5-8

 幸い。俺の手元にパンフレットがあったので、ドーム内で迷わずに西条を捜索できた。

 ミラクエのブースにはいなかったし、他の有名タイトルのブースにも姿がない。

 虱潰しにブースを回ろうか、と無策にも覚悟を決めた時、不意に後ろから肩を叩かれた。


「はい?」


 ドキリとしつつ振り返る、が途中で頬に棒のようなものが食い込んでつっかえる。

 半ばまで振り返った俺の視界一杯に、西条の悪戯が成功した餓鬼大将のような口の端を上げた笑みが入った。


「ひっかかったな。あさぎ」

「……探したぞ。どこに行ってたんだ?」


 悪びれない小面憎い顔に少々苛立ちを感じるが、怒ったところで耳は貸さないだろうから、訊くべきことを訊いた。


「御手洗い、にな。化粧を直してきた」

「直さないといけないほど化粧してないだろ」

「まあ、そうだな」


 ニヒヒと笑って、頬に食い込ませている指を退かす。

 こうして見てると俺の知っている西条なのだが、イベントホールでステージに上がっていた時の委縮したような様子や、席に戻った後の情緒不安定について訊きたいことがたくさんある。


「どうだ? 緊張はなくなったか?」

「うん? あ、ああ。ステージでの事か。あの時は少し緊張したが今は大丈夫だ」

「違ってたら謝るけど。西条って緊張に弱いのか?」


 訊いた瞬間、西条の表情が固まった。


「見ててわかるか?」

「確信はないが、ステージに居た時あまりにも様子がおかしかったから。今思うとそうなのかな、って」

「余計なところで勘を鋭くするな」


 怒った風に言い、唇の端を横に広げて「いぃぃぃぃ」と苛立たし気に唸る。

 俺の勘云々よりも、西条の態度が顕著過ぎただけだと思うのだが。


「私の弱点を言い当てるぐらいなら、女心に気を回せっ。デリカシーを覚えろ」


 俺に注意を与えて、細い人差し指をビシリと顔に突きつけてくる。


「思い当たることはないけど、ごめん。これからは気を付けるよ」

「私だけではないぞ!」

「ああ、わかったよ」


 女性を代表して西条は言っているのだろう。

 グラドル業界で働くまで女性との親しい縁なんて数少ないから、もう少し相手の事を配慮できるようにならないとな。


「説教はそろそろ終わりにするぞ。せっかくドームに来たのに時間が勿体ないではないか」

「そうしてくれ。俺も長々説教されるのは嫌だからな」

「まだ見ていないブースがあるんだ。行くぞ」


 と告げて、西条は俺の横を通って歩き出す。

 女心かぁ。

 錦馬や野上よりも断然、西条は考えてることは分かりやすいと思っていたが、腹の内の奥底までは察しきれていなかったんだな。

 女心の難解さに思考の一部を割きながら、俺は歩き出した西条の後についていく。

 ――うむ、難しい。



 一両日かけて行われた展示会の閉幕が迫り、道が混む前に帰りたいという西条の要望に従い、陽が傾き始める中、後部座席に西条を乗せて駐車場から車を発進させた。

 日曜の帰宅ラッシュに当たることもなく、幹線道路を順調にマンションの方角へ向かわせていると、不意に運転席と助手席の間から西条が顔を出す。


「おい、あさぎ」

「席の間から顔を出すな。運転の邪魔だ」


 俺が注意してやると、西条は文句を言わずに顔を引っ込めた。


「今日の事は礼を言うぞ」


 後部座席の真ん中に座り直す音がして、バックミラーに西条の顔が入り込む。


「あさぎのおかげで、ロズさんと直接話ができた」

「どうして俺のおかげなんだ?」


 俺が参加してこととロズさんにステージへ呼ばれたことが結び付かない。

 バックミラーの中で西条は口角を上げた、気がした。前方に意識を割いているので注視していられない。


「あさぎが彼氏役してくれたおかげで、ロズさんは私達を選んでくれたんだぞ。ロズさんは毎年、イベントにカップルがいないことが不満だったらしいからな。男女カップルが参加するのを待ち望んでいたんだぞ」

