5-9
ゲームの新作展示会に出掛けた日に約束した通り、俺は西条とサッカーゲームでフレンド対戦をした。
結果は、3―0で俺の大敗だった。
初心者だと高をくくって練習を怠ったのも敗因だが、なにより西条の腕前が初めて数日の域ではなかった。
ゲームを購入してから俺と対戦するまでの間に相当やり込んだに違いなく、シュートフェイントやロングパスの使いどころなど感服するほどだった。
そこで俺は、西条に敗北したその日からリベンジを挑むために深夜三時ぐらいまでオンラインで腕を磨いた。
そうして明くる今日。目を閉じるとすぐにでも眠りに落ちてしまいそうな状態で、錦馬のグラビア撮影にマネージャーとして同伴して、スタジオの休憩用の長机で頬杖をついている。
「錦馬ちゃん。もう少し右腕を寄せてもらっていい?」
スタジオのベッドの上で膝を畳んで前かがみに座る錦馬に、カメラマンの男性が細かく指示を出している。
錦馬は相も変わらず艶美な肢体を少しの恥じらいも見せずに、複数のカメラと人目に晒しているが、どうにも眠気の方が勝ってしまい長く眺めていられない。
普通の男なら強調させている胸に目を釘付けにされてもおかしくないのに、今の俺は瞼の裏にフィールド上に配された十一人の陣形が浮かんできてしまう。
頬杖をやめて、机の上で腕を組んで凭れる。
「うん、いいね。その位置をキープして」
――ボランチの選手がボールをキープさせる時間が長すぎたかもな。サイドにパスを振って、時にはサイドチェンジを交えて――
「次はもうちょっと前に身体を出してもらっていいかな。そうそう、そんな感じ」
――サイドの選手を前に出してロングパスが繋がれば、すぐにサイドクロスを上げられるかもしれないな。試そうかな――
「いい感じだよ、錦馬ちゃん。これ撮ったら休憩入るからね、頑張って」
――この位置でボールを取ったら、フリーの選手はここで、ええと――
「それじゃ錦馬ちゃん。準備終わるまで休憩しててね。それとポットは自由に使っていいからね」
――ボールが回れば、ええと……
コントローラーで画面内の選手を動かし、シュートが枠内を捉えた――
と思ったら、急に談笑する声が遠くに聞こえ出し、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐってきた。
神経系が受けた突然の刺激に、沈んでいた意識が手元に戻ってくる。
「休憩中だからって寝ないでよ」
近くから錦馬の声がして重い瞼を開けると、錦馬の端整な顔が俺の目の前で咎めるような目つきをしていた。
「なんだ、錦馬か」
「なんだって何よ。もうすぐ休憩終わるから起こしてあげてるのに」
「起こすならもう少し待ってほしかった。上手く繋がって、さっきの入ったかもしれないのに」
「何の話よ、それ」
錦馬は理解しがたい生物を見るような顔になる。
そうか、さっきのは夢か。
「俺、寝てたのか?」
「ええ。五分くらい」
たったの五分か。頭はまだ眠りを欲して重い。
「また五分したら起こしてくれ」
そう錦馬に告げて、俺は無理に開けている瞼を降ろす。
「あたしはスヌーズ付きの目覚まし時計じゃないわよ!」
耳に痛い声で錦馬が叫んだ。
俺は仕方なく瞼を開ける。
「スヌーズ機能つけてくれ。次で起きるから」
「寝てるだけの役立たずはクビにするわよ」
「わかった。起きるよ」
クビは冗談じゃねえ。やめてくれ。
寝不足で頭は重いが、俺は椅子の上で背筋を伸ばして姿勢を正す。
「サトウは?」
錦馬が脈絡もなく訊いてくる。
サトウ?
「誰だ、佐藤って。サトラビィッチなら知ってるけど」
「サトラビィッチこそ誰よ、じゃなくてあたしが言ってるサトウは甘味料のこと」
ああ、砂糖ね。
しかし、錦馬はサトラビィッチを知らないとは。スウェーデン代表の歴代ゴール数一位の有名ストライカーだぞ――サッカーから離れるか。
「コーヒーの話よ。砂糖は入れるの?」
「どっちでもいい。任せる」
「はっきりしてよ。入れるの入れないの?」
「じゃあ無しで」
「わかった」
俺の答えを聞くと錦馬は立ち上がり、長机の端に用意された湯ポットへ歩み寄った。
傍の編みバスケットから紙カップを二つ取り、スティックパックのコーヒーの粉を投入してポットの湯を注ぐ。
コーヒーの香りと湯気が漂い始めると、カップを片手ずつに持って俺の向かいの席に戻ってきた。
「はい」
笑顔を見せるでもなくカップを差し出してくる。
俺は軽く礼を言いながらカップを受け取った。
スタジオの中は冷房が効いているから、温かいコーヒーも苦ではない。
「あんたが仕事中に寝るなんて珍しいじゃない。どうかしたの?」
俺がコーヒーの温度を確かめるようにちびりと口に含ませた同時に、僅かに心配げな眼差しで訊いてきた。
「別に。何もないよ」
「何もない事ないでしょ。あたしの撮影中に眠ったり、送迎だって無理って言うし。仕事以外で何か立て込んでるの?」
「そういうわけじゃない。ただ寝不足なだけだ」
深夜遅くまでゲームに熱中していた、とは仕事をおざなりにしている後ろめたさ故に答えたくはない。
「こうして顔を見てるだけでも眠そうだもの。そうとう眠れてないのね」
「気にするな。それよりお前は撮影の方に集中すればいい」
ゲームで負けただけの子どもみたいな悔しさで睡眠を削った結果だ。寝不足は自業自得としか言いようがない。
それに、俺がマネージャーになる以前から錦馬は一人で仕事をこなしていたんだ。俺がいなくても、撮影ぐらいどうにか終わるだろう。
俺がそんな若干の自嘲的な気持ちでいると、錦馬が俺を見つめたまま眉根を寄せた。
「……気にするわよ」
「え?」
そうなの。じゃあ気にしないでいるわ、みたいな冷たい返事が来ると思ってたのに、予想の裏をついた返事をされた。
「いや。俺が寝不足なのは夜更かしをしてるからで、錦馬が気にする必要はないんだぞ」
「人が具合悪そうにしてたら、普通は心配になるものでしょ」
なんでだ、錦馬がやけに優しい。
日頃は、使い捨てが利くが如く俺に命令してくるのに。
正式マネージャーとして認められたとはいえ、扱いが極端に良くなるとは思えないしな。
「夜更かしたって言ったけど、昨日の夜何してたのよ。手伝えることなら手伝うわよ?」
「ゲームしてたんだよ、ゲーム」
「ふうん。ゲームしてたのね。休みの日にあんたが何をしててもいっこうに構わないけど、仕事に支障が出ないようにしてよ」
錦馬はほんのりと微笑み、優しい声音で言った。
ツンケンしてない錦馬って、認めたくないけど可愛いな。
「ああ、これからは気をつける」
俺が殊勝な言葉を返す。それと同じタイミングで、撮影の準備が出来たとカメラマンが錦馬に声をかけた。
今行きまーす、と錦馬はカメラマンに応じて椅子から腰を上げる。
「じゃ、撮影の続きしてくるわね」
「おう。頑張れ」
ベッドの方へ歩いていく錦馬を淡白な言葉で送り出し、コーヒーを一口飲んだ。
やっぱり、まだ眠いな。
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