2-3

 撮影日の朝、俺は錦馬から思いがけない連絡を寄越される。


「今日はいつもの駅じゃなくて、一つ手前の駅で待ってて」

 とだけ告げられて、電話を切られた。さして支障はないが、何故であろうか。


 折り返し電話をしてまで知る必要はない気がして、連絡を受けた後すぐに身支度を済まして車で指定の駅まで走った。

 駅に着くと、俺の乗る車に歩み寄ってくる少女がいた。

 ライムグリーンのTシャツに前を開けたデニムジャケット、白のアンクルパンツの野上が、運転席の外から俺の顔を見ると、口元に笑みを作って軽く手を上げた。


 何故、彼女がここに?

 現れた人物は意外だったが、挨拶代わりに俺も手を上げ返す。

 野上は窓をコンコンと指でつついて、上げていた手を幾度か下ろす。窓を開けて、というゼスチャーらしい。


「どうした、俺に何か用か?」


 俺は窓が開くのを待って、彼女に問うた。


「なっちゃんから事情聞いてますか?」


 俺は首を横に振った。


「なんだ、事情って」

「なっちゃん、浅葱さんに知らせてなかったんだ。無駄に手間がかかりますね」


 友人の連絡不足を非難するように唇を尖らせた。


「それで事情って?」


 俺が尋ねると、野上はしんみりした顔になる。


「お祖父ちゃんの同級生が三日前に亡くなって、お祖父ちゃんはその人の葬儀で手が空かないから、集合場所まで浅葱さんの車に乗せてもうことにしたんだ」

「そういうことか」


 つまり、足がないから一緒に送ってほしいということらしい。野上が乗るとわかっていたら、昨日のうちに芳香剤買い替えといたのに。

 野上は後部座席を覗き込んで訊く。


「なっちゃんって、いつもどこに座ってるんですか?」

「錦馬か。あいつは俺の斜め後ろだ」

「それじゃ、私が助手席でも問題ありませんね」


 ニコリと笑って言った。

 恥じらいがないというか、抵抗がないというか、貞淑さが彼女にはないらしい。以前に一度ファミレスで談話しただけの男の隣に座りたがるとは。

 野上は車体の反対に回って、助手席に乗り込んできた。


「撮影の間、いろいろお世話になるのでお願いします」


 助手席に座るなり丁寧にお辞儀する。


「こちらこそ、コンビでの撮影なんて初めてだから、迷惑かけるかも知れん」

「じゃんじゃん迷惑かけてください。私の方がなっちゃんより訊きやすいこと多いと思いますから」


 ごもっともだ。

  そう強く共感していると、ズボンの尻ポケットにしまったスマホの着信音がくぐもって鳴り響いた。


「着信、誰ですかね?」

「錦馬からしか最近はかかってこないよ」


 とはいえ、けっして錦馬との連絡専用ではない、重要な用件でもない限り電話やメールなど使わない知り合いばかりなのだ。

 案の定、電話に出ると聞きなれた不遜な声がした。


『可愛いからって優香にセクハラ行為してないでしょうね』

「しねえよ、というか野上が同乗するなんて聞いてないぞ」

『あたしがいつもと違う駅を指定した時点で察しなさい』

「察せるか。野上の自宅の場所さえ知らないんだぞ」

『まあ、無能だから仕方ないわね。それで、今からあたしもそっちに向かうから、駅から動かないでよ』


 言いつけるだけ俺に言いつけて、一方的に電話を切った。

 無能とはなんだ、無能とは。口が悪い女だ。

 憤懣のやり場なくスマホを無造作にポケットに戻した。


「なっちゃんの悪口は本気にしないほうがいいですよ」


 俺の憤りを感知してか、野上が慰めてくれる。


「浅葱さんのことがほんとに嫌いなら、電話なんてかけないと思いますから」


 前にも錦馬から嫌いではない、とは言われた。ではあの横柄な態度はなんなのだろう。


「人間関係に潔癖だから、ツンツンしてるんだと思います」


 その理屈はどうやって導き出したんだ。錦馬の何もかもを見通しているような表情でニコニコしているが、教えてはくれなさそうだ。

 しばらくして、誰かに気付いたように野上が俺越しに窓の外を見た。

 彼女の視線を追うと、駅の出入り口からスタスタと歩いてくる少女がいた。

 水色のブラウスに履く位置の高いスカートの格好で、錦馬は俺の車の横に立つと、睥睨するように首を上げて見下ろしてきた。

 なんで助手席に優香がいるの、と問い詰めるような顔つきである。

 俺の肩越しに野上が錦馬ににこやかに手を振る。

 友人の明るい顔を見た途端に安堵の表情になって、後部席のドアを開けて乗車した。


「おはよう、なっちゃん。浅葱さんの隣いただいてるよ」


 錦馬がシートに腰を落ち着けるなり、野上が夫が帰るより先に夕食を食べ始めた妻みたいな声で話しかけた。

 錦馬は俺の方をちらとだけ見て、すぐに視線を友人に戻す。


「大丈夫、襲われたりしてない?」

「浅葱さんにそんなことしませんよ。ね?」


 追認を求められても困る。

 俺が返答に窮まっている間、錦馬は細い手首に巻いた時計に目を落としていた。


「駄弁ってる余裕はないわ。集合は事務所の社員駐車場だから、よろしく」


 まるでお抱え運転手に命じるような口調で指示された。

 三週間も相手にしているので腹を立てることはないが、上から物を言う態度はどうにかならんものだろうか。

 心の中でぶつぶつ文句を言いながらも、俺は車を発進させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る