第16話

 ゴールデンウィークを一週間後に控え、大学構内も街も少し浮き足立っていた。学食や教室のすみでは、大型連休に向けた計画を立てる賑やかな声が上がっていた。

 おどろくことに、入学式から一ヶ月も経っていないというのに、友だちの輪はできあがっていた。もちろん、わたしはどこにも入れず、昼食は堂々とひとりで食べている。

 大学ではひとりぼっちで寂しいわたしにだって、ゴールデンウィークはやってくる。だけど、友だちなんかいなくたって平気だ。なぜなら、まほろがいるから。


 わたしはまほろといっしょに帰省したいなと思っていた。そして、まほろと彼女の両親とを、どうにかして会わせられないかとも考えていた。

 まさか、動くぬいぐるみをはじめから見せるわけにもいかない。本当にまほろがいるのだと伝えられる……信じてもらう方法はないだろうか。


 水曜日、午後の講義が突然休講になってしまい、いつもより早めの帰宅になった。

 簡単な料理でも作ろうかと、スーパーに寄り道をする。まほろに教わってはじめて料理をしてから、週四は自炊するようになった。

 まほろといっしょに買いものに行き、材料を揃えてから献立に取りかかることもあれば、今日みたいに肉か魚と、何種類かの野菜を買って帰り、ありあわせの食材からまほろが創作メニューを考えてくれることもある。

 おかげで、わたしの料理スキルは徐々に上がっているし、体調がよくなってきたようにも感じる。


 まほろは今日も、服作りに励んでいるのだろう。

 痛々しさすらある、縫い目だらけのぬいぐるみ。まほろもいかがなものかと感じはじめたのか、漫画の作業がない今は、わたしの古着でぬいぐるみ用の服を作っている。

 ぬいぐるみが針や糸を使って、自分の服を縫う光景は、頭を休めるのには十分すぎるほど平和だった。


 漫画のストーリーを頭の中で構成しているうちにアパートに着いた。からんからんと鳴る外階段をのぼり、鍵穴に鍵を差しこみ、ドアを開ける。

 まだ昼下がりと言っていい時間帯。西向きの部屋は夕方にかけて少しずつ明るくなっていく。自然光の中で作業するのもたまにはいいな、と思いつつ、部屋に入った。


 ぬいぐるみが……まほろがベッドの下の隙間に挟まっていた。頭が引っかかって抜けないのだろう。手足をじたばたさせている。

 わたしは買いもの袋を置き、デジャブを感じつつ、ぬいぐるみのわきに手を入れ、できるだけ優しく引き抜いた。助け出されたまほろはふらふらとよろめき、ぺたんと前に転んだ。


「せ、せんぱい……早かったですね」

「うん、午後休講になっちゃって……まほろ、大丈夫?」

「大丈夫です……ちょっと体操してたら間違っちゃって」

「間違えてあんなことになる?」


 まほろはやっとしゃっきり立てるようになり、こたつの上によじ登った。そこには作りかけのワンピースが、昨日とあまり変わらない状態でぺらっと広げてあった。


「あれ、作業詰まっちゃったの? 何か足りない材料でもあった?」

「え、あー……材料というか……ハサミ! 切りたいところが新たにできちゃって」


 ああ、とわたしはうなずいた。できることが多くなったまほろでも、道具によっては使えないものもある。

 ハサミはそもそもぬいぐるみの手では持つことができない。だからといって、庭木用のハサミみたいに両手で使うのは危ない。だから、まほろの指示通りにわたしが切るようにしているのだ。


「どこ切るの?」

「あ、えーと、あっ! やっぱり切らなくていいみたいです! 先輩、大丈夫です。あたし、つづき縫いますね」

「ああ、そう?」


 何だか、まほろがいつになく冷静さを欠いている。わたしは首をかしげながらクローゼットを開け、紙袋を取り出した。

 実家で眠らせておくつもりだった、漫画の道具。今まで描いた原稿や新品の原稿用紙、スクリーントーン、アイデアや練習を描き貯めたスケッチブックなど、いろんなものが入っている。


 わたしは紙袋をあさり、新品のスケッチブックを探した。ネームを描くときに愛用しているもので、かならず一冊は新品のものを常備している。しかし、予備で買っておいたはずのスケッチブックは見つからない。

