1章 担当の子に歓迎されてる気が全くしないんだが

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 俺は三月に大学を卒業したばかりの、大人社会に足を踏み出して間もない新卒者だ。自慢できるような特技はないし、誰かと心おきなく話のできるような趣味ももっちゃいない。自分で言うのも悲しくなるが、つまらん男だ。


 大学を卒業後、周りの連中と同じくして俺は就活を始めた。

 俺の通っていた大学はそう名のあるところではないでの、求人募集の数も種類も限られていて、卒業までに就職先が決まっていた者は半分いるかいないかだ。

 その中で俺は、就職の決まらなかった者の中に入る。

 働き口は自分で探さないといけなかった。ゆえにこうしてベッドで寝転がって、求人誌をぺらぺらめくっている。

 能力主義の現代、ぱっとしない菲才な若者を快く雇ってくれる企業というのは、都心では数えられるほどしか見つからない。


 こんなに数多くの求人募集があるのに、俺でも条件にひっかかる仕事はここまでめくったページの中にも、三つ四つしかなかった。しかもどれも下請けの製造業ばかり。

 希望に見合った求人を探すのも疲れてきて、求人誌を机の上に放り投げようと閉じかけたその時、俺の目についたのは、意外にも『東芸能事務所』という芸能プロダクション。


 芸能、というだけで興味が湧いた。


 事務所名はなんとなく聞いたことがあるような気がする。芸能に疎い俺でも耳にしたことがあるということは、それなりに有名なんだろう。

 募集内容を読んでみると事務所が欲しいのは芸能人の新人マネージャーで、条件は学歴問わず、必須資格なし、だそうだ。

 詳しいことは記載されていないが、俺でも雇ってもらえるかもしれない。

 事務所の所在地も、家から車で十分くらいのところだ。

 

 ここに入社すれば、かの美人女優や大物俳優、人気お笑い芸人などと、同じ職場で仕事ができる、みたいなもんだ。

 条件と給料だけで較べても他に優る求人は見当たらない。なので俺は芸能プロダクションの入社試験を受けてみることにした。

 そしてなんなく入社試験に合格。俺はその日から晴れて『東芸能事務所』の一員となったのである。


 試験当日までに大学の友人が続々と就職先が決まった報告を寄こしてきていたので、内心焦りを感じていたから、採用が決定してほっとした。

 それに芸能事務所で働くような奴は、大学の知り合いのうちでも俺一人だったもんだから、俗世に埋もれない感があって嬉しかった。


 入社が決まった日から三日間、事務所からの連絡もなく安閑と過ごしていた。


 四日目についに、明日の十時に事務所ロビーまで来てください、とのことだったので、翌日に当たる今日、指定時間の五分前には事務所ロビーに到着した。

 入社試験の時にも来たがロビー内をゆっくり見ている暇がなかったから、俺は入って早々にロビー内を見回していた。


「新人マネジャーの浅葱くんですか」


 そうしてあちこちに視線を巡らしてながら受付に向かおうとすると、背後から女性の声がした。

 俺が振り向いてすぐ、相手は名乗った。


「社長の秘書をしています。入澤静香です。初めまして」


 ショートボブの黒髪の女性で、身長は160cmあるかないかくらい。外見は大人っぽいが、初印象だけでは年齢は判じがたい。きりっとしたスーツを着てニコニコして立っている。


「初めまして浅葱光人です」


 俺も自己紹介して頭を下げた。


「今日が初めてだから、私が事務所内を案内します」

「どうもご親切に」

「では行きましょう」


 歩き出した入澤さんの後に俺はついていく。


「うちは芸の事務所としては新参なほうで、創設されて十五年。それでも俳優、お笑い芸人、アイドル、各分野で有名人が所属しています。それにスタジオも兼ねているので、事務所の芸人さんだけで番組を作ることもあります」


