4-16

 ホテルの表口まで見送ってくれた撮影スタッフに帰路に就くことを告げて、東芸能事務所の五人で駐車場に向かった。


「やっと家に帰れるわ。ほんとに今回は疲れた」


 錦馬が苦役から解放されたように言った。


「さすがに三日も家を離れてると、自宅が恋しいわね」

「私はこれから長期の撮影は一切断ることに決めたよ。コントローラーに三日も触れなかったから禁断症状を発症しそうだからね」


 西条は撮影期間によって仕事を選ぶことを心に決めて、わざとらしく右腕を押さえて痙攣させた。


「それゲーム依存症じゃないか?」


 俺は深い考えもせずに尋ねた。

 西条にギロリと睨まれる


「浅葱は私をゲーム依存症だと軽蔑するのか?」


 西条の顰蹙を買うなどとは思いしなかったので、慌てて否定した。


「軽蔑してない。依存症の診断基準を疑問に感じただけだ」

「生活が破綻してないから、私は依存ではない!」


 他の言論を寄せ付けないほど強く主張する。お前が依存症だと思ってないって。

 西条の依存症否定の論理をしつこく聞かされながら私有車のところまで来ると、俺は荷物を運び入れるためトランクの方に回った。

 そこで思いがけぬ遭遇をして、思わず呟いてしまう。


「そういえば、プールに来てたね」


 番組スタッフに連行されて以来は姿を見なかった入澤さんが、車体のリアに凭れかかり、どよんとしたオーラを放出して脚の間に顔を埋めて体育座りしていた。

 撮影の最中につまみ出されてから、まさかずっとここにいたのか?


「入澤さん。どうしたんですか、こんなところで?」

「……」


 声をかけたが、顔を上げずに黙っている。


「そこにいると、トランク開けられないんですけど」

「……うっ」


 嗚咽のような呻きを漏らす。しかし顔を埋めたままで、本当に泣いているのか空泣きなのか判別がつかない。


「答えてください、どうしたんですか?」

「浅葱君」


 涙混じりの声で俺を呼び、おもむろに顔を上げる。彼女の瞳は隠しようがないほどに濡れている。


「なんですか?」

「頼みたいことがある」


 頼みたいこと? 急に何の頼みごとをする気なんだ?

