6-5

 ラウンジで軽い食事をした後、午後七時の解放を待ってプールに移動した。

 昼営業とは打って変わって、柔らかいパステルカラーの照明でライトアップされた遊具やフードコートで主に若い人が戯れている。


「浅葱さん、何かしたいことあります?」


 隣でナイトプールの盛況ぶりを眺めている野上が訊いてくる。

 したいことねえ。


「特にしたいことが思いつかないな。逆に野上の方はあるのか?」


 慣れない考え事は放棄して選択を委ねた。


「そうですね。強いて言うなら、ゆっくりカクテルでも飲みたいです」

 野上はそう答えると、フードコートの右端にある屋外型のカクテルバーへ顔を向けた。

 屋外テーブルのいくつかで、すでに何組かの男女カップルが席を取って楽しそうに談笑している。

 カップル限定みたいな雰囲気だな。


「丁度空いてるテーブルがありますし、見てたら喉が渇いてきました」


 俺へ振り返り、行きませんか、と目で誘う。

 でもなぁ。


「俺達みたいな付き合ってるわけでもない男女が入っていい空間なのか?」

「入っていいに決まってます」


 迷いなく断言する。


「それに、今の私と浅葱さんは周りからすればカップルに見えてると思いますよ」

「そうかな。どう考えても俺なんかじゃ野上と釣り合ってないだろ」


 街中の若い女性に声かけて千人目でやっと出会えるような容姿の優れた野上と、クラスで一人はいそうなタイプの俺が似合いなカップルに見えるはずがない。

 俺がそう本音を言うと、野上は不服気に口を尖らせた。


「浅葱さんは自分の事を過小評価しすぎです」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、普段から錦馬菜津とかいう名実ともに揃ったグラドルのマネージャーやってると、自分を過小評価したくもなるよ」


 錦馬が仕事をこなす様子を見ていると、俺って必要ないんじゃねと時々思ってしまう。

 数日前の錦馬の文句を思い出しそうになっていると、唐突に野上の右手が俺の手首を掴んだ。


「……なっちゃんのことは措いといて、一緒にカクテル飲みにいきましょう。私ほんとに喉が渇いちゃって」


 一瞬の間はあった後、照れたような笑みを浮かべて言った。

 不意に手首を掴まれてドギマギする俺の気を知ってか知らずか、野上はカクテルバーの方へ歩き出した。

 ちょっと強引な感じもするが、俺は野上の後についていった。



「このカクテル、とても冷たくて甘いです」


 粋なパラソルが立てられた一本脚のテーブルに俺と向かい合って座る野上が、マンゴーのような色のカクテルを一口飲むなり相好を崩した。


「美味しいのか?」

「はい。糖分が高そうなので飲んだことなかったんですけど、こんな美味しいならもっと早く味を知っておくべきでした」

「俺もカクテルは飲んだことないな。今日初めてだ」


 普段から酒は人との付き合いぐらいでしか酒をやらないが、それでもビールや日本酒は何度か飲んでいる。

 しかしカクテルとなると、男同士の集まりで選択肢にすら上がらない。

 試すような心持で野上と同じものが入ったグラスを持ち、口を付けて傾けた。

 瞬間、ひんやりとしたフルーティーな甘みが口内を満たす。


「確かに冷たくて甘いな」

「ですよね。これからたまにカクテル飲もうかなって思っちゃいます」


 どうやら野上はカクテルを気に入ったらしい。


「なっちゃんが一緒だったら、多分カクテル飲めなかったですよね」


 思い出したように言って、野上はグラスの底が透き通ったカクテルに目線を落とす。


「太るからダメってきっと止められてました」

「いくら錦馬でも一滴も飲むなとまでは言わないと思うぞ。あいつ、野上には甘いからな」

「でも、なっちゃん自身は飲まないと思います」


 まるで悲しい出来事のように野上は言った。

 それは俺も同意だ。スタイル維持に努める錦馬は、こんな夜の時間の糖質の高い飲食物は勧められても避けるだろう。

 そこまで神経質にならなくても、と思うのだが、一度ついた脂肪はすっごく落としづらいのよ、って言ってたしな。


「もう一杯、他のカクテルも飲んでみていいですか?」


 笑顔を取り戻して訊いてくる。

 どうぞ、と俺が目顔で答えると、野上は立ち上がってカクテルバーのカウンターに弾むような足取りで歩いていった。

 少しして薄桃色の液体を入れたグラスを手にしてテーブルに戻ってきた。


「これ、ピーチカクテルです。浅葱さん一口どうですか?」


 そう言って席に座るなり、グラスを差し出してくる。


「遠慮する。野上が飲みたくて買ってきたんだろ」

「そうですけど、二人で味を共有するのってなんだか楽しいじゃないですか」


 楽しいからって理由を出されると、断る俺が付き合い悪いみたいになるよな。


「そこまで言うなら飲ませてもらおうかな」


 カップルみたいで気恥ずかしいが、思い切ってグラスを受け取った。

 グラスの縁に口をつけ薄桃のカクテルを口に流し入れる。

 カクテルの甘さと桃のほのかな酸味が口の中に広がった。

 先程のカクテルとは違う系統の味だ。


「美味いな、これ」


 短い感想を言ってグラスを返す。


「どんな味でした?」

「甘いだけじゃなくて桃の酸っぱさもあって、フルーツの美味しさがちゃんと出てるぞ」

「そうですか。それじゃ私も飲んでみます」


 俺の返事を聞いてから、野上もグラスに口をつけた。

 野上の口元が綻ぶ。


「ほんとですね。浅葱さんの言う通りしっかりと桃の味がします」

「さっきのやつも美味しかったけど、俺はこっちの方が好みかも」

「他のカクテルの味も気になってきました」


 瞳に好奇心を浮かべ、バーのカウンターに顔を向ける。


「せっかくですから、いろいろなカクテル味見してみましょう」

「そうなると結構飲むことにならないか?」


 様々な味があるから気になるけど、カクテルは酒類だ。飲み過ぎれば当然ひどく酔ってしまうだろう。

 俺が心配して尋ねると、野上は安心してくださいと言いたげに微笑んだ。


「大丈夫です。酔う前に辞めますから」

「そうか。ならいいかな?」


 錦馬がいない時ぐらい、野上も存分に飲みたいんだろうな。


「それじゃまた他の持ってきます」


 テーブルに飲みかけがあるが、野上はカウンターへ爪先を転じた。

 野上ばかりに買いに行かせるのは気が引けて、俺は腰を上げる。


「今度は俺が行くよ。野上は……」

「浅葱さんはここで待っててください。もとはと言えば私が飲みたいって言い出したんですから」

「けど……」


 俺が言葉を返す前に、野上はカウンターへ歩き出した。

 無理に呼び止める気はなく席に腰を降ろす。


「錦馬とは大違いだな」


 思わず呟いてしまう。

 何かをしてもらうのには慣れていない。

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