「じゃあ。西条はロズさんに指名されたいがために、俺に彼氏役をさせてたのか?」

「そういうことだ。大役を務めてくれたあさぎには感謝してるぞ」

「大役ねぇ」


 俺の人生でフリとはいえ彼氏になったことはない。

 経験ゼロの俺を彼氏役に据えた西条の心理が知れない。

 彼氏役が出来そうな人ぐらい、他にたくさん居るだろうに。


「なんで彼氏役が俺だったんだ?」


 自然と口を衝いて出てきた。

 バックミラーの中の西条は予想外のことを聞かれた顔で目を見開いた、気がした。


「今更なことを訊くな。私があさぎを彼氏役に選んだ理由など知っても何も得られないぞ」

「別に何か得ようと思ってるわけじゃないけど。運転できるだけで俺を選んだなら、わざわざ彼氏役をさせる必要はないだろ。ゲーム好きの男友達とかいるんじゃないのか?」


 安心できる運転をするから、とは出発前に聞かされた。でもそれだけでは彼氏役にさせた理由にはならないだろう。

 男友達なり、恋人でなくても親しい男性の友人ぐらい、ゲームを通じて知り合っていてもおかしくない。


「あさぎを選んだ理由か?」


 質問の内容を確かめるような声。

 赤信号に捕まり、スピードを緩める。


「もしも彼氏にするならあさぎが一番マシだったからだ」


 車のスピードが完全になくなり停止線で車が停まった。

 同時に、心臓までも停まったような驚きが胸を打つ。

 彼氏にするならって、彼氏役にするならって解釈でいいんだよな?

 メールの時もそうだったが、西条の発言は何故かしら俺の羞恥心を煽る。

 西条の表情から感情が推察できないかとバックミラーを覗く、が真顔の西条から重大なことを口にした感じは窺えない。

 一瞬でもドキッとした自分が馬鹿馬鹿しくなって、前方に視線を戻す。

 信号が青に変わり、アクセルペダルに足を移動させた。

 時間帯のせいか空いている道路を、ひたすらに西条の住むマンションへ進んでいく。


「なあ、あさぎ」


 しばらく会話が途絶えたまま車を走らせていると、世間話をするトーンで西条が再び話しかけてきた。


「なんだ?」


 前方に視線を固定しまま訊き返す。


「あさぎがやってるサッカーゲームは楽しいのか?」

「ああ、あれか。操作とサッカーの基本的ルールがわかれば楽しめるとは思うけど、どうした突然」


 展示会のブースで西条のことを文句言えないぐらい俺もアップデートの情報を手に入れてワクワクしてたからな。

 もともとゲームが好きな西条のことだから、俺が興奮してるのを見て気になっていたのだろう。


「私もプレイしてみるぞ。サッカーゲームは今までやったことないからな」

「そうか。オウンゴールしないようにな」


 ようやく会話が続き出したが、すでにマンション近くの住宅街だ。


「オウンゴールなどするわけないだろ。私が練習すればあさぎよりも上手い自信もあるしな」

「言ってくれるじゃねえか。俺はこれでも高校生の頃からシリーズ追ってるんだ。やり始めたばかりの初心者には負けねーよ」

「今のうちに威張っておけ。いざ対戦したら、実力で勝ってあさぎの自信を一回で崩してやるからな」

「そっちこそ。あとで吠え面かくなよ」


 視線は合わさぬまま突如を湧きおこった敵対心を剥き出しにしていると、いつの間にかマンションの駐車場の前まで来ていた。

 俺は話を切って駐車場に乗り入れる。


「西条、ついたぞ」

「明後日の午後八時だ。メール送るからな、それまでに準備しておけ」

「その対戦、望むところだ。受けて立ってやる」

「絶対に逃げるな」


 西条は俺に命令口調で告げてから車を降り、マンションの外階段の方へ駆け去っていった。

 明後日の午後八時だな。忘れないようにしとこう。

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