5-10

錦馬の撮影に同伴した帰り。駅のホームで五分後の下り電車を待っている。

寝不足を考慮して車の運転を控えた今日は、マイカーを購入して以来久しぶりの電車を利用した。

 路線はまるきり違うが、高校生の頃は毎日のように使っていた鉄道も、めっきり乗る頻度が減ると、駅のホームが懐かしく感じる。

 遅刻しそうだった今朝は、初見に等しい路線図を参考しながら覚束なく切符を買い、ICカード購入を真剣に検討した。

 切符を往復で買っておいたので、帰りは人の流れに合わせてホームに降りることが出来た。


「眠かっただけなのに、なんか疲れたな」


 錦馬の撮影を眠いのを我慢しながら見届け、撮影スタッフの質問にいくつか答えただけなのにな。

 今日はさすがに夜更かしをやめて、日が変わる頃には布団に入ろう。

 そうやって帰宅後の予定を考えていると、不意に後ろから肩を叩かれた。

 振り向くと、肩で切り揃えられたショートカットの見知った入澤さんが、陽気な笑みを顔に浮かべていた。

 細身の身体をグレーのパンツスーツで包んでいるところ、入澤さんも仕事帰りのようだ。


「奇遇だね。駅で会うなんて」

「いつもは車ですからね。今日は異例ですよ」

「何かあったの?」

「少し寝不足だったんですよ。それで車の運転は控えました」

「なるほど。それは賢明。事故しちゃ元も子もないからね」


 見識ある人のようにうんうんと頷く。


「入澤さんは車乗るんですか?」

「私? いや、まず免許持ってないから。」


 少し恥ずかしそうに微苦笑する。


「それじゃあ、仕事は電車通ですか?」

「だからここにいるんだよ。次の電車に乗って三つ先まで」


 次の電車ということは、俺が乗るつもりでいるダイヤルと同じか。


「俺もそれに乗りますよ。降りるのは二つ先ですけど」

「二つ先。ということは……」


 話の流れで言った俺の降車先を聞くなり、何故か顎に手を添えて考え出す。

 ぶつぶつと聞き取れない声で思考を口に出し、ほどなくして何か分かった様子で顎から手を離すと、からかいを含んだ目で俺を見つめてきた。


「二つ先の駅のエリアには、モリヤママンションがあるよね?」

「え、あ、はい。ありますけど」


 モリヤママンションとは、現在俺が住んでいるマンションのことだ。

 マンションのことなど話題に出して、一体何を考えていたんだ?


「モリヤママンションからちょっと離れた場所に、もう一つマンションがあるよね?」

「は、はい」


 彼女が言うもう一つのマンションは、錦馬が住んでいるマンションだ。

 入澤さんは二つのマンションをどう結び付けようと言うんだ?

 背中に嫌な汗が噴き出してくる。


「錦馬さんのかなり近くに住んでるんだね」

「まあ、そうですね」


 特にやましい訳はないのだが、入澤さんの声が意味深長に聞こえる。

 というか、なんで錦馬の住所がわかるんだ?


