6-3

「浅葱さん。何して過ごします?」


 胸の真ん中にリボンをあしらった緋色のビキニを着た野上が、俺に背を向けて遊具を見晴るかしながら訊いてくる。

 野上が誘うと言っていた錦馬は野上いわく急な予定は入ったそうで、やむを得ずレジャープールに野上と二人で訪れた。


「特に何をするかは考えてないな」


 眩しい限りの水着姿に内心緊張しながら俺は答える。

 期せずして野上と二人になったことも緊張を助長させている。


「何も考えてないんですか」


 野上は身体ごと振り向く。


「私は考えてきました」

「そうか」


 昨日急に誘われたから予定も何も立てていない。


「何もしたいことがないなら、浅葱さん私に付き合ってください」

「いいけど、野上は何をする気なんだ?」

「遊具を出来るだけ回ります。早速行きましょう」


 問いに答えるなり、俺の腕を掴んだ。


「ちょっまっ……」


 俺が抵抗する暇もなく、野上はウォータースライダーの方へ歩み出した。


「今日はたっぷり楽しみますよ」


 はしゃいだ声を出して、俺を引っ張っていく。

 今日の野上は強引な気もするが、せっかく来たのに何もしないのは確かに詰まらないだろう。


「そうだな。楽しむか」


 引っ張る野上に歩調を合わせて、俺はウォータースライダーへ向かった。

 


