第17話
わたしはゴールデンウィークの前半に、二泊三日で里帰りした。
まほろのお見舞いに行って、まほろのお母さんと思い出話をしたり、画材屋でスケッチブックやトーンを買いこんだりした。
家では簡単な料理を作ってみせ、両親をおどろかせた。祖母は「これは良いお嫁さんになるわ」と気の早いことを言った。
三日目、わたしはお昼前に家を出た。あと一泊していけという家族に「賞味期限が今日で切れる牛乳があったのを思い出したから」と嘘をつき、空いた電車に乗ってアパートへと帰りついた。午後三時を回るころだった。買いものした画材やおみやげで、荷物は出かけるときの倍になっていた。
二日ぶりに鍵を開け、部屋に入る。雨戸を閉めて出かけたはずなのに、磨りガラスの戸が金色に光っている。ぼんやりと、桃色のふわふわしたものが動いているのが透けて見えた。
戸を開けると、部屋は傾きはじめた太陽の光にあふれていた。金色のハチミツに満たされたような部屋のこたつの上で、まほろはこっちを見上げて待っていた。
「ただいま、まほろ」
「おかえりなさい、先輩」
この街に戻ってきて、ようやくほっとひと息つくことができた。荷物を置き、床にひざをついてぬいぐるみの目を見つめた。
「やっぱり、早く帰ってきてくれた」
まほろはぬいぐるみを脱ぎ捨て、本来の姿に戻った。近寄ってきて、真正面からノースリーブの真っ白な腕を首に回してきた。わたしもまほろを抱き返す。
触れられるかどうかはもう問題ではなかった。ふたりともボディタッチが多い方ではなかったから、高校のときに肌に触れ合ったのは一度か二度あったかな、という程度。しかも、こんなに恥ずかしげもなくできた訳じゃない。
もうわたしとまほろがやりとりできるのは、声と温度だけだということに、まほろも気づいているのだろうか。
わたしは慣れない仕草でまほろから離れた。まほろもゆっくりと腕を下ろし、カーペットの上にぺたんと座った。
「まほろ、雨戸開けられたんだ。すごいね」
「あ、勝手にごめんなさい。でも、電気の光より自然光の方が作業しやすくて……。ちゃんと夜は閉めてましたよ」
「むしろ部屋を空けてるって思われなくてよかったのかも。留守番ありがとね」
まほろは褒められて喜ぶ子どものようにはにかんでから、ちらっとこたつの上に目を向けた。力なく横倒しになったぬいぐるみは、パッチワークのワンピースを着ていた。
まほろは先週花柄ワンピースを完成させてから、新しい服作りに取りかかっていた。わたしが帰省しているあいだに仕上がったらしい。
五、六種類の布地は小花柄、ギンガムチェック、水玉模様など、柄はバラバラだが緑系の色で統一されており、全体のまとまりがあった。
そもそも、このワンピースの材料もわたしのお古なのだが、今うさぎが着ているものは、もとの十分の一に縮小コピーしたような出来ばえだった。
可愛さにひと目惚れして買ったはいいものの、派手すぎて着る勇気がなく、もっぱら観賞用になっていたワンピースだった。タンスの肥やしにしておくのもかわいそうだから、自由に使っていいとまほろに譲ったのだ。
「まほろ、もとのかたちそのままに作ってくれたんだ」
「先輩がお気に入りだったみたいなので、せっかくなら原型を残したいと思ったんです。それと……」
まほろはぬいぐるみの横に畳んである、ワンピースの余り布を指さした。広げてみてください、と言われ、わたしはそっと手に取った。
切り刻まれていると思っていたが、案外原型を留めていた。いや、そんなレベルではない。総柄の派手な長袖ワンピースは、ひざ丈くらいになりそうなスカートになっていた。
「先輩、せっかく買ったのに一回も着てないって言うので、ちょっとアレンジしてみたんです。ワンピースだと全身だから派手なだけで、上をシンプルなシャツとかトレーナーにすれば着やすくなると思って……。どうせぬいぐるみ用にはいっぱい布使わないので、先輩の分も作ってみたんです」
まほろはあごを引き、上目遣いで見つめてくる。
「もし……気に入ってもらえたら、着てほしいなって」
わたしは立ち上がり、スカートを腰に当てた。ちょうどひざが隠れるくらいの丈だ。
「まほろ、すごいよ。大学に着て行く。ありがとう」
「よかったぁ。がんばった甲斐がありました」
まほろはにっこりと笑い、わたしの足もとに置きっぱなしの紙袋に目を移した。その中身を察知し、わあ、と大きな口を開ける。
「エキソンパイだ!」
「リクエスト通りに買ってきたよ。わたしも久しぶりに食べたかったし」
脚を正座に直し、からだを揺らすまほろの熱い視線を浴びながら、わたしは包装紙を解き、箱を開けた。クリーム色の個包装には透明の窓があり、こんがりと色のついたパイの表面が見えていた。
「食べさせてください」
食べる? と訊く前に、まほろが迫ってきた。ビニールを破り、雛鳥のように口を開けて待っているまほろに差し出す。
四角いパイの角に噛みついたまほろは、咀嚼はしないまま頬をふくらませ、こくんとのどを鳴らした。頬が落ちるのを防ぐかのように、ぺたぺたと手で触っている。
わたしとまほろは、ひとつのパイを交互に食べた。まほろの口に入り、味のなくなったところを含めて他の場所もいっしょに食べれば、ちょっと味が薄まるだけで済む。
「おいしかったぁ。先輩、買ってきてくれてありがとうございます。でも……十二個入りはいくらなんでも多くないですか?」
「大丈夫。五つくらいは賞味期限内に食べられるとして、あとは冷凍しておくから」
「先輩、あたし以上に通ですね……」
「母親がやってたのを真似してるだけだよ」
パイを六つ冷凍庫に詰めこむ。扉が閉まるのを見届けたまほろが、シンクの縁に手を滑らせながら訊ねてきた。
「先輩、そういえば晩ごはんはどうしますか? 帰省前に食材は使い切っちゃいましたよね」
「そうだった……。じゃあ、買いもの行こうか」
「コンビニに?」
「スーパーだよ」
まほろは満足げにうなずいた。わたしはちょっとした外出用のサコッシュに財布とケータイと、まほろにすすめられて持つようになったエコバッグを入れ、玄関へと向かう。
靴を履きながら振り返ると、まほろはまだシンクの前で棒立ちしている。
「まほろ、何してんの」
「え?」
「いっしょに行こ」
靴紐を結んで立ち上がると、まほろは顔を輝かせてうなずいた。わたしの方に駆け寄ろうとし、ふと白いワンピースのままだと気づく。
「ちょっと、三十秒だけ待ってください」
「見ない方がいい?」
「どちらでもお好きに」
わたしはドアの方を向いて、一応目もつぶった。背後で物音はしない。
心の中で二十三秒まで数えたとき、まほろから声がかかった。
「先輩、お待たせしました」
振り返ると、わたしがひと目惚れし、こんなふうに着こなせたらな、と想像していた通りに、パッチワークのワンピースを身にまとったまほろがいた。わたしはまぶしいわけじゃないのに、目を細めていた。
「似合うよ、まほろ」
まほろが腕に飛びついてきた。スカートがひざの高さでやわらかくひるがえった。
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