8-3

「なっちゃん、浅葱さん」


 三人ほどに挨拶回りをしたところで、記憶に濃く覚えている溌溂な声が聞こえた。

 ドキリとして声のした方に顔を向けると、錦馬の横を通り過ぎて笑顔の野上が俺の方に駆け寄ってきていた。


 野上――。


 夏にプールへ行った時の帰りを思い出し胸に苦みが走ったが、野上はあの時の事を忘れてしまったかのようにニコニコとして俺の前で立ち止まった。

 膝から下を露わにした明るい色合いで広がりの控えめなスカートドレスを身に着けている。


「私となっちゃんと浅葱さんの三人になるの久しぶりです」

「……そうだな」


 野上は以前のような気安さで接してくるが、俺はどうも気持ちが晴れず会話するだけで喉が詰まる。


「早速ですけど、なっちゃんを借りますね」


 当たり障りのない言葉を、と思っているうちに野上は告げて、俺の前を離れ錦馬に歩み寄った。


「なに優香?」

「行きましょう。なっちゃん」


 満面の笑顔で錦馬の腕を取る。


「行くってどこに?」

「詳しいことは行けばわかります」


 事情もわからない様子のままで錦馬は野上に引っ張られ、人群れを抜けて会場の隅の方へ連れていかれてしまう。

 遠くなった二人の姿は人群れに隠れ、すぐに見えなくなった。


「何を話してるんだろう」


 俺の事じゃなければいいが。

 錦馬が戻ってきたら探りを入れてみるか。今はひとまず挨拶回りをしよう。

 事務所関係者を探して辺りを見回す。


 あ、あのテーブルに三人。


 見つけて、関係者のいるテーブルへ近づく。

 揃ってスーツかタキシードだから服装で職業の区別がつかないよな。雑誌関連なら錦馬を売り込――


「うぉ!」


 人のいないテーブルを通り過ぎようとした瞬間、右足首に掴まれるような感覚がして、バランスを崩しかけた。

 左足を降ろして転ぶ前に踏みとどまる。

 

 なんだ?

 

 右足首へ視線を落とすと、華奢な腕がしっかりと右足首を握っていた。

 腕の伸びる先を目で辿ると、白いクロスのかかったテーブルの下から腕は生えている。


 ええ、どういうこと?


