4-13
撮影最終日の早朝五時半、眠気を忘れたかのような撮影スタッフ連中によって、俺は番組の企画打ち合わせに巻き込まれた。
「マネージャーさん、錦馬菜津さんが苦手なものってわかりますか?」
広い客室を一つ借りた急ごしらえの会議室で、真向かいの椅子に座る企画の班長の眼鏡男性に、そう訊かれた。
知るかそんなもん、と言い吐いて、会議室を抜け出したかったが、企画班の数名が入り口を固めていて、退路を塞がれていた。俺は取調室に入れられた容疑者か。
「普通の寝起きドッキリじゃ、ありきたりでしょう?」
「ありきたりで問題ないと思いますけど」
「わかってないなぁ」
企画班長は眼鏡の奥の瞳を嫌がらせを計画する悪童のように光らせる。
「従来のドッキリならお笑い芸人が数多くやってきてる。しかし我々のターゲットはグラドルだ。だからこそ、この番組にしかできないドッキリ企画を考え出さなければならないんだ」
我々って、まさか俺も含まれるのか。質の悪いドッキリ企画の片棒を担ぐのは御免被る。
「なんでこちらが考えなきゃいけないんですか、企画したのはそちらでしょう?」
「毎年マネージャーさんには快く協力してもらってるんですがね」
前例と比較されても、俺は同調圧力なんかに負けないぞ。
俺がドッキリの協力を断固として拒んでいると、班の別の男性スタッフが班長に俺に聞こえに声量で口添えした。ほんとに刑事ドラマの取り調べめいてきた。
班長はくぐもった音で喉を鳴らして、懇請の表情になる。
「マネージャーさん、撮影の許可と撮影の同伴だけでもしていただきたい」
「錦馬本人の許可を取らないと、なんとも」
「それじゃドッキリにならないでしょう!」
テーブルを叩いて怒鳴られた。
「いやでも、無断で何かすると首切られるかもしれないんですよ、俺」
「そこはまあ、ギャラも上乗せしますから」
「錦馬がそれで許してくれますかねえ」
そちらは番組の一企画に過ぎないから笑い事で済むが、こっちは職を失くすリスクがあるのだぞ。
「許してくれるでしょう。昨日の撮影前、遊具の裏で二人で密事してたくらいだから、ね?」
ニヤニヤと嫌らしく笑う。
密事とは思わないが、あれ見られてたのか。
「だから、錦馬さんも簡単にクビにしないと思いますよ」
温和な顔でそう言っているが、この人の腹の中がわからない。軽い脅しにも聞こえてくる。
「協力はしませんよ」
「許可と同伴をお願いします、それだけでも撮影は成り立ちます」
「ほんとにそれだけでいいんですか?」
「はい、責任は負いますので」
「わかりましたよ。撮影を許可します」
ほぼ投げやりな気持ちで許諾した。
すまない、譲歩はしたんだよ錦馬。断れなさそうだから他にどうすればいいか、わからなかったんだ。心の中で錦馬に土下座する。
寝起きドッキリ企画を無断で受けれ入れた俺を蔑む、錦馬の顔が不意に頭に浮かんだ。ほんとに許してくれ。
「それじゃ、準備が出来次第行きましょうか」
班長は気分の良さそうな声を言うと、同じ班の連中にあれこれと指示を飛ばし始めた。
錦馬に後でどう釈明しようかな、と俺が頭を悩ませているうちに撮影は開始した。
「マネージャーさん、突入前に部屋の中を確認してもらっていいですかね?」
班長が俺に最終の確認するよう促す。
思案を一旦やめて、ドアを慎重に開けて室内を覗く。
左手にベッドが二台あり、手前が野上で奥が錦馬だ。二人とも布団を肩まで被りすやすやと寝入っている。
「どうですか?」
「熟睡してますよ」
班長は俺の返事を聞くと、カメラ担当に用意を急がせる。
カメラの突入準備が整うと、俺は錦馬を起こす役で撮影班に同伴することになった。
いけ、と班長が手振りと小声でゴーサインを出す。
カメラ担当が先頭で部屋に踏み入り、足音を立てぬように錦馬のベッドに近づいていく。
ウ、ウウウ――
その時、錦馬が寝苦しそうに唸った。
撮影班はびくりと足を止める。
「続けろ、続けろ」
ドアの外から班長が擦れるような小さい声で撮影継続を命じる。
撮影班とともに錦馬の正面まで接近に成功する。錦馬の表情が見える位置まで来た。
早く早く、と班長が急き立てている。
