1-2
翌日、言葉通りに仕事を頼まれた。
俺のスマホに届いたメールの文面には、○○駅に車で九時半までに来るように、とのことだ。
錦馬の自宅がどこにあるのかは知らないが、指定された駅までは俺の家からは車で約十五分はかかる。
ただいまの時刻、八時五十七分。
要するに俺にはおおよそ三十分の猶予しかない。
わざと間に合うか間に合わないかの微妙な時間を選んでんじゃないだろうな、と勘繰ってしまう。
仕度もそこそこに俺は自宅を出て、愛車の軽で目的地に急いだ。
駅前の駐車場に到着すると、雑多な人々でいっぱいの昇降階段の脇で人待ち顔の錦馬を見つけた。
俺は車から降りて、彼女のもとへ近づいた。
錦馬の方も近づいてくる俺に気付いて、むすっと納得いかない顔になった。
「てっきり遅れてくると思ったのに、どうして間に合ったのかしら?」
この野郎、確信犯だ。間に合わないように時間を指定してやがったな。
ふん、小娘の悪知恵なんかに屈するか。
「俺は約束は守る男なんでね」
「で、車は?」
「そこだ」
俺は駅前の道路に停めた車を指さす。
「私有車?」
「ああ、そうだよ。驚いたか」
ちなみに一括払いではなくローン払いなので、長いこと支払いが続くけどな。
「それじゃ、事務所に向かいましょう」
錦馬は俺の車に歩み寄って、後部座席のドアを指さして開けるよう目で要求してくる。
「ドアく……」
ドアくらい自分で開けろよ、と文句を口にしかかったが言おうものなら首がはねる。というか俺のマネージャー業務が、どうして生意気な少女の一人の意思だけで左右されなければならんのだ。
「ほら、早く」
「はいよ」
要求されるままドアを開けてやる。
錦馬は礼も言わずに乗り込んで、運転席の真裏に腰かける。
「あんたが運転しないと進まないでしょう。あたしを見てないでさっさと運転席につく」
顎先で運転席を示して言った。
文句を言わず俺は運転席に座って車を発進させた。
幹線道路に出て、事務所への道を進む。
走り出してから数分後、道程も半ばまでいったころになって、唐突に後ろで錦馬が溜息を吐いた。
「ねえ」
運転に集中していた俺は、聞こえないフリをする。
「ねえ」
「なんだ?」
険を含んだ口調になりかけていて、俺は反応せずしてどうしよう。
「今日の仕事内容、教えとくから覚えて」
「わかった」
俺が承知すると、彼女はハンドバッグからスケジュール帳を取り出して開く。
「事務所で次撮影のための話し合いがあるから」
「話し合いって、どんなこと話し合うんだ?」
「撮影場所とか、身に着ける衣装とかを選んだり、テーマを設定したり、いろいろよ」
「それは俺も同席するのか?」
「当たり前でしょ。かりそめにしろあたしのマネージャーなんだから。でも口出ししないでよ。全部あたしが決めるから」
「俺の同席する意味は?」
「そんなの自分で考えなさい」
答えを俺に丸投げして、窓の外へ視線を戻した。
自分で考えろって言われてもよ。俺は今日が初めての仕事で、グラビアの業界など右も左もわからんのだ。意味を推測することすらままならん。
「同席する意味ってなんなんだ?」
再び尋ねたが、顔の表情を微かにも動かさず無視された。
その後会話を交わさぬまま、事務所の駐車場に到着する。
駐車場に車を乗り入れて、てきとうな空いたスペースへ停める。
エンジンを切る俺より先に、錦馬は車を出た。
無言ですたすたと事務所の入り口へ歩いていく。
少しくらい待てよ、と文句のひとつでも言いたい。
急ぎ足で彼女のあとを追って、俺も事務所に入る。
「話し合いってどこでやるんだ?」
追いついて横に並んで歩きながら、俺は訊いた。
「第一会合室」
「へえ、立派そうな部屋だな」
「立派じゃないわよ、中は楽屋と何も変わらないもの」
