第3話

 段ボール箱だらけの部屋で、近くのコンビニで買ってきたおにぎりを頬張る。

 長年住人が入っていなかったという部屋は、今日一日換気をしてもまだかび臭いし、照明も薄暗い。


 わたしは四月からの大学生活に向け、引っ越しをした。

 合格発表が遅かったために駆けこみでの物件探しになったのだが、大学まで徒歩十分、最寄り駅までは徒歩三十分という微妙な立地だからか、この部屋はずっと空いていたらしく、即契約できた。


 二階建ての二階角に位置する、八畳一間。通りから少し入ったところなので、わりと静かだ。洗濯ものも気兼ねなく干せそうだ。


 自炊には不安があるものの、いざというときに頼れるコンビニが近くにある。

 いつでもどこでも同じもの、同じ味を提供してくれるコンビニ。もちろん、このおにぎりも地元で食べていたものと変わらない。

 そんな当たり前のことがなぜか嬉しく思える。


 今日は届いた荷物を運び入れ、家具の位置を試行錯誤し、雨戸の掃除をしているうちに日が暮れてしまった。

 入学式まではあと十日ほどある。荷解きは明日からでもいいだろうと、共に田舎から出てきたベッドに寝転んだ。


 ケータイのトークアプリを開く。

 卒業後、仲の良かった友人たちとは一度もメッセージを交わしていなかった。

 仲良しといっても、同じ教室につめこまれ、クラスメイトたちがグループを形作っていくなか、どこにも入れなかった者がひとりでいるよりは、と寄り集まってできたようなグループだ。

 お弁当をひとりで食べたくなかっただけで、別に気があったり愛着がわいたりしていたわけじゃない。卒業を機に疎遠になることは火を見るより明らかだったから、別に寂しくもなんともなかった。


 彼女らのトーク履歴を削除していく。アカウント自体も非表示にする。

 ブロックという手段もあったが、相手側に通知が行く可能性を考えるとできなかった。ブロックするとどうなるかということも知らないくらい、トークアプリを使いこなせていなかった。


 掃除をはじめるとはかどるのと同じで、ひとり消すとためらいがなくなりどんどん消していったら、最終的に友だちが八人になった。

 そのうち五人は交通機関や天気予報などの公式アカウント。人間は父、母、そして茜谷まほろだけになってしまった。


 まほろとのトークルームを開き、ぼんやりと画面を眺める。


 何もせずにいたら、自動的にバックライトが消えてしまった。ボタンを押して明るくして、ふたたびつるりとした画面の表面を見つめる。


 まほろとのメッセージのやりとりは、合格発表の日づけで止まっていた。

 最後のわたしからの連投に既読はついているけど、それをまほろは読んでいない。


 まほろとだけは、大学と高校とで離れても、切っても切れない縁になるんだろうなと、なんの根拠もないけどそう思っていたのに。


 合格発表のあの日、まほろは待ち合わせ時間に十分な余裕を持って出かけたらしい。

 最寄り駅までは交通量が少なく、まっすぐで見通しのいい道。それをいいことに猛スピードで飛ばす車も珍しくなかったそうだ。


 早朝の、まだ薄明るい時間帯。


 まほろは制限速度の倍近い速さで走る乗用車にはねられた。


 大きく飛ばされたまほろは地面に叩きつけられた。外傷は目も当てられないという程ではなかったが、強く頭を打ったらしい。

 しかも、はねた車はまほろを置き去りにして逃走。近所の人が発見、通報してくれるまでに数分間を要してしまった。


 まほろは一時、ICUで生死の境をさまよっていた。

 治療が一段落した今は一般病室に移っているが、やはり脳の損傷が激しかったらしい。事故から十日ほど経つが、意識は一度も戻っていない。

 人工呼吸器がないと呼吸もできず、まほろは今、機械と点滴で何とか生かされているという状態なのだ。


 わたしは合格発表の直後、まほろのお母さんから伝えられた病院へと飛んで行った。

 到着したのは午後四時ごろ。緊急手術は終わっていたが、予断を許さない状況だった。


 たくさんの管や機械をつながれたまほろは、装置の一部になってしまったように見えた。


 わたしはまほろのお母さんに謝った。

 わたしの合格発表につきあうために、まほろは出かけて事故にあった。本当に取り返しのつかない事態なんてはじめてで、わたしは罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。