 袋の中身をすべて取り出し、検分したものから戻してみる。目当てのものは見つからず、広げた中身はぜんぶ紙袋の中に戻ってしまった。


「あれ? 買ってたって勘違いしてるのかな」

「どうしたんですか?」


 まほろが並縫いをしながら訊ねてきた。


「予備のスケッチブックが見当たらないんだよね。でも、買ったの相当前だから……もう使っちゃったのかも。いや、そもそも買ってないのかも?」

「あ……あー、たまにありますよね。買ったっけ? 買ってないっけ? って」


 まほろは耳を揺らしながら言った。本物のうさぎみたいに自由自在に動くわけではないが、身体の動きを追うように揺れる耳は、まほろのポニーテールと重なるように感じられた。


「どうしようかな……。この辺に画材屋あるかわかんないし……」

「今どきネット通販で買えるんじゃないですか?」

「まあそうだけど……。どこに売ってるか知っているものを通販で買うのって、何か宅配業者さんに申し訳ない気がして、注文に踏み切れないんだよね」

「変な先輩。でも、先輩っぽいです」


 まほろはくすくす笑いながら、器用にワンピースを仕上げていく。今度はボタンつけに取りかかる。そのボタンも、わたしのお古から出たものだ。


「わたし……やっぱりゴールデンウィークに帰省しようかな」


 ぽつりとつぶやくと、まほろは針を止めて顔を上げた。笑っていたり、怒っていたりすると不思議と表情が伝わってくるのに、今は普通のぬいぐるみの顔をしている。中のまほろが無表情なのかもしれない。


「前に帰ったときはちらっと寄っただけだったし、いつもの画材屋でスケッチブックとかトーンとか買い足したいし……もちろん、ゴールデンウィーク中ずっとって訳じゃないけど」


 わたしはなぜ、言い訳している気分なのだろう。ぬいぐるみの顔にまほろの表情が滲み出てこないのが気がかりだからだろうか。


「先輩……帰らないで」


 まほろのつぶやきは、うっかりしていたら耳を通り過ぎてしまいそうなほど、か細かった。


「ゴールデンウィークは、ここにいてください」

「まほろ、留守番だと思ってる? そんなことする訳ないじゃん。いっしょに帰ろう。ほら、お父さんとお母さんにも会えるし」

「あたしは先輩以外の人に会えないんです」


 まほろは針を針山に刺すと、するりとぬいぐるみから抜け出した。感情をおさえこむように、頬は強ばっている。


「先輩と漫画を描きたくて、先輩に会いたくて、この姿で戻ってきたんです。父と母に、あたしの姿は見えません。見えたとしても、会いになんて行けません。あたしは両親じゃなく、さいごだとわかって先輩を選んだんですもん」

「でも……お父さんとお母さんの姿を見るだけでも……」

「別に……話もできないなら、会いに行く意味もないです。両親の顔なんて見飽きてますから」


 まほろは目を伏せて、足をぶらぶらさせている。ワンピースの裾がそれにあわせてひらひらと揺れる。


 まほろの言葉が本心でないことはわかった。強気に振る舞おうとして笑っているが、左の頬が嘘を隠しきれずに震えていた。

 わたしはこぶしを握りしめ、まほろを見上げて口を開いた。


「じゃあさ、わたしひとりでお見舞いに行っていい?」


 まほろは足の動きを止め、わたしを見つめ返してくる。呼吸をしているかのように胸と肩だけがゆっくりと動いている。


「やっぱり、病院にいるまほろにも会いたい。まだ普通病棟に移ってから一回しかお見舞いに行ってないし……。まほろがもう身体に戻ることを諦めてても、どうしてもダメなんだ。結局意識が戻ることを願っちゃう。天国での事情を知らないお母さんとお父さんは、なおさらだよ。もちろん、まほろの今の状況は話さない。ただ、お母さんたちといっしょに祈りたいんだ」


 まほろはうつむき、しばらく黙りこんだ。内側に巻いた毛先が、少しだけ揺れている。ひざを擦りあわせ、ぎゅっと縮こまったあと、ぱっと弾けるように姿勢を戻した。まっすぐ前を向いた顔には、決意と少しの恐れが含まれていた。


「それでもダメって言ったら、行かないでくれますか?」


 まほろはまばたきも少なく、そう言った。わたしは「まあそれなら」と不承不承許してもらえる気でいたので、返答に困ってしまう。

 口をぱくぱくしていると、まほろはベッドから立ち上がり、相好を崩してわたしの目の前にしゃがみこんだ。ひざに置いたこぶしが、まほろの手にそっと包みこまれる。


「嘘です。さすがにそこまでわがまま言いません」

「じゃあ、行っていいの?」


 まほろはくちびるを内側に巻きこむようにして噛み、あごを引くようにうなずいた。


「あたしはいい子でお留守番してます。おみやげは、エキソンパイでお願いしますね」


 まほろは冗談っぽく笑った。わたしの手は、いつのまにか力が抜けほどけていた。

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