第2話 風の子

「ほら、四つ前に通り過ぎた少々大き目の駅があったでしょう?ここらでは珍しく無人駅でなかった駅、そこが僕の出身地です。

 無人駅ではありませんが、似たような田舎です。養鶏が盛んで唐揚が名物って地方。山があって川があって、子どもの頃は毎日、兄妹や近所の子どもと野山を駆け回っていました」


「まあそうなの? 色白だし、洗練されて見えるから、とても田舎で育ったようには見えなかったわ」


「そうですか? 洗練なんてされてませんよ。それに、色白なのはウチの遺伝なんです。小柄だし、会社の連中からは歌舞伎の女形演ったらいいんじゃねって言われてます。

 ホントに十才位までは生傷の絶えない子どもだったんですよ。毎日、夕暮れ時まで外で遊んでいましたから。今の季節にはよく山葡萄やまぶどうを採って食べてました。あと、蜻蛉とんぼを追いかけたり、草笛を吹いたり。幼い頃の楽しみをあげたらキリがありません」


「十才位まで? それからは違ったの?」


「まぁ十才過ぎても腕白は腕白だったんですけどね。でもその頃になると、室内で過ごす楽しみも分かるようになって。そのきっかけとなったのが、あの曲を作った友人との出会いでした。


 十才の秋に、僕達の田舎の学校に一人のスゴい転校生がやって来たんです。それこそ洗練された少年です。同い年に見えない位、背が高くて大人っぽい少年。都会と地方じゃ勉強のレベルも違うのか、テストはいつも百点だし、運動神経も良い。おまけに都会から来た転校生の鉄板で顔もイケメンってやつです」


「鉄板!?」


「あ、定番の事です。僕が密かに好きだった同級生の女のコも、転校生の方ばかり見て、僕の事なんか目にも入らなくなってしまって。今でこそ笑い話ですが、当時は切なかったですよ。

 それでも僕にはある事だけは負けたくないって特技があったんです。実は、歌が上手いというのが僕の子どもの頃の自慢でして、秋のお祭りで毎年開催されるのど自慢大会ではいつも優勝か準優勝のどちらかでした。そこを負けるのはヤだなって。青いですよね〜。だから、音楽の授業で彼の歌声を聞く機会を密かに待っていたんです。みんなで合唱する時にもなかなか隣にならなくってやきもきしてたんですけど、やがて絶好の機会が訪れました。ある日、音楽の授業でクラス一人一人がみんなの前で歌う事になったんです」


「それで? 彼は歌が上手だったのかしらね?」


「まぁまぁでした。上手いのですが僕よりは上手くなかったです。へへ。正直、安心しましたね。でもその同じ音楽の授業で彼がピアノを弾けるって事が分かりました。『へえすげーな』って素直に思いました。


 彼の名前は一ノ瀬 シュン。僕達、腕白男子組は初め、遠巻きに彼を見てたんですが、ある日、クラスで野外に写生に行く事になって、それをきっかけに僕は彼と話すようになったんです。

 写生というと、当時なぜかみんな山を描いてました。ほら、さっき窓から白い山々が見えたでしょう? まるで雪を被ったような。 あれ、雪でなくて石灰石なんですよ。結構、有名なんです。遠くから見るとアルプスの山みたいだって。

 だけど、僕と瞬は、まだ実る前の稲穂が風になびいている様子を描こうとして田んぼを見下ろす小さな丘に座って描いていました。僕は瞬の持っている二十四色の水彩絵の具に感激したんです。そうしたら好きなの使っていいよって言われて。僕は黄緑色の絵の具を使わせてもらったんです。だって普通に緑色と黄色の絵の具を混ぜても濁ったような色になるだけで、あんな澄んだ黄緑色は作れないでしょう?