 むしろ、責めてもらえた方がいいと思った。

 わたしがいちばん責めているのはわたし自身だった。せめて罪悪感を抱くことを肯定してほしかった。


 しかし、まほろのお母さんは「頭を上げて」と言った。


「悪いのはあなたじゃない」


 顔を上げると、まほろのお母さんは真っ赤になった目で虚空を睨んでいた。ひき逃げ犯はまだ捕まっていなかった。


 それから、引っ越すまでは毎日見舞いに行った。

 一般病棟に移ったのは、わたしが引っ越したあとだったから、ガラス越しの対面しか叶わなかったが、いつまでもまほろの顔を見ていられた。


 大学が落ち着いたらまた会いに来てやって。

 まほろのお母さんは祈るように言っていた。

 大学生になったって報告しに来て、と。


 まほろとのトーク履歴をさかのぼって読み返していたら、日づけが変わる時刻になっていた。

 トークアプリを閉じ、もうずいぶん聴いていないまほろの声を思い出せることをたしかめながら、電気を消した。



 .*・.゚・*.・:*



 入学式の日、わたしは人生ではじめてスーツを着た。


 はじめてセーラー服を着たときも、はじめてブレザーを着たときも思ったが、馬子にも衣装とはこのことかと改めて感じた。

 制服はやがて慣れたけど、スーツが似合うようになる日は来るのだろうか。身長はこれ以上成長しないから、あとは精神年齢しか伸びしろはない。

 二年後には振袖を着なくてはならないという実感も感慨もないから、たぶん身も心も成長期は終わったのだなと思った。


 同じ高校から進学した人もいたが、特別仲が良かったとか仲間意識があったわけでもないので、行動は共にしなかった。どころか、大勢の新入生の中から見つけ出せるほど、顔を覚えてもいない。


 帰ったら本棚の整理をしようとか、晩ごはんはどうしようかとか考えているうちに入学式は終わった。

 人波にもみくちゃにされながら会場を後にし、そのままの流れでキャンパスを出ると、見覚えのない道へと出てしまった。どうやら入ってきた門と反対側に来てしまったらしい。


 慣れない道を歩いて迷子になることは必至なので、敷地内をもと来た通りに戻ることにする。人の流れは落ち着き、道が広がったように感じた。


 高校とは比較にならないほど広い敷地。

 今日は皆スーツで無難な姿を繕っていたが、明日からは個性のぶつけあいのような様相を呈しはじめるのだろう。自由度も格段に上がる分、比例して責任も増えるはずだ。


 わたしはこんな場所で生きていけるのだろうか。

 生き残れるのだろうか。


 もう、あの美術室のような逃げ場所はないのに……。


 慣れないパンプスで疲れ果ててしまい、よろよろとベンチに座った。手で両目を覆う。まぶたの裏には、まほろの顔が浮かんでは消える。


 笑っているまほろ。

 猫みたいに甘えた顔のまほろ。

 めずらしく真剣な顔をするまほろ。


 ベッドに横たわるまほろは見えなかったことにする。


 それなのに、生き生きとしたまほろが見えなくなり、眠りつづけるまほろがいやでも思い浮かんでくる。


 まぶたをこじ開けると、陽の光が飛びこんできた。まぶしくて涙が出る。


 あんなに人がいたのに、構内はすでに閑散としている。サークル勧誘のチラシが植え込みの根元に引っかかって、ひらひらとなびいていた。見える範囲に桜の木はないのに、掃き集めたみたいに花びらがそこかしこに溜まっていた。


 わたしは何とか立ち上がり、帰路に就いた。

 少しでも暗くなってしまったら、まだ慣れない道をアパートまで帰れる自信がない。


 またあの夕焼けが見たい。


 ふたりきりの美術室がハチミツで満たされたかのような、金色の夕焼け。


 この街の夕焼けが、あんなに綺麗なはずがない。

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