「楽屋と会合室は使い分けてるのか?」
「事務所側がね。でも楽屋の数が足りない時には、楽屋として使われるけど」
答えて、急に眉根を寄せて俺を見る。
「そういえば、隣を歩かないでくれる。仲良く見られたくないから。あんたはあたしの斜め後ろ」
俺の顔を指差し、自身の右斜め後ろへ指を振った。
俺はマネージャーであって付き人じゃないんだ、という抗議を思い付くが口にはせず、錦馬の右斜め後ろへ下がった。
廊下を歩いていくと、錦馬の言う会合室の連なった区画に入ったのがわかる。
ドアの傍のルームプレートに第一会合室と書かれてあり、錦馬はノックもせずに押し開けた。
入るなり、中央のスチールテーブルの一席を指で示す。
「そこあんたの席で、隣があたし。依頼相手が来るまで座って待っていればいいの」
「そうか、じゃあ座るか」
俺は二つ並んだ椅子の右側に腰をかける。
錦馬は隣の椅子を少し持ち上げ移動させ、俺と距離を置く。一メートルくらい。
「どうして席を離すんだよ。もとの位置だと具合が悪いのか」
「なんであんたと密着しなくちゃならないの」
「密着って大袈裟だな」
「身じろぎしたら肩が触れちゃうじゃない」
俺が笑い飛ばすとむきになって抗弁した。
俺にちょっとでも身体を触れるのが嫌なのか。そこまで嫌なら昨日社長の申し出を固辞すればよかったのに。
錦馬は機嫌を損ねて、挙句ここでも会話が途絶える。
しばらくして、ドアを開ける音が沈黙を破った。
ドアの方を振り向くと、スーツを着た細身の中年男性が敷居の外で温和な表情で立っていて、俺と錦馬に頭を下げた。
「おはようございます。失礼しますよ」
男性は丁寧にあいさつを寄越しテーブルを回って、向かいの席に座った。
「あの、あなたは?」
「木村さん」
俺が男性に尋ねると、隣の錦馬から答えが返ってきた。
「エックスマガジンの編集者の方」
「弥勒社エックスマガジン担当の木村文雄です」
木村さんは錦馬の紹介にぎこちなく笑いながら、俺に名刺を差し出す。
差し出されて思わず受け取った後に、相手に渡す自分の名刺を作っていないことに気付いた。
「マネージャーの浅葱光人です。すみません、今名刺がなくて」
謝った俺に、木村さんはいいんですよ、と手を振った。
「どうやら新人さんみたいですし、昨日今日で務め始めたばかりでしょうから。次回会う時にでもいただきます」
なんて出来た大人なんだ。俺もゆくゆくはこんな思慮の行き届いた大人になりたい。
新しい顔である俺の自己紹介が終わると、木村さんは革鞄からクリアファイルを取り出してテーブルに置く。
「早速、撮影について話し合いしましょうかね」
と、前置きなく本題に入った。
クリアファイルの中の紙束をめくって、一枚の用紙を抜きだす。
「こちらでは、この予定で撮影を行うつもりですが」
用紙を錦馬の前に置いた。
『撮影予定表』という題目の紙には、撮影場所、日時、撮影時の格好などが、箇条書きで記されている。
「どこか、変更したい項目はあるかい?」
木村さんは予定表に目を走らせている錦馬に尋ねる。
「あたしは別にないけど」
煮え切らない受け答えをして、不意に俺を向く。
「あんたはどう思う。かりにもマネージャーだから、聞いておくだけ聞いておくけど」
「グラビア撮影の要領わかんないからな、どこに注目すればいいんだ」
「そ、気になることがないなら、このままオーケーだしちゃうけど」
そうしてくれ俺はわかんないからな、と決定を錦馬に任せた。
木村さんは俺と錦馬に目を配る。
「都合の悪い項目はなさそうですね。それでは撮影時は予定表通りに進行させてもらいます」
「まだ時間があるから、予定表の細かいところまで詰めちゃいましょう」
錦馬が少し前屈みになって提案した。
木村さんは頷いて、
