるわよ。気分だって言ってるじゃない」
指摘されて冗談っぽくむくれた。
今日の錦馬はいつにもまして上機嫌だ。
「俺、遊園地なんて何時ぶりだな。錦馬は最後に来たのいつぐらいだ?」
「私もずいぶん来てないわよ。チケットがなかったら来ることもなかったでしょうし」
「それじゃ、最初は何に乗るとか決めてないのか?」
「そうね。あんたは何乗りたい?」
「俺に訊くなよ。お前に誘われて来ただけだからな」
正直、今日の予定は錦馬に任せるつもりだった。
あくまでマネージャーとして同行させてもらってるだけだから、どれ乗りたいとかあれしたいとか言える義理もない。
「そうね……」
錦馬は敷地内に点在する遊具を見回しながら考えはじめた。
しばらくして俺に向き直る。
「喉、乾いてない?」
「それほど」
「そう、私は喉乾いてきた。やっぱり冬は乾燥しやすいのね」
「だからなんだよ」
「何か飲み物買いに行きましょ」
そう言い出して、右方にあるドリンクコーナーを指さす。
乾燥しやすいのね、の前置き必要だったのか?
俺はホットコーヒー、錦馬は甘―いホットココアを買って、ドリンクコーナーを後にした。
驚愕だった。錦馬が糖分の多そうな飲み物を飲んでいる。
「なあ、錦馬」
隣でベンチに座ってドリンクの容器を口に付けている錦馬に話しかけた。
ココアを口へ流しながら目だけを向けてくる。
「それ飲んでいいのか?」
俺の質問の後に錦馬は容器から口を離した。
こちらを振り向き、さも当然という顔をする。
「買ったんだから飲んでいいでしょ?」
「まず、買ってよかったのか?」
「何よ、あたしがココアを買って飲んでたらおかしいの?」
「おかしいというか、なんというか」
直接切り出していいものか。
それ糖分高いぞ。そんなもの飲んで太らないのか、と。
「変なこと言うわね」
不思議そうに言いながら、容器を下から覗くように眺めはじめた。
「何もおかしいところないわよ」
「……お前らしくないなと思って」
遠回しに違和感を告げた。
錦馬が疑問符を浮かべたような顔で首を傾げる。
「どういうことよ、わかるように言いなさいよ」
「そのココア、かなり甘いよな?」
「そうね。甘ーいホットココアだもの……え、もしかしてそういうこと?」
ようやく俺の言わんとすることがわかったらしく、合点のいった表情になる。
俺が頷くと、安堵したように微笑んだ。
「心配してくれたのね。あたしが糖質高いもの飲んでるから」
「心配というか、まあ、気掛かりだわな。いっつも糖質制限してるお前が、平然と甘いココア飲んでるんだから」
「実は、甘い物好きなのよ」
聞いて驚け、というようにニヤリと笑った。
多分俺は今、呆けた顔をしている。
「今日は制限しないつもりでいるの。好きなものを好きなだけ食べるつもり」
「どうしたんだ、頭でも打ったか?」
真面目に訊くとムッとされる。
「どこもぶつけてないわよ。あたしが甘い物好きだとおかしいっていうの?」
「おかしくはないぞ。おかしくはないけどさ」
「言いたいことあるなら言いなさいよ」
「言っても怒るなよ?」
「怒らないから言ってみなさい」
「太るぞ」
瞬間、錦柄の目がキッと鋭利になった。
突然空いている方の手が動いたかと思ったら、いつの間にか俺の太腿をつねって
いた。
「イテェ!」
皮膚がちぎれるような痛みに思わず叫んだ。
不機嫌極まりない、という風に錦馬が顔を顰める。
「よくもまあ、そんな失礼なこと言えるわね」
「怒らないつっただろ」
「あまりにもデリカシーがーないから戒めよ」
理不尽だ。言いたいことあるなら言いなさい、と促してきたのが錦馬の方である。
「何よ、そのいかにも不満そうな顔は?」
俺の顔をじろりと見たまま、錦馬は目を鋭く細める。
「ああ、大いに不満だ。怒らない言ってみなさいって促すから俺は正直に言ったまでだ。それなのに腹が立ったからって腿をつねるとはな」
「だったらもうちょっと言葉選びなさいよ」
「最初は遠回しに質問してただろうが」
「そっ……」
俺の言葉に何か言い返そうと口を開きかけて、固まった。
考えるように目を伏せ、しばらくして窺う視線で真っすぐに見据えてくる。
「お前らしくない、って言ったところ?」
「ああ、そうだよ。そんなもの飲んで太らないのか、っていうニュアンスで訊いたんだ」
「そう聞いてきたら怒ってたわね」
やっぱり。言葉を変えといて良かった。結局は怒られたけどな。
俺ばかりに非があるわけではないと腑に落ちたのか、錦馬の顔から段々と険が薄らいでいく。
「あんたもそれなりには気を遣ってくれてたのね」
「気を遣ってないとマネージャー業なんて務められないからな。お前と仕事してたら自然と鍛えられてたんだよ」
「じゃあ、あたしのおかげ?」
途端にニヤニヤと嬉しそうな笑みを浮かべて尋ねてくる。
「……そうだよ」
俺は認めた。
今では時折からかいもするが、マネージャーになったばかりの頃は錦馬の気に障ることをしないように常に意識していた。
錦馬のおかげ、と言っても確かに過言ではない。
「それで、何しようかしらね?」
錦馬は視線を正面に戻すと、話題を変えるように言って音を立てずに容器から一口啜った。
「あれでも乗るか?」
多くの客を乗せて空中のレールを駆け巡るジェットコースターを眺めながら、俺は錦馬を誘う。
そうしましょ、と錦馬は答え、残り少なくなった容器の中身を飲み干した。
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