 誇るように事務所の概要をつらつらと述べる。

 廊下を歩いていると、テレビで見たことある顔が散見できる。

 本物の芸能人を見ただけではしゃいだ声を出すのもみっともないので、興奮は自分の中に留めておいた。

 事務所内の様々な施設や部署についても説明してくれた。

 スタジオを見せてくれた後、入澤さんは急に表情を改める。


「次に行くとこは、とても厳粛な場所です」

「え、それって、どこなんです?」

「社長室よ」


 俺は途端に肩ひじが張った。


「社長室、ですか。いきなり?」

「社長に案内の後に浅葱くんを連れてくるように指示されてるの」

「なぜ、社長が俺なんかに会いたがって?」

「それは社長の口から直接聞いて。私も聞かされてないの」


 そんな、理由くらい秘書に教えておいてくれよ。社長室だけでも少し緊張するのに、理由がわからないと余計に一段と緊張度合いが増してしまう。

 俺の当惑も気にせずに、スタジオを出ると入澤さんは無言で廊下を歩き出した。

 なにかしら話してくれ、などと言える立場でないことは承知している。


「ここです」


 入澤さんはドアの前で立ち止まると、俺を見返って言った。三度ノックしてドアを開ける。


「社長、浅葱さんをお連れしました」


 部屋の奥で椅子から立ち上がる音が聞こえた。敷居の前にいる俺と入澤さんに近づいてくる。


「君が浅葱くんか」


 入澤さんの斜め後ろに立つ俺の目の前で、背の高い緑のスーツを着た初老の女性が秘書の入澤さんに確かめるように言った。


「はい、社長」

「入澤、すまんな連れてきてもらって。後は私に任せて休憩室でコーヒーでも飲んでいてくれていい」

「わかりました」


 入澤さんは頷いて社長に頭を下げると、ここまで来た廊下を戻っていった。

 二人の対話の間、俺は緊張で挨拶すら発せられなかった。

 秘書の後ろ姿が廊下の角に消えると、社長は俺に視線を移した。

 その時になって、やっと挨拶が口を衝いて出た。


「新しく入社しました、浅葱です」

「知ってるよ。面接で受けに来てたからね」

「存じ上げていましたか誠に光栄でございます」


 直立不動で俺は言った。

 何言ってんだ、俺。光栄でございます、なんて今時直立不動で言わないだろ。


「とりあえず中に入ってくれ」


 俺の奇怪な返事は気にせず、社長室に招じ入れてくれた。

 室内は奥にマホガニーの机がある以外は、堅苦しい印象を与えない簡素なスチール机とパイプ椅子が並んでいる。

 おかげで少し緊張が緩んだ気がする。


「そこの椅子に座って」


 社長に言われるまま、向かい合う椅子の片方に腰かける。

 社長はスチール机を挟む位置にある椅子に座った。俺の顔をまじまじと見つめる。

 一体、何を話しだすんだ。


「浅葱くん」

「は、はい」

「あなたには初めから苦労してもらうことになる。というより苦労する羽目になるでしょう」

「その苦労とは、どういう?」

「まあ、近々わかるわ」


 微笑んではぐらかすように言った。

 話が違うではないか、入澤さん。

 社長は腕時計を見て、時間を確認する。


「まだ多少時間があるね。あなたに質問していい?」

「どうぞ」


 時間を見たということは、これから予定があるってことか。それなら長い時間はかからないだろうな。ほっとするよ。


「浅葱くんは、芸能人って好き?」


 おおお、遠回しに芸能事務所で働く意欲を確かめる質問だ。自信を持って答えれば大丈夫だろう。


「はい、好きです」

「それじゃ、エロビデオとかって普段観る?」

「は……」


 はあああ、と言いかけたのをなんとか抑えた。

 この社長、なんちゅうこと訊きやがる。


「それは、ご想像に、お任せします」

「大抵の男性が答えられないから、まあ浅葱くんも答えられないでしょうね」


 ならば訊く必要はあったのか。

 この社長の質問は、何か意図があってのものなんだろうか。


「それじゃ、アイドルは好き?」

「はあ、アイドルですか」

「主に女性アイドル」

「嫌いではありませんが、好きということもありません」


 これは俺の正直な答えだ。女性アイドルを軽んじる気持ちもないし、尊く思う気持ちもない。