 あ、すぐに話が逸れてしまってスミマセン。とにかく絵を描いているうち、僕達はお互いの共通点を発見し、意外にウマが合うなって感じたんです。感覚が似てるっていうか。それまで外でみんなと駆け回っていても、自分の感覚だけみんなとズレてるって時がよく合ったんです。それは風景を見て感じる事とかで、他の人から見たらどうでもいい事だったのかもしれません。でも当時は子どもながらそういうのを何となく寂しく感じてて。瞬は自分の感覚ととても似ていたんです。それから音楽の話になると、僕も彼も八十年代の:アメリカンポップスが好きだって分かりました。僕は兄の影響で、瞬はお父さんの影響からでした。それで今度お互いの家で聞こうみたいな話にまでなったんです。


 彼の家は、外国映画に出て来るような洋風の家でした。中に置いてある家具も壁紙も新しくて超ピカピカで。引っ越してきたばかりだから当たり前かもしれませんが。一方ウチの家は昔ながらの田舎の家で、広い事は広いんですが、吹き抜けの和室ばかりで、庭にはじいちゃんの趣味の菊がズラッと並べてあるし、鶏小屋もあるし。家の中に全然新しい家具なんて無いんです。それなのに瞬は僕の家に来たら、こういう家、和むから好きなんだと言って、感激してるんです。ちょっと不思議ですけど、うれしかったのを憶えています。


 僕達の小学校には音楽専門の短大を出た女の先生がいたのですが、僕達が小五になったある日、瞬の作曲した曲、『木立の光』に感激して、音楽の時間にみんなに聞かせたんです。つまり瞬がみんなの前でその曲をピアノで演奏したんです。それは小学生レベルではありませんでしたね。先生は本当はそれをクラス全員で合唱するようにしたかったみたいですが、瞬がそれを断りました。

 これはそんな曲調じゃないからって。その代わり、彼は僕の名前をに出し、『富田に歌ってほしい』と。それで僕は学習発表会で、学校の生徒、父兄全員の前で「木立の光」を歌うことになりました。演奏はもちろん瞬の弾くピアノで、瞬は途中のハーモニーもしました。大絶賛でした。

 これがきっかけで僕達は一緒にデュオで音楽をやるようになりました。先生が付けた僕達のデュオ名は『風の子』。初め『かわいい小学生コンビね』と言われた僕達が、まさな自分達の成人式のステージでまで演奏するようになるとは思ってもみませんでした。


 十代には音楽の思い出しかない位です。 夢があって楽しい時代でした。コンテスト関係ではいつもいい所までいったし、そういうコンテストには芸能プロダクションの人も来ていて、イベント終了後に名刺をもらうんです。『君達ならプロになれる』と。実際には、僕のもらう名刺は瞬のもらう名刺の半分位なんですけどね。それはそうですよね。曲を作っているのは彼なんだし。

 友人達、そして友人でない知り合い達もみんな言うんです、オマエは運がいいって。あんな才能のある友達がいるんだからって。その恩恵にあずかっているっていう事でしょう。

 僕はただの『歌うたい』になりたくなくて、自分でもギターの弾き方を習い始めました。そして少しずつ作曲にも挑戦し始めました。自分目当てに聞きに来てくれる人の数が少しでも増えるように。だって結構いるファンのコ達のほとんど瞬目当てですからね。

 統計をとったわけではないですけど、彼の作る歌を好きになるコって見た目で分かるんですよ。良く言えば清楚系で、悪く言えば(悪く言う必要もないですが…)地味目。コンテストに出ると、特によく分かるんです。ロックやってる連中のファンのコって格好からして派手でしょう? その後に僕達がステージに上がると客席の色あいがガラリと変わるんです。正直、ここまでハッキリしてるとギモンも湧きました。なぜなら秋祭りののど自慢大会では、僕は老若男女から拍手をもらっていたので。


 僕は自分がラッキーというのを自分が一番よく分かっていたし、こんな充実した日々を過ごさせてくれた瞬に感謝していました。そして瞬が、もらった名刺を手に『こんな芸能プロダクションに所属してしまうと、やりたくない音楽をやる羽目になるぞ』という、その言葉を殊勝しゅしょうに聞いていました。

 でもその頃僕には、瞬にも言えないような、いえ瞬にだからこそ言えないような心のうちがあったのです。

 それは彼の作る曲も僕がやりたい音楽とは違っているって事です。さらにはっきり言うと、彼の作る曲を好きになれなくなったという事」



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