4-15

 錦馬、野上、西条の出場したしりとりウォータースライダーの第四戦で、東軍の三日間のポイント総数が西軍のポイント総数を上回り、一日目の全敗からは予想もつかなかった東軍の逆転勝利で、三日間に渡るグラドルの東西対決は幕を閉じた。

 MVPと称して野上が選出され、スヤマウォーターランドから入場券五枚とナイトプールの招待券二枚が贈呈された。


 番組撮影の全予定が終わり、撮影に携わった全員がホテルに戻った。

 制作側の皆さんはもう一日ホテルに泊まり打ち上げを開くそうで、帰途に就く出演者やそのマネージャーを、ロビーで見送っている。

 俺と飯山さんも帰り支度を部屋で済ましてきて、ロビーで錦馬と野上と西条を待っているところだ。

 そこへ寝起きドッキリの撮影班長が、俺と飯山さんに近づいてくる。


「二人ともお疲れさまでした」


 気軽く労った後、班長は俺に向って深々と腰を折った。


「今朝はなにかと迷惑をかけまして、すまみせんでした」


 唐突に謝られて、俺はポカンと班長の頭を見つめた。


「あの後、錦馬菜津さんからお叱りを受けませんでしたか?」

「叱られはしませんでしたよ。錦馬もそれほど怒ってない、って言ってました」

「よかったぁ」


 班長は言葉通りに胸を撫で下ろす。


「これで来年も出演オファーできますよ」

「もう来年のこと考えてるんですか」


 素直に驚いた。

 班長は、そうなんだよと頷いた。


「ぜひとも来年も出演オファーを受けてほしい、と錦馬菜津さんに伝えてください」

「はい、伝えておきます」


 では気をつけてお帰りください、と物腰低く言って、班長は撮影スタッフの集団のところへ踵を返した。


「寝起きドッキリのことじゃな?」


 班長が離れてから、飯山さんが事情を知り得た顔で訊ねてくる。


「野上から聞きました?」

「そうじゃ。なっちゃんにはハラハラさせられたそうじゃ」

「突然魘され始めたから、俺も驚きましたよ」

「悪かったわね、突然魘されたりして」


 被せるようにして声が返ってきた。

 ロビーと繋がる廊下の角から、錦馬が姿を現す。突然声かけてくるなよ、驚くだろ。


「物凄く胸糞悪い夢だったのよ、あんたには理解できないでしょうけど」

「そりゃそうだ。俺にお前の苦しみはわからん。だが、俺も悪夢を見たらお前よりもひどく魘されるだろうな。悪夢なんて見たくないな」

「……そうね」


 強引に話題を終わらせるように錦馬は短く返す。

 錦馬の現れた廊下から、わかるわかるぞ、とやたら大きな話し声が響いてロビーまで聞こえてくる。

 話し声の正体は廊下の角を曲がって、俺達の前まで来た。ライムグリーンのパーカーを着た西条だ。手元のスマホからコードが伸びていて耳にイヤホンをしている。


「はは、そこで無茶だ無茶だ」


 話し声だと思ったのはスマホで動画視聴に没頭した西条の独り言だった。


「あんたもうちょっと周りの人のこと考えなさいよ」


 周りをはばからない声を出す西条を、錦馬が咎めた。

 西条はイヤホンで耳を塞いだまま、錦馬を見向きもしない。


「人が話してる時くらい、イヤホンを外しなさい!」


 青筋を浮かせて錦馬は怒鳴った。

 鬱陶しそうに顔をしかめながら、西条はイヤホンを片耳だけ外して、怒る錦馬を目を向けた。


「なんだ?」

「ゲラゲラうるさいわよ。ここホテルのロビーなのよ。静かにしてられないの?」

「いきなり怒鳴るお前も大概だ。静かにしてもらいたかったら、ジェスチャーで伝えればいいじゃないか」

「あたしの伝え方が悪いっていうの?」

「そのとおりだ。お前こそ人様に迷惑かけているんだ」

「そもそも、あんたの笑い声がうるさくなかったら、あたしだってこんな風に怒鳴らないわよ」


 錦馬と西条は段々と語調が荒くなっていき、ロビーにいた誰もが二人の口論を何事かと眺めている。

 二人の口論を放置すると延々と続きそうなので、仲裁に入ろうと俺は二人の前に歩み出た。


「二人とも落ち着け、皆が見てるぞ」


 怒りの形相のまま、二人は俺を睥睨した。

 両方とも整った目鼻立ちをしているだけに、柳眉を逆立てた顔はひときわ迫力がある。

 二人の眼光から視線を逸らさないように真っ直ぐ受け止めて、俺は二人を宥める。


「ロビーで喧嘩するな、東芸能事務所の看板に泥を塗る気か」

「「……」」


 途端きまり悪げに錦馬と西条は押し黙った。

 俺の一言で口論が鎮まり、ロビーにいた人達はまたそれぞれの会話に戻る。

 周りの注意が別の方にいくと、二人はまたも正面から睨みを交わす。


「骨女が」

「ホルスタインめ」


 お互いに罵り合っているのだろうが、どちらの卑称も俺にはピンとこない。

 再び口論を始めそうな二人から離れられないでいると、二人とも仲良くしてください、と新たに仲裁を望む声が廊下とロビーの境目の辺から聞こえた。


「なんでそんなに仲が悪いんですか、水と油ですか?」


 重そうにボストンバッグを両手で提げた野上が、廊下から錦馬と西条に理解し難いというふうに言った。


「撮影の時みたいに仲良くできないんですか?」

「あれは撮影だから、お互い干渉しないでいられたのよ」


 錦馬が言い訳じみた調子で答える。

 ふう、と息を吐いて野上はボストンバッグを床に下ろしてから、反りの合わない二人に不服げに口を開く。


「二人の仲が悪いと、浅葱さんまで困ってしまいます」


 また俺に関係するのか、と野上の俺への心配が過剰な気もしたが、よく考えてみると確かにさっき自分困ってたな、と思い返し納得だ。


「浅葱のために仲良くならなければならないの?」

「私も同じこと思ってる」

「とにかく、浅葱さんのためです」


 野上は確証あるように頷いた。

 錦馬と西条は視線を移して、俺の顔をじっと見た。


「あたしと骨女の仲が親しいと、あんたに何のメリットがあるのかしら?」


 いざ訊かれると、二人の仲を改善することで俺に何を齎されるのか、自信ある答えが頭に思い浮かばない。俺に関することと言えば、あれくらいしか。


「まあ、車内での居心地が少し良くなるかな」


 帰りの車内にまで険悪な雰囲気を持ち込まないで欲しい。自分の所有車なのに居心地が悪いのは納得いかん。


「そうね。そういうことなら善処するわ」

「事故を起こされても嫌だからね。浅葱が気楽に運転できるよう、私も努める」


 渋々という感じで、車内ではピリピリしないと二人は請け合った。

 根本的な和解には至ってないけど、とにかく喧嘩だけはやめて欲しかったから、今はこれで妥当だろう。


「アイドル同士の軋轢というのはこの業界には付き物じゃ」


 これまで黙って成り行きを見ていた飯山さんが、不意に達観した物言いで俺達に語りかけるように話し出した。


「口喧嘩は両者が忌憚ない言葉を伝えられる数少ない手段じゃ。憎しみを仕舞い込むより余程ましじゃろう」


 飯山さんの助言は俺の胸奥にまで染み込んできた。これが芸能マネジャー歴云十年の箴言か。


「なんての、取るに足らない老人の独り言じゃ」


 みんなの視線が集中すると、飯山さんは付け足すように言って少年のように破顔した。

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