月は変わらずに

ここみさん

月が綺麗ですね

「月が綺麗だな」

十五夜、満月の輝きが夜空を照らし、今日の夜空の主役は自分だとでも言いたげなほど、輝いている月。そんな月を見ながら、私の我儘を聞いてくれている魔術の助手のヤマトは月の感想を私に向かって漏らした

「でしょでしょ、こんな綺麗に月が輝いているんだから、今日の夕飯は外で食べようっていう私の考えは完璧でしょ」

今日が満月だと知った私は、ヤマトに無理を言って、アトリエの庭のガーデンテーブルにテーブルクロスを敷き、そこに今晩の夕食を並べさせた。魔女の仕事の一つに、薬品や植物の取り扱いがあるけど、ここで試飲できるように改造するのもいいかもね

私のアピールに呆れた視線を向けた後、わざとらしくため息をついた

「……まぁ、情緒もない師匠にそんなことを言っても仕方ないか」

「情緒もないとは何よ。あるからこうして外で食べようとしているんじゃない、風流人よ、風流人のランスよ。俳句とか詠んじゃうわよ」

「勝手に詠んでろ」

「それにしても、夏が終わったからか夜も大分涼しくなったわよね。女の子である私の体が冷える前に、早く食事の準備をお願いしますよ」

「偉そうに座っているだけのあんたが言うな。というか、言い出しっぺが食事が運ばれてくるのを待っているだけというのはどうなんだよ」

「私はほら、月を見るのが忙しくて…イタッ」

ヤマトは食事を運んできたお盆で私の頭を軽く叩き、最後になる熱々のスープを取りに家の中に戻った。私師匠なのに、色々教えてあげているのに、何のためらいもなく暴力を振るわれた

「それにしても、月が綺麗ですね、かぁ」

一応魔女という職業であるため、様々な文化には詳しいつもりであり、ヤマトがどういう意図かはわからないけど、「月が綺麗ですね」という言葉にどんな意味が隠されているのかくらいは知っている

「東洋の方では変わった告白をするものね」

だけど、シンプルに伝えられるよりもロマンチックなのは確かだ。お互いに意味が分かっているのが前提だけど

というか、さっきのヤマトは本当にどういう意図で言ったのだろう。正直弟子という視線でしか見ていなかったから、告白とかだったらちょっと気まずい

「嬉しくないわけではないのだけどね、どちらかと言えば嬉しいけど」

私もそろそろ二十歳、仕事と研究で忙しくて恋愛なんて興味はなかったけど、魔術の才能が無かったら普通に恋愛して結婚を視野に入る年だ

「でもなぁ、ヤマトかぁ」

「俺がどうかしたのか」

私の前にスープが置かれ、パンにサラダ、鶏肉の香草焼きとすべてが揃った

パンは市販のものだが、他は全部ヤマトの手料理だ

こうしてみると恋愛対象としてはヤマトは意外と好物件だよなぁ、今までそれが当たり前になってたからあまり感じなかったけど

炊事洗濯掃除、魔女としての仕事以外はほとんど彼がやってくれているし、素養もあるからいずれは私と同じ仕事に就いて、このアトリエを支えてくれるだろうし、頭も顔も悪く無い

「でもなぁ、それ以外がなぁ」

「だから何の話だ、人の顔を見て露骨にため息をつくな」

「いやね、ヤマトって毎日毎日小言ばかり言っているなぁって思ってね」

「そんなこと思ってたのか。好きで言っているわけではないからな、言われる側にも問題があるということを忘れるなよ」

それだけ言うと、自分の席に座り、二人で手を合わせて食事を始める

うん、やっぱり美味しい、というより彼が作るものでおいしくなかったものは無かった気がする。今も毎日作ってもらっているけど、改めて毎日食べたいと思ってしまう

月を眺めながら食事をしていたせいか、普段よりヤマトの口数が少なく感じる。先ほどの言葉の真意を測りたいのに。仕方ない、私の方から聞いてみるか。…なんだかがっついている女みたいでいやだなぁ

「そういえばさっき、月が綺麗って言ってたわよね」

「あぁ、改めて思うが本当に今夜は見事な満月だ。それがどうか…」

そこでヤマトが固まった。本当に頭がいいというか、察しが良いというか、色々なことに気がつけて苦労しそうですな

「…知っていたのか」

「言われてすぐには分からなかったですけど、そう言えば、と思いだしました」

「そうか。いや、深い意味はない、通じないランスを見て内心で笑い、普段の意趣返しがしたかっただけだ」

そのままなぜかヤマトは黙ってしまった。え、何で黙るの?気まずいから?じゃあなんで告白擬きをしたの

てか私も恥ずかしいな。そりゃ二年くらい一緒に暮らしていて、色っぽい関係に発展しなかったんだから、私が男としてより弟子として見ているのと同様に、ヤマトも私のことを女としてより、魔術の師匠として見ていると考えるべきだった。いやでも、偶にヤマトは私のことを女としてどころか師匠としても見てない時があるしな、あれは私のことをどう見ているんだろう

