6-7

 スッと意識が戻る感覚の後、ゆっくりと目を開けた。

 瞬間、目に飛び込んでくるはずの光はなく。俺はぱちくりと薄暗さに染まった天井を見つめた。


 あれ、俺は寝ていたのか?


 スプリングの硬いベッドの上で仰向けになりながら、少しずつ記憶が蘇ってくる。


 そうだ。映画!


 俺は跳ね起き、テレビの方へ振り向く。


「あれ。映画は?」


 おかしいな。ついさっきまで野上と映画を観ようとしていたはずだ。

 でも部屋は暗いし、もしかして映画を観ている途中で寝てしまったのか?

 自分がどうしていたかわからず、ぼうっと何も映していないテレビの画面を眺めた。


「浅葱さん、起きましたぁ?」


 突然、左隣から間延びした声が聞こえて振り返る。

 野上は横ばいの姿勢で枕に頭を載せ、精彩のない瞳でこちらに目を向けていた。よく見ると何故かバスローブ姿だ。バスローブの緩い襟から胸の谷間が派手に覗いている。

 ジロジロ見るのは憚られて、視線を逸らす。


「ひどいですぅ」

「……何が?」

「途中で寝ないでくださいよ。映画、まだ終わってなかったんですからぁ」

「ごめん。それで映画はどこまで観たんだ?」


 映画の内容をほとんど覚えていない。俺はどのくらい寝てたんだろう。


「映画ですかぁ。始まって30分もしないうちに浅葱さん寝ちゃいましたよぉ」

「マジか。それじゃあ何も覚えてないのも当然か」

「でも、映画なんてどうでもいいんです」

「は?」


 予想もしない一言に、俺は驚いて野上に目を戻した。

 バスローブ越しの艶やかな肢体が直接目に入って、すぐに目を逸らす。


「なんで目を逸らすんですかぁ。私は別に見られてもかまいませんよぅ」

「いや、なんでと言われても」


 じゃあ凝視しろとでも言うのか? 反射的に背いてしまうんだから仕方ない気もするけどな。


「私じゃダメなんですかぁ? そんなに魅力ないですかぁ?」

「そんなことはないけど、理性的に良くないと思う」

「私が良いって言ったら良いんです。せっかく薬使って準備したのに、据え膳食わぬは男の恥ですよぅ」

「薬? 今、薬って言ったか?」


 聞き捨てならない単語に俺は首を振り向けて尋ねる。


「はい。媚薬ですぅ、ちなみに浅葱さんにも飲ませましたよぉ」


 今まで聞いたことない甘ったるい声で、野上が恥ずかし気もなく吐露した。

 は? 媚薬? 媚薬を飲まされた?

 そんなのいつ……あ、ああ。


「コーラか」


 映画を観る直前にコーラを飲んだ。おそらくあの中に媚薬が入っていて、それで……。


「悪気はないんですぅ。でも、こうでもしないと盛り上がらないと思ってぇ」


 詫びを感じられない弁明を口にして、俺の服の裾を掴んでくる。

 多分、野上の語尾が延びているのもその媚薬のせいなのだろう。

 理性ではそういう思考ができても、野上の艶姿を見ていると心臓が激しく鼓動し、感じたことのない強い性欲が突き上げてくる。

 自然と目線が野上の胸に向かってしまう。


「私はいつでもオーケイですぅ。何も躊躇うことなんてないはずですぅ」


 緩んだ声で俺の決心を促し、熱っぽい瞳で見つめてくる。

 ダメだ。野上が許してたとしても、俺が自分を許せない。

 野上の姿を視界に入れないよう強く目を瞑った。


「付き合ってもないのにそんなこと出来ない。その場の流れで俺の知ってる野上を失いたくはない」


 少し語調を厳しくして俺は言った。

 服を掴む野上の手が離れる。


「それなら付き合ってください」


 鈍器で殴られたような驚きが、俺の目をこじ開けさせた。

 語尾の延びていない決然とした口調が耳に刺さった、ような感じがする。

 目を開けた俺を野上は本気の目で見据えてくる。


「浅葱さんは付き合ってもないのにそんなこと出来ない、って言いました。なら今から私の恋人になってください」


 野上が言い切って、はらりと瞳から涙を零した。

 俺は何も考えられない。こんな状況は当然予想していなかった。

 返す言葉を探していると、野上がおもむろにベットの上で身を反転し俺に背中を向ける。


「私はなっちゃんが羨ましいです。当たり前みたいに浅葱さんと一緒にいられて」

「仕事だから……」

「そうですよ、仕事ですよ。でも時々思うんです、もしも私のマネージャーが浅葱さんだったらよかったな、って」


 泣き笑いのような声音で言い、野上はそのまま黙り込んだ。

 俺が野上のマネージャーだったら。必ずしもあり得ない話ではなかった。

 錦馬のマネージャーになる前に野上と出会っていたら、今とは違う関係に成っていたのだろうか?


「私、寝ますね」


 想定に思いを巡らす俺に、野上は静かに告げると枕を引き寄せて顔を覆った。

 心もちか野上の背中が微かに震えているように見える。

 背中に触れて震えを止めてやりたい。

 けど、今ここで野上の身体に手を伸ばしてしまったら、この先野上とは今までとは違う関係になるのだと思う。


「ああ、おやすみ」


 短く返事をして、俺はベッドから這い出た。

 野上が寝入るまで、廊下で時間を潰そう。

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