心の中で錦馬に詫びながら、揺すり起こそうと肩に手を伸ばした時、
「誰ですかぁ?」
と反対側のベッドから、気の抜けた誰何の声がした。
心臓が飛び出そうなほどに驚いて、俺は野上の寝ているベッドを振り向く。
ベッドに起き上がっている寝起きの眼をこすりながら、俺を含む撮影班を見つめている。
「野上さん、しばらく寝たふりしててください」
彼女の最も近くにいた撮影班の一人が、野上の耳元で潜めた声で伝える。
「うん」
夢の中にいるみたいなぼっーとした受け答えをして、野上は状況説明を求めることはなく布団を被り直した。
ドッキリのターゲットに意識を戻す。すると何故だか錦馬は辛そうに寝顔をしかめていた。
「やめてっ――」
何か拒む、はっきりとした寝言が錦馬の口から出た。
撮影班の人達は突然の寝言に動きを止めて、怪訝に顔を見合わせる。
「来ないでイヤ」
誰かに追われてでもいるのだろうか? まるで悪夢を見ているような寝言だ。
苦しそうにしている錦馬の額には、多量の冷や汗が浮き出ている。
「やめてっ! 来ないでよ1 ほんとにダメ――」
寝言の語調が激しくなったと思うと、次には弱々しくなる。
俺は肩の真上で留まらせていた手で、思わず苦しむ錦馬を揺らした。
「起きろ、起きろって」
声をかけながら揺り起こす俺に、ドッキリどころではないと察したのか、撮影班は方々は部屋の外に退き始める。
「いやあ、触らないで!」
錦馬が俺の手から逃れようとするように反対側に強く身をよじった。
俺の手は錦馬の華奢な身体から引き剥がされる。肩に触れていた俺の手が悪夢と同化してるのかもしれない。
こんな苦しんでる錦馬を見ていられない。
「起きろ、錦馬!」
つい、俺は錦馬を悪夢から目覚めさせてやろうと大声を張り上げた。
「うぅん」
呻くような声の後、錦馬は薄目を開いた。
ぽかんとした顔で俺を認めると、途端に身体を強張らせる。
「来ないで!」
恐怖をきたした反射的な動きでベッドの端へ身動ぎながら、怯えたように両手を目に翳す。
夢と現実の判別がついていない様子だ。
できるだけ優しいトーンになるように言葉をかける。
「うなされてたぞ、大丈夫か?」
「誰?」
錦馬は翳していた手を退かして、正面に立つ俺をまだ醒めきっていない目で見つめる。
「俺だ、浅葱光人だ」
「よかった……」
安堵したように口元を緩めて、
「ありがと、助かったわ」
心の底から湧いたような、感謝の言葉を漏らした。
ベッドの上に横たわって無垢な表情で見つめられてると、いつもが仏頂面だけに、不覚にも見惚れてしまいそうになる。
それでも俺は頼まれた仕事をしたまで、だ。
「命令通り、お前を護ったんだ」
照れ隠しに義務を全うしただけだと伝える。
「そうね」
錦馬はちょっと不服そうな顔で言うと、布団から出てベッドの端に腰を据えた。
「私が魘されてたから助けてくれたの?」
座った姿勢で上目遣いに訊いてくる。
「苦しんでる人がいたら助けるのは、人間として当然だ」
俺には、錦馬だからとかいう特別な感情は一切ない、つもりだ。
錦馬は思索する表情で俺を見つめていたが、やがて思索を諦めたように溜息を吐いた。
「あたしが馬鹿みたいじゃない」
「なんでだ?」
「気にしないで、たいしたことじゃないから。それよりも外の人達はなにしに来てるの?」
俺の疑問には答えず、部屋の外に顔を向けて問い返してきた。
部屋の外には他人の情事を観察するような目で、俺と錦馬の様子を見ている撮影班の人達がいた。
「あれは撮影のために来てるんだ」
「何の撮影?」
「お前の寝起きドッキリだ」
打ち明けた瞬間、錦馬は憤怒の形相に変わる。
「そんなの考えたの誰よっ、趣味悪いわ!」
突然の錦馬の怒声に、撮影班の人達は錦馬の逆鱗から逃れるように班長に視線を注いだ。
企画考案の責任が自分だけに向けられ、班長は脂汗を顔面いっぱいに噴き出して、露骨に狼狽える。
「責任を私一人に負わせるなよ!」
同情する気持ちもないではなかったが、許可を下した俺の罪も班長になすりつけよう。責任は負うって言っていたしな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます