2-5
高速も利用して三時間ほど走って、ロケ車は海沿いの街に到着した。
街に入ってすぐに昼食で老舗っぽい丼物の食事処の、店主おすすめの天丼を車内の全員が喰らい、海沿いの堤防と道路を挟んで建つ旅館の入館手続きも済ませる。
小一時間の食休みの後、撮影陣は海岸に出て器材の点検やテントの設営などを行った。俺は彼等に混じって準備を手伝った。
只今、被写体である錦馬と野上は、更衣室の方で女性スタッフの手を借りて衣装に着替えている最中だ。
大方の準備が調った頃、更衣室から錦馬が出てくる。上半身をグレーのパーカーで包んでビーチサンダルを履いた足でさくさく砂を踏み鳴らしながら、ブルーシートの四隅に重しを載せていた俺に歩み寄ってくる。
「どう、撮影の仕度できたの?」
何の感情も窺えない顔でそう訊いてくる。
「まあ、大体は」
振り向いて俺は答えた。口惜しいがパーカーの裾から伸びる錦馬の脚はすらりとして綺麗だ。
「加山さん達、大変そうね」
俺のいるテントから数メートル離れた場所で加山さんを含む撮影担当の人達が、云百万くらいしそうな器材の調節をしている。
レフ版の反射光の当て方とか、被写体を撮る角度とか、多分そういうことを決めてるんじゃないだろうか。
加山さん達の作業を眺めていると、もう一人の砂を踏む早い足音が近づいてくる。
「浅葱さんとなっちゃん、何見てるですか?」
横に立つ錦馬越しに野上はニコニコと尋ねてきた。
俺は加山さん達の方を指さして、
「準備が忙しうだなって思って見てたんだ。俺、屋外の撮影に参加するの初めてだからさ」
「浅葱さん、屋外撮影初めてなんですか。始めはやっぱり、どんなことしてるんだろうって見ちゃいますよね」
「見慣れると退屈な光景よ」
錦馬が飽きた顔で言った。
そういうもんなのか。マネージャーの仕事もそのうちに飽きてしまって、転職したいと思うかもしれん。長続きできるといいけどなあ。
転職する可能性を否定できない自分に憂いていると、折しも加山さんのオーケーオーケー、と言う声が聞こえて、すぐに俺達の方を向く。
「撮影、始めるぞ」
それから太陽が西に傾き始めるまでの三時間ぐらい、砂浜でのグラビア撮影は続いた。パーカーを脱いだビキニ姿の錦馬と野上の、豊かなバストやくびれたウエストが作り出す身体の曲線美が美しく見入ってしまったことは、気恥ずかしいので口にはしない。
今日の撮影を終えて加山さんや他の撮影スタッフ達が器材を片づけ終わると、皆で海沿いの旅館に戻った。俺は撮影器材以外の荷物を運んで少しでも手助けした。
荷物運びをした後、寝泊まりする予定の二階の部屋に行くと、部屋の前に思いがけない人物が待ち伏せていた。
「遅いぞ、浅葱マネージャー」
口の周りに粗い髭を生やした加山さんだ。彼の足下にはボストンバッグが置かれている。
なぜ彼が部屋の前にいるんだろう?