 俺の答えが興味深いのか、社長は心の内を読み取っている目で凝視してくる。


「それじゃ、あなたは問題を起こしそうにないわね」

「問題ですか?」

「マネジャーが担当のアイドルを手籠めにしようとした事件が以前あったのよ」

「下司なマネジャーもいるんですね」

「あなたは芸能人とそのマネジャーの関係性について、ほとんど何も知らないでしょうけど、表に出ていないだけでトラブルはよくあるのよ」

「俺は問題を起こさないと思いますよ、無欲な男ですから」

「ふふ、無欲ねえ。芸能事務所で働くことを希望する人にしては珍しいわね」


 いかにも面白そうに笑みを漏らす。

 無欲な分、向上心もないけどな。

 社長はまた腕の時計で時間を確認する。


「そろそろ、来るわね」


 待ちわびた声音で言った。


「誰がです?」

「あなたに会わせたい人」

「俺に会わせたいということは、俺が担当する人ですか?」

「さあ、どうかな」


 俺の質問に誰彼とは明かさず、椅子から腰を上げ社長はお茶を濁した。

 ドアに歩み寄り少し開け、廊下を見渡している。


「ああ、来た来た」


 社長は特定の人物を見つけると、廊下に出て行ってしまった。社長室に俺は一人で残される。

 しばらくして閉まったドアから目を離そうとした時、折しもドアが開いて社長がハンドバックを提げた少女を一人連れて戻ってきた。

 社長は少女の肩を押して俺の向かいに椅子に座るよう促す。

 少女が俺の方を見る。瞬間、親の仇とでも出会ったような眼差しになる。


「初対面から不愛想にならないでよ」


 社長が少女を宥める。不愛想というより、敵を前にした目だぞそれは。

 少女は社長の手前だから仕方ない、と言いたげに露骨な不満顔で、向かいの椅子に腰かけた。


「はい、二人ともまずは自己紹介」

「社長」


 少女が首を回して背後の社長に話しかける。


「なに?」


 少女は俺に人差し指を遠慮もなく突きつける。


「この男は、どこのだれかしら?」

「あなたの新しいマネージャーよ」


 途端に少女は癪に触った様子で、バッグを手に持って立ち上がる。


「帰っていいわよね」

「はあ?」


 少女の取り付く島もない態度に俺は驚きの息を漏らす。

 耳聡く、少女はぎろりと眦を吊り上げる。


「何よ、文句でもあるの?」

「ああ、初対面でいきなり毛嫌いされちゃ誰だって気分悪いわ」


 おうおう、俺にして珍しく威勢いいんじゃないの。

 俺に言い返されむすっと黙り込む。頑張って反論を探している顔だ。


「仕方ないわね、話だけは聞いてあげる」


 腕を組みふんぞりかえって座り直した。

 なんだよ、こいつの態度のデカさ。最低限の礼儀もありゃしないな。


「で、あんた誰なの?」

「俺か」

「あんた以外に誰がいるのよ」

「俺はな、今日からこの事務所で働くことになった浅葱光人っていうもんだ」

「ふーん、なんでスーツなわけ?」

「は、事務所勤めっていえば普通スーツだろ」

「はん」


 少女は堂々と鼻で笑った。


「てっきり廃棄物処理係かと思ったわ。汚い作業着じゃないわけね」


 俺はカチンときた。


「おい、汚いなんて言うなよ。廃棄物を処分してくれている人達のおかげで俺達がどれだけ楽をさせてもらって、どれだけ街が清潔に保てているか、理解してんのか」

「え、そっち……」


 俺の答弁に、少女はぽかんと口を開けて言葉を失くした。

 急に黙り込むなよ。俺が変なこと言ったみたいじゃねーか。

 少女が社長の方に首を向けて、困った顔で尋ねる。


「それで私が呼ばれた理由って何?」

「浅葱くんにあなたのマネージャーになってもらおうと思って。承諾を得るために呼んだのよ」

「私、マネージャーはもういらないって言いました」

「マネージャーはいた方があなたも楽できるでしょう」

「それはそうだけど、マネージャーなんて信用できないのよ」

「嫌っていうなら降りるぜ」


 社長と少女が揃って驚きの目で俺の方を見る。


「降りられるのは困るわよ、浅葱くん。せっかく入社してもらったんだから」

「嫌々思われながらマネージャーとして働いても、そのまま関係を続けられるとは想像できないしさ、お互いにストレスだし」


 そもそも芸能界に憧れがあって就職したわけじゃない。