 テーブルの下に誰かいるのか? 腕だけあって姿がないということはあり得ない。


「チッ」


 テーブルの下から舌打ちの音が漏れ、腕は足首を放してすっと引っ込んでいった。

 このまま悪質いたずらをする正体を突き止めないでいられようか。

 確かめのために、カーテンのようになっているクロスの端を掴んで捲り上げた。


「お前か」


 正体を知って呆れる。

 テーブルの下から腕を伸ばしていたのは、しゃがんだ姿勢で不服そうな顔をした西条だ。

 菫色のワンピースドレスを着て――膝の間から下着は覗いていて慌てて目を逸らす。


「なんで転ばないのだ」

「俺が悪いみたいに言うなよ。というかまずはそこから出てこい」

 西条の顔だけを視界に入れるようにして命令する。

 渋々といった感じで西条はテーブルの下から出てきて立ち上がり、ドレスの裾をつまんでヨレを直した。


「西条、いたずらするためにそこに潜んでたのか?」


 テーブルの下を指さし、咎めを含んで尋ねる。


「その通りだ」


 西条は自慢するように口角上げる。


「知ってる人が通ったら驚かしてやろうと思ったのだ」

「質悪いわ」


 テーブルの下から手が伸びてくるのは一見したらホラーだぞ。

 それに危うく転倒するところだった。


「どうだ凄いだろ」


 誇らしげに胸を張る。


「凄くないわ」


 俺は西条の額の上あたりを軽い手刀で叩いた。

 西条は弱弱しい目になって、叩かれた場所を手で押さえた。


「痛いぞ浅葱」

「ちょっと痛いぐらいにしたからな。俺以外にいたずらしたら、もっと痛くしてやるぞ」

「うう、しないから許して」

「わかった。許そう」


 とはいえ西条には多少の戒めが必要だろう。

 人様に迷惑かけるようなことしたら、また手刀を見舞うか。


「あ、さぎ?」


 西条が怒られないかどうか窺うような声を出す。


「うん、なんだ?」


 声音を普段と同じにして訊き返すと、途端に西条は笑顔を咲かせる。


「この後、ビンゴ大会があるの知ってるか?」

「ビンゴ大会か。知らなかったな」


 社長の招待に応じただけで、パーティーに何を企画してるかなんて聞いてなかった。


「そのビンゴ大会で私の欲しいものが景品になってるのだ」


 わくわく、という表情で西条が言った。


「景品って?」

「POフィフスだ」


 声色を弾ませた。

 POフィフス、といえば最新型の据え置き型ゲーム機だ。たしか転売防止のために抽選販売となり、限られた人しか持っていないと聞く。


「POフィフスだぞ、浅葱!」

「ビンゴ大会なのに景品が高価なんだな。新品だと五万ぐらいはするだろ?」

「それだけ社長が太っ腹だということだな」


 西条の言う通り太っ腹だな。


「しかし、だな」


 西条が急に肩を落としてガッカリする。


「景品はビンゴにならないと貰えないのだ。それに景品の中身が大きさ以外わから

ないらしい」

「じゃあ、POフィフスが貰える確率は相当低いんじゃないのか」

「そうなのだ」


 俺の言葉を追認して西条はため息を吐く。

 少しでも景品を獲得する可能性を上げるとしたら――。


「なあ、西条」

「なんだ浅葱?」

「もし俺がPOフィフスを当てても西条に譲るよ」

「……いいのか?」


 西条が親に縋る子供のような目になる。

 俺は頷いた。


「俺一人が増えたところで当たる確率がどれぐらい上がるのかは知らないけど、一人

よりかはマシだろ。それにPOフィフスを手に入れても、西条ほどやり込む時間も気力もないしな」


 まだ当たるかどうか決まったわけではないが、欲しい人に譲った方がよっぽど手に入れる甲斐がある。


「あさぎー。ありがとう」


 相当に嬉しいのか西条は俺に泣きつかんばかりに短い感謝を口にする。


「ほんとに仲がいいね。二人は」


 西条の後背から聞きなれた声が聞こえた。

 声の方へ目を遣ると、紺色のワンピーススーツ姿の入澤さんが軽く右手を挙げていた。左手には百円ショップのポリ袋を持っている。


「なんだ入澤か」


 入澤さんの登場に西条はどうでもよさそうな声を出した。


「もうちょっと友好的な態度でもいいんじゃない?」


 教え子である西条の薄い反応に、入澤さんは少しだけムッとしてみせる。


「西条。さすがに先輩に対してその態度はないだろ」

「気にしないでいいよ浅葱君。多分かえでは二人で話してところを邪魔されて機嫌悪くしただけだから」


 そうは見えなかったが、入澤さんには西条が俺と楽しく喋ってるように見えたのだろう。


「ところで、浅葱君とかえでは何を話してたの?」


 入澤さんが俺と西条を交互に見ながら訊いてくる。


「ビンゴ大会の景品の話をしてたんですよ。西条が欲しい景品があるとかで」

「そうなんだ。じゃあ丁度よかった」


 言って微笑み、入澤さんはポリ袋から何かの紙の束を取り出した。

 よく見るデザインのビンゴカードだ。


「はい、これ。今カード配ってたところ」


 袋から出した束から俺に一枚、西条に二枚渡してくる。


「どうして二枚なのだ?」

「一枚は私の分だよ。欲しい景品があるんでしょ」


 入澤さんは二枚渡した理由を答えて、西条に優しく微笑んだ。

 西条の瞳に感謝の色が浮かぶ。


「恩に着るぞ入澤」

「私にはあっさりしてるね、まあいいけど」


 そう苦笑した後、束の残りをヒラヒラさせる。


「配り終わってないし、他にやることもあるから、また後でね」


 告げて、入澤さんは踵を返す。


「入澤さん、ありがとうございます」


 西条の代わりに入澤さんの背に向かって礼を言った。


「これで確率が三倍だな。POフィフスが手に入るぞ浅葱!」


 西条は目を輝かせて、すでに獲得が決定したみたいに声に喜びを含ませている。

 その時、ステージの方で突如に強い明かりが灯った。

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