「君が遅いから、中に入れないじゃないか。早く開けてくれ」
咎めるような口調で訴えてきた。
俺の部屋に何の用かは知らないが、拒否する理由もないので、胸ポケットから鍵を取り出して鍵穴に挿した。
鍵を回して解錠すると同時に、加山さんはボストンバッグを抱え持った。
「浅葱マネージャー、俺と同室だ」
「へ……」
ノブに掛けた手が硬直する。
なんだ聞いてなかったのか、という目で俺を見て、
「一人一人に部屋を借りる予算があると思うか、しかもここは二人部屋だぞ」
「確かに二人部屋ですけど」
他に人がいたのではプライベートな時間が皆無ではないか。
露骨に不満が顔に出ていたのだろう、加山さんは心配するなと俺の肩に手を置く。
「大丈夫だ、俺にそっち側の趣味はない」
「そうでないと困りますよ」
監督と同じ部屋というだけで肩身が狭いのに、同姓愛的な行為まで迫られたら、部屋にいられなくなる。
戸惑う俺を気にせず、加山さんは部屋に入る。
座卓の傍にボストンバッグを置いて、畳の上に胡坐で腰を下ろす。
「ようやく寛げるぜ」
そう言って膝に手をついて深く息を吐く。
敷居を跨がずに呆然と立つ俺に、加山さんは不思議そうに見る。
「どうした、お前も寛げよ」
「てっきり一人だと思ってたものですから、寛ぎ方がわからなくて」
「そんなもん、人それぞれだ。俺は大概、寝転がったりテレビでも見たりして過ごすな」
宿泊施設の利用した回数の差が大いに違うのだ。今日初めて面識を持った年上男と同じ部屋で寛ぐには、どうしても気を遣うのだ。
「さっさと入れ。そんなとこに立ってられると気が散って寛げん」
あからさまに眉をしかめて言ってくる。
迷惑をかけるのも避けたかったから、遠慮がありつつも部屋に入った。
「荷物は座卓の横にまとめといてくれ」
言われたように自分の荷物を座卓傍に置く。
「もうじき夕飯にもなる。適当に寛いどけ」
加山さんは座卓にあったテレビのチャンネルを手に取ると、座卓にもたれて夕方のニュースを見始めた。
テレビ画面は日本列島を中心に据えた地図で埋め尽くされていて、日本中が晴れマークが埋め尽くされていて、最高気温は、とお天気キャスターが真面目な顔つきで解説している。
テレビ画面の台風をぼんやりと眺めていると、加山さんが不意にこちらを向き、何か訊きたげな視線で見つめてくる。
「浅葱マネージャー」
「はい、なんですか?」
「お前、お酒は大丈夫か?」
なんだ、突然。お酒?
「普段は飲みませんけど、まあ弱くはないですよ」
「そうか。ならばお前も参加しろ」
「何にです?」
説明もなしに参加しろ、と言われても困るのだ。騒ぎには巻き込まれたくない。
「いや、あれだ、なんというか」
外見に似合わず歯切れ悪く説明しようとしている。そこまで言いにくいことなのか?
しばし考えて的確な言葉を思い付いたらしく、嬉しそうな顔で人差し指を立てて言う。
「飲み会だ」
「飲み会ですか、それに参加しろと?」
別に断るつもりはない。だが仕事で泊っているわけで、飲み会を開くのはどうかと首を捻りたくなる。
「浅葱マネージャーの言いたいことはわかる」
加山さんは得たり顔になって頻りに頷き、
「社会には飲みニケーションというのがあってだな。酒による酔いで皆が胸襟を開き語り合うことで親睦を深めるんだ」
「飲みニケーションねえ」
今どきそんな方法で親交を作る人がいるとは。たまげた。
呆れて言葉を継げずにいる俺を参加の意思ありと見て取ったのか、加山さんは請け合うように自身の胸を叩く。
「浅葱マネージャーの責任は全部俺が背負う。だから安心して参加しろ」
「責任て」
飲み会で発生する責任とは、一体どういったものなんだ。皆目見当がつかん。
「九時までに205号室に来るようにな。楽しみだなあ」
と上機嫌な大声で言って呵々と笑った。
グラビア撮影は表向きの理由で、本来の目的は飲み会なんじゃないか?
俺がそういう疑いを持ち始めたのを知ってか知らずか、加山さんが急にあくどい笑みを浮かべた。
「それに宿泊費や酒代は会社の経費だしな、飲み会を開いても身銭を切らなくていいんだ」
やっぱり。加山さんは飲み会を開きたいがために、数日を跨ぐ撮影日程を取っているのだ。
「ただ同然で飲み会が開ける仕事は、他にはないだろうな」
飲み会を開く前からご満悦だ。
――本気で呆れた。
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