4-12

「それで用件って何?」


 サングラスとマスクを外した入澤さんに、錦馬が部屋で四人全員が座るなり訊いた。

 俺と入澤さんは床で直に座り、錦馬と野上はベッドの端に腰掛け、四人で車座になった。


「話をする前に訊きたいことがある」


 入澤さんが申し出て質問する。


「かえではどこ。錦馬さんと野上さんと一緒部屋なのに、姿が見当たらない」

「かえでさんなら、私のおじいちゃんが付き添ってコンビニに行きました」


 入澤さんの目が意外そうに見開く。


「かえでと野上さんのおじいちゃんが一緒に?」

「女性の一人歩きは危険だからって、おじいちゃんが付いていったんです」

「女性に優しいんだ、野上さんのおじいちゃん」


 入澤さんは感心したように言った。


「で、用件は?」


 強引に錦馬が話を本筋に戻す。

 訊かれた入澤さんは不意にお土産袋の中に手を入れ、水色の布のようなもの取り出した。

 取り出した物を顔の高さまで上げると、嬉々とした笑みを浮かべ、暖簾のように広げた。


「これ、何でしょう?」


 見ればわかる。水着だ。


「モノキニね」


 錦馬が即答した。へえ、背中の開けたワンピースの水着ってモノキニっていうんだ。

 満足のいく答えだったのか、入澤さんがにんまりと笑う。


「さすが錦馬さん。ご名答」

「そんなもの出して、何をする気なの?」

「決まってるね。錦馬さんと野上さんに着てもらう」

「却下」


 錦馬は怒ったように目尻を吊り上げて、にべもなく拒否した。


「えええ」


 入澤さんは露骨にショックを受ける。


「着てもらうために売店で買ったんだよ。いい写真が撮れると思ったのに」

「水着はさっさと仕舞って、それで本題は?」

「野上さんはどうする?」


 諦めきれない様子で、入澤さんは標的を変えて水着を野上の方に向ける。

 野上はまじまじと水着を見つめる。


「これ着たら、誰かが喜んでくれるんですか?」

「当然。ここに女性の水着姿に目が肥えた男性が座ってる」


 したり顔で野上に答えて、俺を親指で指し示す。

 女性の水着姿に目が肥えているなんて誤解を招くこと言うなよ、俺はじろじろ観察したことねえよ。むしろ目が肥えているのは、女性グラビアオタクの入澤さんの方だろ。


「浅葱さん、私がこれ着たら喜びますか?」

「喜ばない、喜ばない」


 野上が真面目な顔で訊いてきたので、はっきりと否定した。


「そうですか、なら私も着ません」


 俺の返事で野上は心を決めて、水着の着用を断った。

 思惑を果たせなかった悔しさからか、入澤さんは下唇を噛んでいる。


「それで結局、社長からの伝言ってなんなの?」


 錦馬が少し苛立った声で、話頭を無理矢理に修正した。

 途端に入澤さんはばつの悪い顔をする。


「それは……」

「何?」

「ええと……」

「何?」


 重ねて催促され、矢庭に入澤さんは決然とした面持ちで口を開く。


「伝言なんて元から預かってない。グラドルの秘蔵写真が欲しくて、身一つで撮影現場に乗り込んできた」


 言伝てを話すのを待っていた俺と錦馬と野上は、ようやく発された台詞に呆れ返って言葉がない様子だ。

 絶句した俺達を見回し、入澤さんは飄然と小首を傾げる。


「おかしなこと言ったかな?」


 入澤さん以外が揃って頷いた。

 それまでの入澤さんの瓢げた表情が、驚愕に一変する。


「え、グラドル好きなら推しの撮影現場に行くでしょ普通」


 普通じゃないよ。グラドルの追っかけなんて聞いたことない。

 未練がましく水着の肩の部分を持って眺めている。


「二人ともモノキニを着た公式写真がないから、世界初で二人のモノキニ姿を拝めると期待してたんだけど」

「そういえば着たことないわね。でもよくそんなことまで知ってるわね」

「錦馬さん写真や映像は全てチェックしてるから、野上さんも」

「私もですか、ありがとうございます」


 自分のことまでも網羅している抜け目なさに、野上が恐縮して礼を言う。

 オタクとしての熱心さがもここまでくると、無下にはできないもののように思えてくる。


「錦馬さん」


 入澤さんが急に背筋を立てた正座になり、真顔で錦馬と対座する。


「何?」

「モノキニの着用をお願いします」


 丁寧に水着を仕舞うと、手を膝の前につけ頭を下げた。

 錦馬はしばらく入澤さんの頭部を見つめてのち、諾否を下す。


「同じ事務所のよしみ、と言いたいところだけど」


 間を置いて、表情を引き締める。


「個人のために特別には着られないわ」


 入澤さんが面を上げて、自分が懇願を向けている相手と目を合わせる。

 錦馬は入澤さんの目を見返して、はっきりと言い切る。


「だってあたし、プロだもの。頼み込んだら水着姿を晒すサービスはしないわ」


 入澤さんは見上げるように錦馬に本気の目を注ぐと、再び頭を下げた。


「ごめんなさい。その頼みはどうしても受けられない」

「はあ、すごいな」


 入澤さんが溜息まじりに感激の声を出して、頭を上げた。


「錦馬さんほど職業意識の高いグラドルはそうそういないよ」

「そんなこと言われると照れるわ」

「目的も失敗に終わったし、私はお暇するよ」


 入澤さんは正座から脚を崩して立ち上がり、お土産袋を手にして回れ右をする。


「それじゃ、明日も撮影頑張って」


 吹っ切れたような微笑で励ましの言葉を送ると、部屋を辞した。


「なっちゃんはやっぱり、プロ意識が高くてすごいです」


 入澤さんの去った後、野上が堰を切ったようにしきりに錦馬を誉めちぎった。

 すごくなんかないわよ、と錦馬は控えめに返す。

 ホテルに帰ってくる時と似たシチュエーションだな、と思い出していると、錦馬が野上の称賛を遮って、俺に振り向いた。しかめ面で告げる。 

「用がないなら出てってくれない。あんたがいると気が休まらないんだけど」

「悪かったな、邪魔したよ」


 追い出される形で俺も部屋を退出して、自分の泊まる部屋に帰った。

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