 スヤマ・ウォーターランドには、全国でも五本の指に入る巨大なスライダーがある。

 特徴の違う幾数ものスライダーがくねくねと交わった様は、この施設の代名詞と言っても過言でないだろう。

 しかし、スライダーの種類が多いのも困りものだ。


「浅葱さん。次あそこ滑りましょう」


 幾つものスライダーの入り口が集まった遊具の頂部で、野上が青色ゲートを指さした。

 頂部から滑るスライダーは四種類あり、赤、青、緑、黄色の四色でゲートが分けられている。

 先程赤のスライダーを滑ったが、着水までの四カ所で仕掛けの水溜りがあり、盛大に顔へ水を浴びた。

 おかげで口の中に水が入って咳き込んだよ。


「野上。次はあんまり激しくないのにしてくれ」

「それじゃ、緑しましょう。たぶん赤よりかは流れが穏やかだと思いますよ」


 緑のゲートを指さしたまま、目顔で行きましょうと誘ってくる。


「ちなみに。青はどんなスライダーだ?」

「螺旋です」


 それのどこが穏やかなんだ。


「黄色は?」


 俺が訊くと、野上は黄色ゲートに近付いて説明を見る。


「高速五七連ヘアピンだそうです」


 酔うわ。


「それじゃ野上の言った緑は?」

「暗闇スライダーです。これだけ二人で滑れるらしいですよ」


 答えて、期待を含んだ目で俺を見てくる。

 俺は視線を逸らして、青と黄色ゲートを見比べた。


「青と黄色、どっちがいいかな?」

「緑ですよね浅葱さん。緑を滑りますよね?」


 反論は聞き入れないとでも言うような頑なな口調で野上は訊く。

 選択の余地はないらしい。


「わかった。緑を滑ろう」

「ありがとうございます。へへ、浅葱さんと二人で滑れます」


 選択肢を絞っておきながら、野上は嬉しそうにはにかんだ。

 そんな顔されたら、とてもじゃないが断れないではないか。


「とはいえ、二人で滑ると言ってもどう滑るんだ?」

「説明の絵がありますよ」


 野上がゲート横の説明盤を指さした。

 野上の肩越しに説明の絵を覗く。


「マジか」


 俺は急に緊張を覚えた。

 説明の絵は座った女性の後ろから男性が抱くような構図になっている。

 二人で滑ると言ったって、密着することないだろうに。


「浅葱さん」


 野上に呼ばれて振り向くと、野上はすでにスライダーのスタート地点に腰かけて笑顔をこちらに向けている。


「早くしないと後ろが詰まっちゃいます」


 野上が俺の背後を指さして言った。

 俺の後ろで男女カップルが他の客が並んで順番を待っている。

 野上以外にも緑のスライダーを滑りたい人いるんだな。それなら俺と野上だけ目立つこともないか。

 恥ずかしさが消えたわけではないが、俺だけじゃないと言い聞かせて、野上の身体に直接触れないように背後へ腰を降ろした。


「この状態からどう滑るんだ?」

「浅葱さん。もっと近づいて私を抱きしめてください」


 スライダーの先に目を向けたまま野上が言った。

 フレーズだけ聞くとラブロマンスドラマの一幕みたいだけど、ウォータースライダーの滑る姿勢を指示しているのであって他意はないはずだ。

 俺は言われた通り野上の背中に近づく。

 腰のくびれからバストにかけてのラインが、整合の取れた芸術作品のように美しい。

 後ろから抱擁しようと挙げた手が、野上に安易に触れていいものか躊躇い宙を彷徨う。


「浅葱さん。どうかしました?」


 あまりに長く躊躇する俺を心配してか、半ばまで振り向いた横目でこちらを窺ってくる。

 ええい、ここしかない。

 俺は野上の肩を挟むように持って前へ重心を傾けた。


「うおおお」


 スライダーのコースを勢い良く滑り出していく。

 途端に視界が真っ暗になった。


「ほんとうに何も見えませんよ。浅葱さん」


 野上のはしゃぐ声が響く。

 暗闇の中で突如水を浴びるのに、どうしてそんな楽しそうなんだ。

 目に水が入り思わず目を抑えようと右手を肩から離した。

 今離したらバランス崩して野上が怪我するかも。

 怪我を負った野上が脳裏を過ぎり、すぐに右手を肩に戻す。


 ふに。


 あれ、柔らかい?

 肩は骨があるからこんな柔らかくないはずだ。じゃあ、今俺が触っているのは?

 感じたことのない柔らかさに違和感を覚えていると、突如進行方向から光が射した。

 光がスライダーの出口だと認識できた次の瞬間、一気に視界が開ける。

 身体が浮く感覚の後、野上越しにすぐにプールの水面が迫った。

 野上の肩を掴んだまま着水して、大きく水しぶきの音を立てる。


「ぷはぁ」


 水上に顔を出したらしい野上の声を横から聞き、俺も浮上した。


「ほんとに暗闇でしたね。浅葱さん」


 俺が水から身体を出すなり、野上が弾む声で言った。


「滑ってる間、何も見えませんでしたね。予想はしてましたけど」

「そうだな。確かに何も見えなかったな」


 暗闇の中で猛然と滑るのは、得も言われぬ恐さがあった。


「でも、暗闇に紛れて浅葱さんが大胆になるのは予想外でした」

「俺が大胆? どういうこと?」


 俺、何かしたかな?


「惚けないでください。滑ってる途中で胸を揉んできたじゃないですか」

 

 そう言って目を三角にする。

 俺が野上の胸を揉んだ? そんな馬鹿な。


「そんなことした覚えがないんだが、マジで言ってるのか?」

「マジですよ。右の胸を揉まれた感触がありましたから」


 嘘ではない目をして野上は答えた。


「右手に何か柔らかい物を掴んだ感覚はあったが、まさかそれではないだろ」


 違うと言ってくれ。


「それですよ。もしかして浅葱さん、胸だって気付かずに掴みました?」


 やっぱりそうなのか。あの未知の柔らかさは野上の胸だったのか。

 感触の見当がつくと、途端にとてつもない恥ずかしさと罪悪感が押し寄せてきた。


「わざとじゃないんだ野上。肩を掴み直そうとしたけど、暗くて手の位置がズレただけなんだ」

「たとえわざとじゃなくても、揉んだ事実は変わりません」


 野上は断固とした口調で言う。

 俺は顔の前で合掌して頭を下げる。


「この通り。悪いと思ってる。ほんとにごめん」

「浅葱さん……」


 謝る俺に野上が普段と変わらぬトーンで呼び掛けてくる。

 俺が顔を上げると、野上は微笑んだ。


「二人で滑るって言い出したのは私です。それにこれくらいのことで私は浅葱さんに怒ったりしませんよ」

「そうか、ありがとう」


 思わず礼を言っていた。

 相手が寛大な野上でよかった。もしも錦馬だったら変態といつまでも罵られそうだな。


「でも少し残念です」

 俺がホッとしていると、野上は不服気に口をすぼめる。


「浅葱さんはそういう気があるのかと思っちゃいました」

「そういう気って?」


 俺が問い返すと、くるりと身を翻した。


「さあ、次滑りましょう」

「なあ。そういう気ってなんだよ?」

「次は何を滑りましょう」


 野上は俺の問いかけには応じず、野上は鼻歌でも歌いそうな様子でスライダーの上り口へ進み出した。

 大した意味もなかっのかな?

 野上の言葉の意図はわからないが、今はひとまず措いておくか。

 気になったときにまた訊き直せばいい。

 野上の後を追って、俺もスライダーの上り口に足を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る