7章 自分の幸せよりも、まずは他人の幸せを祝いたい
7-1
忙しさの緩急はありつつも日々の仕事に取り組んでいると、月日は早くも九月の下旬を迎えていた。
今日もグラビア撮影の仕事を終え、俺は社長に話があるという錦馬の野暮用が終わるのを事務所のエントランスで待っていた。
すぐ戻るから、と言われたが、待ち始めてすでに十分が経とうとしている。
腕時計を退屈に眺めていると、ふと隣に何者かの気配が近づいた。
「やーやー、浅葱君」
気配のした方を振り向くと、すらりとした体躯を紺のスーツで包んだ入澤さんが、何か含みのある笑みを浮かべて立っていた。
無論、警戒するに限る。
「……なんですか?」
「冷たいな、そんな要注意人物を前にしたような顔しないでよ」
わざとらしく唇を突き出して不平を垂れる。
「俺に何か用ですか?」
軽口に付き合う気はなく俺は促した。
入澤さんはニッコリと口角を吊り上げる。
「結局、意中の女の子は出来たのかな?」
「前と変わらずいませんよ。それがどうかしました?」
そんな事を訊くためにわざわざ話しかけて来たのかこの人は?
「へえ、そうなんだ。君は中々にお堅いんだねぇ」
「俺が特別に堅いわけじゃないと思いますよ。普通ですよ」
「まあ、いいや。君の恋愛事情は本題じゃないから」
恋愛事情いうな。なんか乙女チックだな。
内心でツッコミを差し挟んでいると、入澤さんの表情に本来の真面目さが戻って来ていた。
「ところで、君はプロポーズってしたことあるかい?」
「ないですよ。俺がそこまで恋愛慣れしてると思いますか?」
唐突な質問の意図が掴めず、俺は探るように訊き返した。
「いいや。慣れてないだろうね。でも、さっきの質問は辞令みたいなものだから、あんまり気にしないでいいよ」
「はあ」
「実は近々プロポーズが行われるみたいでね」
「誰のですか?」
「私の友人の後輩。職業はお笑い芸人だよ」
「その人が近々プロポーズをするんですか?」
「そういうこと。物わかりが良くて助かるね」
俺の返答に満足げに頷いた。
いや、他にどう考えるんですか。
「でも、入澤さんの友人のプロポーズの事を俺に話してどうするんですか? 俺、関係なくないですか?」
「現時点では確かに繋がりはないね。でも敢えて繋がりを作ることになるよ。今日はその提案に来たんだよ。ちなみに私の友人じゃなくて、厳密には私の友人の後輩だよ」
ちょっと回りくどい話し方をするなと思ったら、忘れずに間違いを指摘してきた。細かいな!
「それで提案ってなんですか?」
話を広げると長くなりそうなので俺は先んじて尋ねた。
よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにニヤと笑らって入澤さんは答える。
「フラッシュモブに参加しない?」
「あー、なるほど」
とんでもない提案を出されると思っていたが、想定よりも下だった。
ほっとするのと同時に、むしろ俺の想定が常識を逸脱しているんじゃないかと心配にもなる。
「フラッシュモブ、知ってるよね?」
「はい。なんとなくは」
話には聞いたことある。フラッシュモブはプロポーズをする男性が一般客を装った仕掛け人達と突然一緒に踊り出して、最後には彼女へ指輪を差し出す大きい規模のサプライズ型プロポーズだ。覚えている限りは。
「じゃあ話は早いね。どう参加しない?」
「どうして俺を誘うんですか。俺以外にも参加を快諾してくれそうな知り合いがいるじゃないですか?」
「知り合いはいるけど、生憎プロポーズ実行者と顔なじみが多くてね。フラッシュモブは顔を知られていたらマズいからね」
「それで顔を知られていないであろう俺を?」
訊きながら、自分の顔を指さす。
入澤さんは微笑んで首肯した。
「そういうこと。条件を満たして引き受けてくれそうな知り合いが君ぐらいしかいないから、どうか参加して欲しい」
懇願の口調になって言った。
面倒だけど、俺が参加することでどこぞの誰かのプロポーズが成功するなら、口実作ってまで断る頼みでもないし遣り甲斐もありそうだ。
とはいえ、急なスケジュール変更もあるからなぁ。
「参加する?」
「できれば参加します」
「できれば?」
「予定が空いていたら参加しますよ。前日に急に予定が入る事ありますから、参加は保証できませんけど」
「そうか、やっぱり人気グラドルのマネージャーは忙しいんだね。冴えない私とは違うんもんね」
仕方ないという感じに言い、自虐で苦笑いした。
自虐するほど入澤さんが冴えないとは思わないけどな。
「それで、いつを空ければいいんですか?」
スケジュール帳を取り出し、メモできる状態で尋ねる。
「次の土曜日お願い。その日にどこかのファミレスで参加メンバーと打ち合わせするから。以降は皆の予定次第で集まる日を決めてくから」
「わかりました。他に大事な予定が入らなかったら行きますよ」
「また予定変更したら連絡しないとね。せっかくだから連絡先も交換しておこっか」
成り行きでそう言うと、入澤さんはズボンのポケットからスマホを出した。
「……錦馬の居場所を探り出さないならいいですよ」
いかんいかん。無駄に頭良いから入澤さんには制限を設けておかないと、後々錦馬が迷惑を被りかねん。
入澤さんに釘を刺してから、俺もスマホを取り出した。
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