5-13
近くのコンビニへ夕食を買いに行く以外に外出はせずに、俺は西条と協力プレイの研鑽に勤しんだ。
夜も深まって時計の針が十時を過ぎた頃、2―1の試合結果を映した画面を眺めながら西条が口を開く。
「お風呂に入りたいぞ、あさぎ」
とうとうこの問題と対峙する時が来たか。
俺一人の時だと九時ぐらいには入浴を済ましてしまうのだが、異性がいる手前入るか、などと言い出せなかった。
ゲームで勝つために女も男も、と腹を括った自分が阿呆に思えてくる。よく考えてみたら、異性を家に上げて宿泊させるなんて初めての経験である。
「聞いてるのか? お風呂に入りたいと言ってるだろ。お風呂を沸かせ」
俺の気など知らない西条が、鈍麻な使いへ命令するように言った。
「入りたいなら俺に遠慮せず勝手に入っていいぞ」
「あさぎの家の風呂はどう沸かせばいいんだ?」
気が付かぬ内に済ましてくれるなら、面倒や変な配慮が無くて楽なのだが、そうもいかないらしい。
「キッチンの壁に自動給湯機の操作盤があるから、それで湯を張れる」
西条は羨ましげな視線をキッチンの壁に向ける。
「私の家は湯の量を見張ってないといけないからな。自動で湯を張ってくれるのは便利だな」
「使い方は……まあ、いいや。俺がやっとくよ」
一泊するだけの西条にわざわざ使用方法を教えるのを億劫に感じ、俺はコントローラーを置いて立ち上がりキッチンに向かう。
慣れた手つきで操作盤のボタンを押して湯を沸かす準備をし終え、すぐに西条の横に腰を降ろした。
「自動給湯器は、入浴できるようになるまでどれくらい掛かるんだ?」
「十分から十五分くらいだな。沸けるまで戦術の方を詰めておこう」
「ほんとに何もしなくていいのか?」
物知らぬ子供のような表情で訊いてくる。
「時間になればお風呂が湧けたってアナウンスしてくれるから、それまでは気にしないでいい」
「おー、それは凄いな」
感心した声を出して、西条はキッチンの壁の操作盤を振り返る。
褒めるほどのものではないと思うのだが。
「風呂場もさぞや広いのだろうな」
「そうでもない、一人暮らしだからな。それより、戦術の方詰めるぞ」
「そうだな。今は時間が惜しい」
目に真剣さを湛えると、西条はコントローラーを握り直してゲーム画面に視線を戻した。
十分ぐらい経つと、キッチンの方から機械的な女の声が、風呂の湯が沸けたことを告げた。
西条は前々から入浴の道具をまとめておいていたのか、アナウンスを聞くなりビニールバッグをわきに抱えて、軽い足取りでリビングを出ていった。
西条がいない間は、一人でオンライン対戦に潜るとしよう。
ゲーム画面に意識を戻し、コントローラーを構える。使用チームを選択して、紺ぴゅたーが対戦相手探しを始めた。
それにしても。西条の浴室に行く足取りはいかにも期待を籠めて弾んでいた。しかしモデルルームのような広い浴室を想像しているようだが、人一人が身体を洗うのに事足りるスペースだ。
かといって掃除は怠っていない。
たまたま今朝に掃除をしたばかりで、西条に汚いなどと揶揄されることはないだろう。
タイルの間や、水垢に気付きにくい背中側の壁、さらには湯舟の排水溝の周りも綺麗にしておいた。
一度掃除を始めると見逃していいような汚れも目に障って、スポンジを持つ手を伸ばしてしまう。
掃除をし終えた後になって、自分以外の誰かを入れるわけでもないのに、掃除に熱を出したのだろう、と虚しい気持ちにもなるけど。
でも今日は初めて自分以外の人に浴室を使わせることになり、掃除した甲斐があった。
排水溝の栓を抜いて湯舟の水を全て出し、カビが生えないように浴室の通気を良くするのも忘れなかったから、湿気も抑えられているだろう。
「あっ」
俺はとある失態を思い出して愕然と口から声を出す。と同じく、ゲームの方では対戦相手が見つかり、サッカースタジアムの光景が画面一杯に映った。
湯舟の排水溝、栓をしてない。
暢気にゲームしている場合じゃないと脳が鞭を貰い、慌ててコントローラーを床に置きリビングを出る。
まっしぐらに浴室へ通じる脱衣所へ向かい、乱暴なぐらいに引き戸を開けた。
「すまん、西条。風呂の栓を忘れてた……………」
脱衣所に足を踏み入れようとした瞬間、洗濯籠の傍でボトムの下着を脱いでいる途中の裸同然の西条に出くわした。
「……すみません、間違えました」
驚いた声を上げないように努め、こらちを見て動きを止めて固まっている西条へ会釈をして、障子のようにスッーと引き戸と閉める。
一瞬だったが網膜に映った西条の身体は、全体的に痩せて子供みたいだと思っていたが、微かに胸が膨らんでいて女っぽかった。
腰回りが人より飛び抜けて細いのは知っていたが、案外に艶めかしい姿態をしてやがる。
「俺は何も見てない。何も見てないんだ」
自分に言い聞かせて西条の裸身を頭から追いやろうとするが、どうにも脳裏から離れない。
リビングに戻ってゲームやっていれば、自然と忘れるだろう。
無理矢理そう願って、引き戸から手を離して踵を返す。
「あさぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
唐突に引き戸の内側から耳をつんざく大音声が鼓膜を刺さり、俺はびっくりして思わず足が止めた。
「逃げるでないぞ。何をしに来た、答えろ!」
犯人の可能性が濃い被疑者に向けられるような尋問が、引き戸の内から飛んでくる。
どうやら、見なかったことには出来ないらしい。
「伝え忘れたことがあったから、伝えに来ただけだ」
卑猥な目的でないことを告げた。
俺の返答を吟味するような間があって、西条の声が返ってくる。
「伝え忘れたこととは、なんだ?」
「浴槽の栓を閉めてなくて湯が張れてない。それを伝えに来たんだ」
「なんだと!」
あきらかに愕然とした声が聞こえた。
そのあと、パキッと浴場の折り畳みドアが開けられる音がして、続いて浴槽の蓋が剥がされたらしい。
「湯がないではないか!」
「掃除した後に栓を忘れてたんだ。ほんとうにごめん」
きちんと確認しておけば、こんな事態にならなかったのに。
「そ、そうだったのか。あさぎは栓をしてないことを伝えに来たのだな」
ほっとしたような口ぶりで西条が言った。
「とっくに浴室に入ってると思って、けっして見る気はなかったんだ」
「悪気がなかったなら許す。と、友達だからな。それにグラビア私もやってる身だ。見られたぐらいでネチネチ怒るわけないだろ」
笑い飛ばすようにして許してくれた。
それでも俺が裸を見てしまった事実は消えない。
「ごめんな邪魔して。俺はリビングに戻ってるから」
拭いきれない気まずさを感じながら、俺はそれだけを告げてリビングの方へ爪先を転じた。
「湯に浸かれないのは残念だが、仕方ない。シャワーで我慢してやる」
西条らしい尊大な声が耳に届く。
許してくれなかったら、俺はどうすればよかったんだろうか? 次第によってはポリスメンが介入していたかもしれない。
想像するだけで背中が冷えた。
※書き溜めの不足と新作を書き進めたい事を理由に、一週間ほど更新をやめます。申し訳ありません。
もしよければ、近日公開予定の新作を読んでいただければ、作者は大変喜びます。
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