6-6

 野上とカクテルを飲み交わしてナイトプールの時間を楽しみ、プールの一時閉鎖とともにホテルに戻った。

 ホテルの浴場で塩素と一日の疲れを落とし、カクテルを飲んでからやけにボディタッチの多くなった野上と二人きりになってしまう部屋には戻らず、観たいわけでもない深夜帯のバラエティを流すラウンジのテレビの前のソファで過ごしていた。


 出来ることなら部屋で寛ぎたいが、こんな夜遅くに野上と二人きりの空間はとても心が保ちそうにない。


「あの、お客様」


 横からホテルボーイの申し訳ない声が聞こえた。

 俺が振り向くと、ボーイは掌を重ねて言いにくそうに口を開く。


「お寛ぎのところ大変申し上げにくいのですが、ラウンジの開放時間は午後十一時までとなっておりまして。お部屋に戻ってもらってもよろしいでしょうか?」

「はあ、そうですか」


 案の定というか、ラウンジで一夜を過ごすのはホテルの規則からして無理な試みだった。

 ボーイに悪意がないのは分かっているが、俺では手に余るほどの魅力ある女性と二人きりになる部屋には戻りたいと思わない。

 俺が渋る表情になったのだろう、ボーイが目に僅かに厳しく細められる。


「当ホテルの規則を無視してラウンジをご利用になさるなら、業務妨害として警察達との長い夜をお過ごしなさることになりますが、それでもよろしいですか?」


 声は穏やかだが、言ってることは脅しに近い。


「……部屋に戻ります」

「それではお休みなさい」


 俺の応諾する返事を聞くと、ボーイは人当たりのいい笑顔に戻って就寝の文句を口にした。

  俺はソファから立ち上がり、ボーイを振り返らないようにしながらエレベーターに足を向けた。


――ホテルボーイ、こえぇ。



  部屋から光が漏れておらず寝ているかもしれない野上を起こさないようにドアを小さくノックすると、やや遅れて浅葱さんですかという野上の声が返ってきた。


「ああ、俺だ。今入っても大丈夫か」

「はい。いいですよ」


 入室の許可をもらってから、俺はそっとドアを開けた。

 部屋は暗くしてあるが、ベッドの前のテレビがベッドの端に腰かける野上の姿を煌々と照らしている。


「浅葱さん。遅かったですね何してたんですか?」


 テレビに目を向けまま気軽い声で訊いてくる。

どうやら不機嫌になってはいないらしい。


「さっきまでラウンジでテレビ観てたんだよ」

「観たい番組でもあったんですか?」

「そういうわけじゃないけど……」


 夜に野上と二人きりは心臓が耐えられそうにない、と本音ではそう思うが、さすがに口にしなかった。

 思考そのものが非モテなのは認めるが、いざラブコメみたいなシチュエーションになると臆病になって当然だとも思う。


「なんでドアのところで突っ立ってるんですか。500円で映画が見放題なんですから隣に来て一緒に観ませんか」


 野上はテレビから視線をこちらに移し、朗らかに笑って自身の真横の位置のベッドマットに手を置く。

 ホテルとかの宿泊施設でよくある、24時間映画見放題のメニューか。


「ふっ」 

 

 思わず笑い声を漏らしてしまう。


「どうして笑うんですか?」


 唐突に笑った俺を不思議そうに見つめる野上に、俺はおかしさの笑いを残したまま答える。


「満喫してるなぁと思って」

「当然ですよ。せっかく来たのに楽しまない理由がありますか?」

「まあ、確かにそうだな」


 急遽錦馬が来れなくなったせいで妙な空気にならないように、わざと気にする様子もなく俺と一緒にいたのだろう。

 いざ室内に二人きりになると緊張すると思っていた俺が馬鹿馬鹿しい。

 一方的に意識して、野上を避けるようにしてしまっていた。


「ごめんな、野上」

「急にどうしたんですか?」

「ほんとは俺よりも錦馬と来たかったよな。俺と一緒だと無駄な気遣いしないといけなかっただろ」

「……浅葱さん」


 野上が前触れもなく真剣な目になって俺を見つめてくる。


「なんだ?」

「今の私の前でなっちゃんの名前を出さないでください」

「はあ?」


 さっぱり野上の考えてることがわからない。

 なっちゃんと呼んで野上は錦馬と親しくしてるはずなのだが?

 俺が首を捻りたい気分でいると、野上は表情にいつもの朗らかな笑顔を戻した。


「それで、一緒に映画観ます? いろんな映画があって決まらないんです」


 うーん。野上の真意は掴めないが、今までだって女性の気持ちがわかったことなどないからな。

 おそらく錦馬がいなくて寂しいのかもしれないな。多分、そうだ。


「映画鑑賞ぐらい俺でよければ付き合うよ。で、何が観たいんだ?」


 錦馬の代わりを務めるかどうかは知らないが、野上の求めに応じるとしよう。

 野上と片腕を伸ばせるぐらいの距離を開けてベッドに腰かけた。


「野上はさっきまで何を観てたんだ?」

「昔見た恋愛映画です。どんな内容だったのか思い出しながら観てました」


 答えて、野上はテレビ台の上に載ったリモコンを指さす。


「次は浅葱さんが決めてください」

「俺が決めちゃっていいのか。野上は観たいのがあるんじゃないのか?」

「観たいのですか。強いて挙げるならホラーが観てみたいです。でも、ホラー映画は一度も観たことがないので浅葱さんが選んでください」

「選ぶのはいいけど、俺も詳しくないぞ?」

「構いません」

「それじゃ……」


 俺はリモコンを操作して、ジャンル別に映画を探す。


「浅葱さんが探してる間、飲み物用意してきます。コーラでいいですか?」


 俺が頷くと、野上は立ち上がって廊下に出ていった。

 映画を選択し終えた頃に部屋に戻ってくる。


「はい。浅葱さん」

「ありがと」


 カロリーゼロのコーラの缶が差し出され、礼を言いながら受け取った。

 同じ缶を持って野上はベッドに座り直す。


「観る映画は決まりました?」

「ああ、決めたよ。『リング』っていうのにした」

「どういう映画なんですか、それ」

「詳しい内容は知らないが貞子が出るらしいぞ」

「貞子ってあの、テレビ画面から這い出てくる女性のことですよね」


 野上の声にはすでに怯えが滲んでいる。


「やめるか、もっと易しいホラーもあるけど」

「いえ、大丈夫です。怖くても観ます」


 戦いにでも臨むような面持ちになる。


「でも、そのかわり……」


 一転、縋るような上目遣いで俺を見つめた。


「途中でいなくなったりしないでくださいね」

「いなくなったりしないよ。俺も最後まで観るから。じゃスタートだ」


 安心させるように言ってから、俺はリモコンの再生ボタンを押した。

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