それはさておき

「…その、ごめん、私も変な詮索しちゃって」

沈黙に耐えられなくなり、笑いながら謝罪した

「いや、逆の立場だったら気になるのも無理はない。ランスは気にするな、いつも通り小馬鹿にしたように笑ってくれ」

私ってそんなイメージなの、告白の早とちりよりそっちのほうが気になるんだけど

「それにしても、俺の国の文豪のセリフなんてよく知っていたな」

「文化の研究も魔術に関わってくるからね。資料とかよりも、そう言う小説なんかの方が文化を知るには効率的だし」

「なら、その返答も知っているな」

「もう死んでもいい、だよね。私の全てをあなたに委ねますって意味の」

「ああ、まぁ厳密に言えば別の作家だから、月が綺麗ですね、という告白の返答、というわけではないだろうけど、よくセットで使われるものだ」

本当に変わった文化で面白いですよ。ですが

「死にたくは…ないかな」

「それは俺の告白擬きに対する返答か?」

「ううん、私の意見。死にたくないわよ。好きな人に、いや仮に好きな人じゃなくても、自分が誰かに好いてもらっているのに、それで死にたがるなんて、相手に対して失礼よ」

まるで、あなたが大切にしているものを、私は大切にしていません、と言っているように感じる。それは、いくらなんでも寂しすぎる

「まぁ、所詮浅学な奴らが勝手に持て囃しているものだ、そこまで真剣に考慮する必要もないだろ。尤も、月が綺麗ですね、の浸透は文化といって差し支えないと思うがな」

「それでも考えちゃうのよ。ヤマトだったらなんて応える?好きな人…じゃなくてもいいや、親しい女の子から、月が綺麗ですねって言われたら」

ヤマトは少し考え込むと、月を見上げた

「知ってる、どれだけ一緒にいると思っているんだ」

月を見上げているせいでヤマトの顔がよく見えない、だけど見えなくてよかったとも思う

私の顔が赤くなっていくのを感じる

多分ヤマトは、私を想定して返答を考えたのだろう。そして、その答えがそれなら

いや、これ以上は止そう。あくまで彼は親しい女の子を想定して、その子に対する返答をしただけだ

「魔術はイメージだって教わったからな、イメージしやすいランスを想定させてもらった」

「いや、言っちゃうの?」

あっけらかんと言うヤマトに思わず大声が出る

「親しい女の子なんてお前しかいないからな、まぁ女の子という年ではないが。長い付き合いだし、誰を想定していたのか、お前だってわかってただろ」

「年は余計よ」

わかってはいたけど、確証がなくて変にドキドキしちゃったじゃない。しかもOKの返答だし

「はぁ、じゃあ断る時はなんていうのよ」

「…それは思いつかないな。さっきも言ったが親しい女の子はお前しか思いつかない、だから断る返答も思いつかないな」

「い、言い切るわね。しかも実質告白みたいなものだし」

「好きに受け取れ。俺は俺たちの関係が師匠と弟子のままだろうと、恋人同士に変わろうと、何ら問題はないと思っている。どうせ一緒に暮らしているんだから」

「本当に合理的ですよね、月が綺麗ですね、というロマンチックな告白が生まれた国の出身とは思えませんよ」

眉一つ動かさないこの男は、本当に恋愛感情なんてものを持っているのだろうか

「そうだ、ランスはなんて応えるんだ、親しい男から月が綺麗ですね、と言われたら。俺だけ言うのも不公平だろ」

「私は…」

想定してみる、想像してみる、妄想してみる

もし男の人から「月が綺麗ですね」と言われたら。…あ、ダメだ、私も身近な異性はヤマトしかいないや。身近というより、一緒にいる時間が多い異性かな

ヤマトから言われたら…

「明日もまた見ようね、かな」

もしヤマトに言われたのなら、絶対に死んでもいいなんて言わない。私はヤマトと明日も、明後日も一緒にいて、この綺麗な月を眺めていたい

そしてこの気持ちもヤマト同様、明かそうが明かすまいが関係ない。どっちでも、今日と変わらず朝起こしにくるし、ご飯を作ってくれるし、仕事を手伝ってくれるし、魔術を教えてあげなくてはいけない

私たちの関係はもうそう言うところまで来ている

「それにしても、本当に月が綺麗ですね」

「あぁ、いつもと変わらずな」

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