「では、当日の予定を決めましょうか。とはいっても撮影者の意向もありますから、あくまで仮の予定になりますが」
「それは承知済みよ。でも撮影の日に細々決めるより、今決めちゃった方が楽だもの」
「こちら側としても手配がしやすくなりますから、好都合です」
どんどん二人だけで話を進めていく、俺は疎外されている。
マネージャー業ど素人の俺が口を出すのもはばかられる、密な話し合いだ。
錦馬の隣でうんうんと相槌だけしておいて、意見は一回も挟まなかった。
体位だとか、斜めのカットだとか、載せるキャッチフレーズだとか、俺にはついていけない内容が二人の間で話されていて時間が過ぎた。
水着の色は何がいいか、という内容を話し合っている最中に、木村さんがそこそこ値の張りそうな腕時計を覗き込む。
「すみません。昼の一時までに社に戻らなければならないので、そろそろ辞させていただきます」
申し訳ない顔で言って席を立った。
錦馬も席を立ち、木村さんに礼をする。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、依頼をお受けしてもらって感謝します」
木村さんは礼を返すと、革鞄を提げて部屋を出ていった。
「ふう」
木村さんの姿がなくなると、錦馬は力を抜くように息を吐いた。椅子の背に身体をもたせかける。
「話し合いって疲れるわね」
「そうか。慣れてるように見えたが、案外疲れるのか」
俺が理解した言い方をしたのが癇に障ったのか、背にもたれた格好のまま横目で睨んでくる。
「仮とはいえマネージャーであるあんたが、話し合いを進行させなさいよ。ろくに仕事も出来ない無能なの?」
「仕事初日の俺に、随分厳しいな」
「当たり前じゃない。あたしは仕事の出来ない男は嫌いだから」
「今日ばかしは大目に見てくれ。次からは上手くこなしてみせるからよ」
「そ、やってみるだけやってみなさい」
そう言うと背を起こして、耳に被った髪の毛を払った。椅子から腰を上げ、俺に振り向く。
「今日の仕事は終わりよ。あたしは帰るけど、あんたは?」
「特に予定は入ってないが、訊いてどうするんだ?」
「あんたに駅まで送ってもらおうと思って訊いたの」
「自分の足で帰れよ」
「仮でもあたしのマネージャーなんだから、送り迎えくらいしなさいよ」
とても生意気な態度で遠慮のない申し出だが、解任という名の匕くちを首に突きつけられている身だ。ただ一つ言うこと聞くことが解任を避ける手立てであろう。
「わかったよ。送ってやるよ」
「口答えせず最初からそうすればいいのよ」
座る俺を見下ろすようにふんぞり返って、錦馬は当然であるかのように言った。
送迎はマネージャー業務に含まれてないと思うけどなあ。
しかし男に二言はない、送ってやると言ったからにはやらねばなるまい。
「それじゃ、帰りましょう」
バッグを肩に掛けると、唇に小さく笑みを浮かべる。
そして、付け加える。
「言っておくけど、あたしはあんたのことが嫌いなわけじゃないからね。勘違いして、嫌われてると思わないでよ、仕事がしにくくなるから」
「そうだったのか……」
てっきり嫌われてると思い込んでたが、錦馬は嫌いなわけじゃないと今、公言した。
それじゃお前のその尊大で無遠慮な言動は、素なのかよ。
「何よ、じっとあたしを見て」
笑みは消え、怪訝そうに問うてくる。
「なんでもないよ。それよりか帰るんだろ」
「送ってくれるんでしょ、頼んだわよ」
錦馬は先に廊下に出て歩き出した。この第一会議室に来る途中に言われた通り、俺は彼女の右斜め後ろをついていった。
こき使われるだけになりそうなマネージャー業務の先行きが、不安で仕方がない。
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