5-6

 部屋着のような地味なトレーナーを着た若者フリーターが、マンションの共通廊下で膝から崩れ落ちた。

 戦闘の意思を失ってしまった敗北者のフリーターの前で、スーツ姿のOLがペットのコリー犬の顎を撫でて笑みを漏らす。

 そんな先程まで何が起きていたのか想像しがたい光景が、ゲーム画面を映したモニターの中で繰り広げられている。


「ついつい手加減を忘れてしまった。ごめんな」


 OLを操作していたロズさんが、言葉もなくコントローラーに視線を落とす西条にしくじった苦笑いを向ける

 フリーターを操作していた西条は、俺の予想以上の差をつけられてロズさんに負けた。

 一度も触れたことのないゲームだとは思うが、西条のプレイは傍から見ても精彩を欠いていた。

 表情にも余裕がなく、対戦の間は終始切羽詰まったような印象を受けた。

 どんな叱責も聞き流して何事も物怖じしなさそうな西条らしい面の厚さが、少しも垣間見られなかった。

 西条の奴、さっきから様子がおかしい。


「どうした? 身体の具合でも悪くなったのか?」


 対戦が終わってからずっと黙りこくっている西条を、さすがのロズさんも気にした。

 審判的な役割をしていた今平さんも、ゲーム席で沈黙している西条に心配する視線を送っている。


「どうかしたのか、にし……かえで?」


 名前を言い直して声を掛けるが、西条から返事はない。


「彼氏さんよ?」


 沈黙に堪り兼ねたのか、ロズさんが俺の方に目を向けてくる。

 視線を返すと、ロズさんはニヤリと口元を歪める。


「彼女の仇を取りたくないか?」

「え、仇?」

「そうだ。彼女が負けて悲しんでるんだ。彼氏なら仇を取ってやらないと」


 この人、本気で言ってるのか?

 俺が決めかねていると、ロズさんが観察するような目で一瞬だけギャラリー席に視線を転じた。


「彼氏さん」


 小さく俺を呼ぶ声がして目を向けると、今平さんが真剣な顔をして顔を寄せてきて耳打ちしてくる。


「このまま彼女が黙っているとステージイベントが進まないので、仇を取るって形でロズさんと対戦してくれませんか?」

「急に言われても。俺、ゲーム得意じゃないですし」

「プレイングに関してはどうこう言いません。ただ場を繋いで欲しいんです」

「俺なんかで場が繋げるんですか?」

「はい。あなたの対戦が終わったら、ロズさんと健闘を称え合って握手をしてください。そうしたら自分が上手く次の対戦へ進行させますので」


 おそらく、思わぬ西条の沈黙でステージの雰囲気が著しく気まずくなったのだろう。そこで彼氏役の俺に場繋ぎをさせて盛り上がりを再興させるつもりだ。

 確かに西条がこのまま黙りこくっていると、ギャラリーの方にも心配する人が出てくるだろう。

 西条が何を思って押し黙っているのかはわからないが、さすがにイベントが進まないまま大勢の視線に晒しておくのは気の毒だ。


「わかりました」


 一言そう返すと、今平さんは会釈して審判役の位置に戻った。


「ロズさん」


 ニヤリとした笑みで返答を待っているロズさんに、俺はわざと好戦的な目を投げた。


「彼女の仇を取らせてもらいます」

「ふふん。いい度胸だ。受けて立ってやる」


 これでよかったのだろう。

 西条の真意は知らないが、自分のせいでイベントが台無しになったと西条が負い目を感じないで済むなら。

 俺はゲーム席でだんまりを続ける西条に歩み寄った。


「かえで。席を代わってくれ」


 西条はゆっくりと俺の方を振り向く。


「……すまない」


 聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟き、顔を伏せたままゲーム席からゆっくりと腰を上げた。

 何があった、と今は聞かないでおこう。緊張が鎮まってからでも充分に話をする時間はある。

 ゲーム席に腰を降ろして、俺はコントローラーを手にした。


「彼氏さんが仇を取るのか、それともロズさんが連勝するのか。バトルスタートです!」


 今平さんが声の調子を高めて、熱狂的に対戦開始を合図する。

 どこのボタンでどう動くのかすら、まだ覚えきれてないんだが。

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