 少女は怪訝な表情で俺の顔を眺めている。


「出会った傍から折り合いが悪いわね。それならこうしましょう」


 微妙にぎすぎすした雰囲気の俺と少女に、社長が提案する。


「一か月とか二か月とか、試験的に浅葱くんがマネージャーを務めるっていうのは?」

「俺の方はいいですけど」


 少女の考えがどうかって話だ。俺の顔をまじまじと見つめて、迷っている様子だ。

 意を決する面持ちで少女が口を開く。


「わかった。社長の提案に従うわ」


 短く同意を述べた。

 社長は少女が了承したことに満足した顔で頷いた。


「それじゃ二人とも改めて自己紹介」


 社長に促されて、俺はまともに少女と向き合った。少女の方も向き合ってはいるが、先に自己紹介しろよと言うように不遜に顎を突き出している。

 歯向かうとやり取りが振り出しに戻りかねないので、相手の態度は納得いかんが俺の方から自己紹介してやる。


「さっきも言ったけど、俺は浅葱光人。よろしくな」

「あたしは錦馬菜津。これでいい?」

「寂しいわね、二人の自己紹介。仕事上でいろいろ知っておくべきことがあるでしょう」


 社長は嘆かわしく言った。


「あたしが何をしているか、この人に教えなきゃいけないの?」

「当然。浅葱くんはあなたのマネージャーなのよ」

「仕方ないわね」


 渋々といった顔で、少女は言う。


「あたしはグラビアアイドルよ、どうかしら」


 どうかしらって訊かれても、何て返せばいいかわからん。


「そうか、すごいな」


 返答に困ったら、ひとまず褒めておこう。褒められて気分を損なう人は、大概いないだろうしな。

 案の定少女もとい錦馬は、にやりと自慢げに笑う。


「そうよ、すごいのよあたし。顔が可愛いのに、スタイルも良いなんて中々いないからね」


 自信に溢れて何よりだ。


「たとえ二週間でも、そんな凄いあたしのマネージャーを務めるんだから、相応の覚悟はしときなさい」

「覚悟するようなことがあるのか?」

「まあ、ね。忙しく駆けずり回ってもらうからね」

「そうか。どういう具合かわからんが、頑張るよ」

「明日から早速仕事だから、頼むわよ」

「おう」


 何をやらされるんだろうな。今から不安でしかない。


「明日から仕事だし、連絡先教えて」

「は?」


 明日の仕事内容がどんなものか懸念していると、唐突に連絡先を要求してきた。

 仕事の上で必要なんだろうが、気軽に男の連絡先を聞き出すもんじゃない。


「ほら、早く」

「ああ、わかったよ」


 催促されて胸ポケットからスマホを取り出した。

 一秒も待てないような素早さで俺の手からスマホをかっさらい、自身のスマホを  反対の手に持ち、番号やら文字やらを打ち込んでいく。器用なもんだ。

 打ち込み終わって、はい、とスマホを返される。


「あなたから連絡取ってきたら、即刻クビにするから。それとあたしの機嫌を害させたとしても、クビだから」


 脅す目つきで釘を刺してくる。


「緊急時の連絡でも、ダメなのか?」

「ダメ。どんな理由でも連絡してきたことに変わりはないからクビにするわ」


 俺への警戒を徹底してるな。不当な容疑をかけられている感じに似てる。

 錦馬はスマホをバッグに戻すと、立ち上がって言い放つ。


「あたし帰るから」


 その後、社長に振り向き、

「次勝手なお節介したら、事務所移籍しますからね」


 歯に衣着せず社長をも脅して、つかつかと部屋を出ていった。

 錦馬がいなくなってしばらくすると、社長が手に負えない表情を俺に向けて苦笑した。


「まだマネージャーのことを引きずってるのね、あの子」

「誰だって会った直後からあんな横柄な態度で当たられたら、関係性が上手くいくわけないですよ」


 俺は正直にあいつの難点をあげつらった。


「でも根は気を配れる優しい子なんだけどね」


 社長は気づかわしげに言った。そんなはずがない。

「できる限りあの子に協力してあげて、浅葱マネージャー」

「わかりました」

 

 社長の声に不安が滲んでいる気がした。できる限りは手を貸そう。

 社長の期待に応えるためにな。

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