4-17
高速を利用して都心まで戻り、日頃錦馬と落ち合う駅まで車を走らせた。
夕時で通勤者の姿が多い駅前広場の道路沿いに横付けする。
「おーい、着いたぞ」
いつもなら錦馬は停車とともに車を降りるのだが、今日は窓の外に顔を向けたまま身じろぎもしない。
「降りないのか?」
「ちょっと待って」
考え事を邪魔されたみたいに、苛立った声が返ってきた。
待ってという望み通り、俺は錦馬が降車するのを待った。
しかしダッシュボード上の小さなデジタル時計が二分進んだのに、錦馬はいっこうに窓の外に黙って顔を向けている。
何をそんなに真剣に見ているのか、俺が錦馬と同じ方向に視線を移そうとした直前、あのさ、と錦馬が口を開いた。
「ここで降りるのやめるわ」
「まだ帰らないのか。どこか寄りたい場所でもあるのか?」
「そういうわけじゃない」
錦馬は否定して、言葉を続ける。
「電車を使いたくないから、このまま車で家まで送って」
今までに前例のない要望だ。
何を考えてだろう、俺は質問を投げる。
「急にどうした。電車を使いたくない理由でもあるのか?」
「監視されている感覚。あれが怖いのよ」
一日ぶりに耳にした物騒なフレーズ。
自分に向けられるおぞましい視線が、電車を使いたくない理由か。
「電車内で感じるのか、その監視されている感覚を」
「そうよ。それも駅で降りた後も誰かにつけられてる気がするわ」
なおも窓の外を眺めて、被害を打ち明ける。
あからさまに恐怖を顔に出すことはない。だが怖いとはっきり口に出した。
要望に応えないと、もし相手が今日錦馬に手を下したら取り返しがつかない。
まあつまりは、錦馬を護りたい。
「そういうことなら遠慮なく頼ってくれ、車で家まで送るだけだろ」
「住宅街に入るところまででいいわ」
「わかった」
俺はアクセルペダルに足を載せた。
夕暮れの駅前を離れて、錦馬の案内に任せてステアリングを操舵する。
数十分ほど走って車外の景色が薄い夜の色に染まった頃、後ろの席で錦馬が姿勢を変える気配がした。
「あのさ」
「なんだ」
運転中だったので、声だけで返事をする。錦馬の声が駅前に停車していた時より近くに聞こえる。
「さっきから考えてたんだけど」
言葉を選ぶような間が空く。
「そろそろ認めてもいいかなって」
「何の話だ?」
認める? なにをだ?
「察しなさいよ。正式なマネージャーとしてよ」
俺は錦馬の言葉の意味を理解すると、驚き余ってステアリングを握る腕から肩が強張った。
目の前の交差点の信号が赤だと気づくのが遅れて、急ブレーキを踏んでしまう。
突然に制動をかけたことによって、車内が前のめりになって揺れる。
ひゃっ、と錦馬が小さく悲鳴を漏らすのを聞き、俺は急に背もたれ越しに体重を感じた。
「急にブレーキしないでよ、危ないじゃない」
と首のすぐ後ろから叱声が飛んでくる。
「すまん」
「きちんと信号見て運転しなさいよ」
錦馬は急ブレーキをした俺に注意する。背もたれ越しの体重がなくなり、首の近くにあった声が少し遠ざかる。
赤信号で停まっている間、ちらりと錦馬に視線を遣った。
錦馬は両膝にゆったりと手を置いて、またも顔が窓の外に向けている。
飽きず車外を眺めている意図が、ふと気に掛かった。
「なんで外ばっか見てるんだ?」
「理由なんてなんでもいいでしょ」
俺の問いに、突き放すように言った。
「まあ、いいけどさ」
話したくないなら無理に詮索しない。俺は正面に顔を戻す。
信号が青に切り替わると、俺は再び車を進ませる。
二か月ほどの送迎で慣れた車内の沈黙が、今日は少し異質な気がした。正式なマネージャーとして認められて俺の心境が変化したのだろうか。
その後、十分もかからず錦馬の入居している白壁のマンションを含む住宅街に差し掛かるところ路地まで来た。
「ここで降ろして」
錦馬が俺に告げる。
路地に入る手前で車を一旦停止させる。
「送ってくれてありがと。助かったわ」
いつにない朗らかな顔で礼を言うと、錦馬は隣座席の下から自分のボストンバッグを掴み上げる。
ボストンバッグを両手に、スライド式のドアから車外に降りて住宅街に入っていった。
錦馬の後姿が住宅の角で見えなくなると、任務ご苦労と心の中で自分を労った。
リビングのソファで寛ぐのを楽しみにしながら、俺は自宅へ車を進ませた。
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