「入澤さん」

「なあに?」

「どうして錦馬の住んでる場所を知ってるんですか?」

「事務所の所属グラドルの個人情報を載せたフォルダがあって。記載漏れを確認する時にせっかくだから覚えた」


 社長。この人を事務仕事からクビにしてください。


「事務所に所属してる全員分を覚えたんですか?」

「もちろん。これでもK大の医学部に通ってたから」


 誇るような口調で言った。

 K大といえば、京都にある難関名門大学だ。

 この人はあたら恵まれて優れた頭脳を、グラドルの情報を記憶するためだけに使ってるらしい。医者になった方が断然世のためだろ。


「ちなみに住所以外にもいろいろと……」


 呆れた思いで入澤さんの熱弁を聞き流していると、リズミカルで軽快なメロディーがホームに流れて、俺と入澤さんの乗る電車がホームに滑り込んでくる。

 電車が止まって乗り込んだ俺に、入澤さんは当たり前のように後についてきた。

 近くで空いていた席に座ると、これも当たり前のように隣に腰を降ろした。


「なんで着いてきたんですか?」


 電車が動き出してしばらくして尋ねると、合点のいかない顔で首を傾げる。


「あれ、いけなかった?」

「いけないことないですけど。どこ座ろうかなって探す素振りもなかったですよね?」

「君の隣に座るつもりだったから。話し相手欲しくて」

「ああ、そうですか」


 話し相手になるのはいっこうに構わない。しかし入澤さんは美人なのだから、もう少し周囲の視線が気にしてほしい。

 おそらく、ちょっかいをかける美人上司とちょっかいにたじろぐ後輩社員みたいに見えているんだろうな。


「仕事の方はどう?」


 電車が動き出すと、世間話のトーンで入澤さんが訊いてきた。


「まあ、ぼちぼち」

「錦馬さんとは上手くいってる?」

「まあ、ぼちぼち」

「マネージャーの仕事はだいぶ慣れた?」

「まあ、ぼちぼち」

「ストレスは発散できてる?」

「まあ、ぼちぼち」

「錦馬さんをおかずに発散してる?」

「まあ、ぼち……って、してねぇよ」


 錦馬をおかずに、ってそんな後々罪悪感引きずること出来るか。次の日、どんな顔して本人と会えばいいんだよ。


「やってないの。つまらない」


 否定の返事がよほど意にそぐわないのか、眉を下げてあからさまに残念を表情に出す。


「処理した後も興奮が鎮まらず、そのせいで君は寝不足なのかと思ったんだけど」

「そんな理由で寝不足だったら、それこそ錦馬に会わす顔がありませんよ」

「それじゃ、どんな理由で寝不足になったの?」

「夜更かししちゃいまして」

「なるほど、夜更かし。やっぱり夜遅くまで興奮が鎮まらなくて……」

「断じて違いますよ。錦馬の事から一旦離れてください」

「そうなの。チッ」


 言葉だけで舌打ちの音を出して不満を露にした。

 この人、俺が錦馬で処理していないと納得いかないらしい。


「錦馬さんが理由でないなら、何が理由?」

「ゲームしてたんです」

「ゲーム?」


 入澤さんは想像し難いという顔で首を傾げる。

 ほんとの事は話せば、西条にゲームで負けたことが悔しくて腕を磨いていた、のだが。


「ゲームってどんなゲーム?」

「サッカーです。実存のチームで対戦するリアルな奴です」

「あれだ。CMで見たことある」


 どうやら、俺の言ってるゲームの見当がついたらしい。


「でもどうして、ゲームで夜更かししたの? そこまで熱中してしまうぐらいに楽しいの?」

「熱中というか、なんというか」

「熱中とは違う?」

「はい。どっちかと言えば意地ですかね。はじめたばかりの友人に対戦で負けたのが悔しくて」

「ちょっと待って」


 俺が苦笑を交えて答えるなり、入澤さんは掌を俺の顔の前に出して思い出そうとするように目を上向けた。

 しばらく言葉を待っていると、数学の問題が解けたみたいに、ふふんなるほどと言って微笑んだ。


「君が対戦した相手はかえで、で合ってる?」

「どうして分かるんですか」


 何この人。勘が鋭すぎるだろ。


「今朝かえでから、あさぎに教えてもらったゲームが面白いから、今日もオーディション休む、っていうメールが来てた」


 楽しんでるなら紹介した甲斐もあるが、オーディションは休むなよ。そりゃ交通費すら不足するわけだ。


「私知らなかったんだけど。意外にかえでと仲いいんだね」

「仲良く、見えますか?」


 意識して西条と仲良くなろうと考えたことはないが、傍目には親しげな間柄に見て取れるのだろうか。


「一緒のゲームをしてるんだよ。仲が良いと言わずして何ていう」

「はあ……」

「もしかして君はかえでみたいに細い子が好み?」

「違いますよ」


 その質問に関しては断じて否定できる。

 入澤さんは難問にぶち当たったみたいに難しい顔をする。


「かえででもないとなると、君の女性の好みがさっぱり考えつかない」

「考えつく必要ないですよ。入澤さんには関係ないことですから」


 どうして赤の他人である入澤さんが、俺の好みについて頭を捻るんだ。優秀な頭脳の無駄使いでしかない。

 ぶつぶつと入澤さんが思索に入りしばらくして、車内に次の駅を告げるアナウンスが響いた。

 やっと、入澤さんの話し相手から降板できる。

 電車が減速し始めると、俺はシートから立ち上がった。


「俺は次で降りるので、それじゃあ入澤さん」

「近いうちに好みの女性を決めておいて。答えのない問題ほど難しい物はないからね。それじゃあね」


 断りもなく俺に答案を用意するよう頼みつつ、入澤さんは微笑んで軽く手を振った。

 電車が停まり、乗車口が左右に開く。

 半笑いを返しながら、駅のホームへ踏み出した。

 後ろから幾十人の乗客が押し寄せてくる。

 電車から降りた人の流れに従って、俺は駅の改札に足を運ばせた。

 好みの女性か。

 これから先、俺にもそんな女性が思い浮かぶようになるのだろうか?

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