 グラドルがどうとか俺に要求するんじゃないだろうな。


「なんです、頼み事って?」

「それは……」


 入澤さんは言いかけて詰まった。

 俺が続く言葉を待っていると、一度目元を強く7拭ってから、決意を固めたように真剣な目を向けてくる。


「錦馬さんの水着姿を拝みたい」

「性懲りもないですね、昨夜断られたじゃないですか」


 親切に聞いて損した。


「水着は用意してるから、着替えるだけだよ」

「それをなんで俺に頼むんですか」

「入澤さんはどうしてそこまであたしの水着姿が見たいのかしら?」


 俺と入澤さんの話し声を聞いたのだろう、錦馬が荷物を持ったまま歩み寄ってくる。

 錦馬は入澤さんを不思議そうな目で見つめる。


「あたしを見て、なんになるのよ。せいぜい

「心の傷の治癒効果があるんですよ、私にとっては」


 万人に通ずる治癒効果じゃねーのかよ、なお理解に困るわ。そもそも錦馬の水着姿に傷を癒す効果はない。


「ですのでどうか」


 入澤さんは錦馬の足下に叩頭する。

 錦馬は断固として首を横に振る。


「どれだけ頼み込んでも着てあげないわよ」

「どうしても?」

「どうしても」


 表情一つ変えず錦馬は突っぱねた。

 途端に入澤さんは顔を歪めて涙ぐむ。


「私は錦馬さんの水着姿をこの目に焼き付けたい。写真は撮らないから、一分いや三十秒でいいから拝謁させて」


 目に涙の水溜りを浮かべて、なおも懇願する。


「できないものはできないの。浅葱の目もあるし」


 錦馬は俺を許諾できない理由に使った。俺に何の関係があるんだよ。

 入澤さんの目が俺に向き、好機を見出したように輝く。


「なら浅葱君が見たいと思えば、見せてくれるの?」

「なんでそうなるのよ」

「浅葱君、正直に答えて。錦馬さんの水着姿見たいでしょ?」


 札束を前にしたような爛々とした瞳で俺に尋ねる。

 ごめん、望みには添えない。


「別に。仕事で飽きるほど見てるしな」


 俺がそう答えると、入澤さんの瞳の輝きが一瞬にして消え失せ、悄然と顔を伏せた。

 落胆する入澤さんの肩に優しくポンと誰かの手が置かれた。手を置いたのは入澤さんと親交の深い西条だった。


「入澤、気を落とすな」

「でも、悲願が叶わなかった」

「本人が拒んでいるんだ、仕方がない」


 後輩であるはずの西条が、入澤さんを慰めている。この二人には年齢の上下など気にならないのかもしれない。


「水着姿は諦めるほかないけど、グラドル業界の裏話を聞けるかも知れないぞ」

「どういうこと?」


 涙を振り払って俄然興味を示した入澤さんの耳に、西条が口を寄せる。


「野上の祖父のゲンジローが、ひょっとしたら裏話を聞かせてくれるかも」

「なるほど。飯山さんならひと昔前のグラドル秘匿情報を教えてもらえるかもしれない」


 先程の落胆から一転して、入澤さんは満面の笑みを浮かばせた。


「ということで、浅葱」


 西条が俺に振り向く。


「私と入澤は飯山さんの車で帰ることにする。ここまで世話になった」

「そうか、じゃあな」


 俺が了解すると、西条は荷物を携えて入澤と連れ立ち、飯山さんの車の停まっている方へ歩き出した。

 二人の後姿を見送っていると、錦馬が不意にあっ、という何か思い至った声を発する。


「どうした?」

「西条がいないってことは、帰りの車の中はあたしと浅葱だけってことよね?」

「ああ、そうか。そうなるな」

 確かに車内に二人だけになる。とはいっても仕事の行き帰りは普段から車内二人だけだ。これといって珍しいケースではない。むしろ西条が同乗していた今回のケースの方が異例だ。


「でも、いつものことだろ」

「それはそうだけど……」


 髪先を弄りながら、言いにくそうに視線を逸らす。

 あたしも飯山さんの車で帰りたい、とか言い出すのか?

 錦馬が継ぐ言葉を待っていると、俺の車の前で飯山さんのシルバーのミニバンがスピードを緩めて、サイドドアをこちらに向けて停まった。

 助手席のガラス窓が降りて、野上が身を乗り出してくる。


「浅葱さん、お疲れさまです」

「ああ、お疲れ」

「西条さんと入澤さんがお祖父ちゃんに用があるって言って乗ってるんですけど、何かあったんですか?」

「入澤さんがまた錦馬に……」

「なっちゃんの水着姿ですか」


 俺の説明なくして、野上は得心する。


「でもそれ、今お祖父ちゃんの車に乗ってるのとどう関係するんです?」

「飯山さんからグラドル業界の、世に出てない話を聞き出すつもりのようだぞ」


 西条の入澤さんの腹積もりを明かすと、腑に落ちた顔をする。


「お祖父ちゃん、この業界大ベテランですもんね」

「入澤さんのことだからプライベートな際どいことも訊いてくるだろうけど、度が過ぎたら遠慮なく止めていいぞ」

「入澤さんがですか。さすがにデリカシーは弁えてると思いますけど」


 野上は車内の後部座席にいるのであろう入澤さんを振り返る。野上の想像以上に変態な嗜癖の持ち主だぞ、警戒を推奨する。

 野上が意図せぬ暴露をしてしまわないか、と俺が案じているのには気づく素振りもなく、野上は陽気な笑顔で言う。


「なっちゃんのことになったら、上手く話を逸らすので大丈夫です」

「野上自身も気をつけろ。入澤さん何を聞き出すかわかったもんじゃないから」

「私には隠すほどの話もないので心配いりません。それよりも……」


 間を置いて、たった今思い出したように言う。


「ここのナイトプール、綺麗でしたよね」

「そうだな」


 急にナイトプールの話題に切り替わって、俺は相槌だけは打つ。


「今度は誰かと一緒にお客として来たいです」


 再訪したい思いを口にして、何故か真っすぐに俺を見る。


「チケット貰ったんだろ。好きな時に来ればいいじゃないか」


 ちょっとどぎまぎしながらそう返すと、野上は残念そうに目尻を下げる。


「まるで他人事です」

「そりゃ俺が貰ったわけじゃないからな」

「浅葱さんらしい答えなので、まあ許します」


 少し満足のいかない調子で言いつつも、口辺に小さい笑みを見せた。

 野上に何を許されたの皆目わからないが、大したことじゃないと思い聞き返さなかった。


「それじゃ、お先に」

「それじゃあな」


 降ろしていたガラス窓が上り、ぴったりと閉まる。

 飯山さんの車は退場ゲーㇳを抜けて、一般道に紛れていった。


「あたし達も帰りましょう」


 錦馬が俺の車の横で待つのが疲れたような顔で促してくる。

 西条が飯山さんの車で帰ることになったので錦馬の隣座席が空き、俺は自分と錦馬の分の荷物を空いた座席下に置いた。

 俺が錦馬の隣の空いた座席下に荷物を運び入れている間、錦馬は先に乗り込んで席にもたれて窓の外を眺めて始める。

「心なしかいつもの仕事より疲れたわ」


 俺が荷物を詰め込み終えて運転席に座ろうとした時、錦馬がふと呟いた。

 それも道理だ。いろんな意味で気苦労が絶えない三日間だったからな。

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