男の子、赤信号

時雨澪

第1話

 月曜日、学校の帰り道を私は重いカバンを背負い、いつも同じ道を通って帰る。

 学校に入った最初の頃は長くしんどいと思っていた道も、今ではなんとも思わない。もう慣れた。

 友達は沢山いるけど、友達の家は私の家の近くには無い。だから帰る時はいつも一人。本当はみんなと一緒に帰りたいけど、寄り道をしたらお母さんに怒られる。しょうがないけど一緒に帰れない。

 一人で歩いていると一つの横断歩道に着いた。小さい横断歩道。十字路じゃなくて、こちらの歩道と、車道を挟んだあちら側の歩道を繋ぐ横断歩道。使う人はほとんどいないけど、信号機はきちんと付いているし、動いている。

 私はいつも信号を守っている。この信号が赤信号の時に車が通って行くところなんて見た事ないけど、それでもきちんと守っている。「信号は守りなさい。赤信号を守らなかったら車に轢かれて死んでしまう」ってお父さんが言ってた。

 やがて信号は青に変わった。別に都会の大きな街の横断歩道じゃ無いから「ピヨピヨ」なんて音は鳴らない。こんな小さな横断歩道で音なんか鳴らない。そう思ってた。

 私が道路へ一歩踏み出した時、確かに私には聞こえた。


 チュン……


 高い音、それこそ小鳥の鳴き声のような音。それがどこかから聞こえた。

 こんな車も通らない静かな道で何の音だろう。

 私は周りを見渡した。しかし、誰も居ない。捨てられたおもちゃがいたずらしている訳でも無い。

 信号機でも新しくなったのかな?見た目は何も変わってないように見えるけど。

 よく分からないまま私は横断歩道を渡り切った。

 別に気にすることは無いよね。あの音はきっと私の空耳だ。



 火曜日の帰り道も、私は昨日と同じ横断歩道に着いた。

 誰も、何も通らない中、赤信号が変わるまでずっと待つ。とても退屈な時間だ。

 やがて信号は青に変わった。


 チュン……チュン……


 また聞こえた。あの音だ。昨日のあれは聞き間違いじゃなかったんだ。しかも今日のは昨日と違って、ずっと聞こえている。

 やっぱり見た目が変わってないだけで信号機が新しくなったんだ。

 その音は私が横断歩道を渡り切って、赤信号になるまで規則的に鳴っていた。

 今日はあんなに鳴っていたのに、昨日は何で一回しか鳴らなかったんだろう。壊れてたのかな?

 よく分からないまま、私は家に帰った。



 水曜日、今日もいつもと同じ横断歩道で、いつもと同じように信号が変わるのを待っていた。

 そうだ。今日は信号が変わるのを本でも読みながら待っていよう。青信号になったら音が鳴るからきっと気付ける。

 私はカバンから一冊本を取り出した。厚くて大きい小説だ。二人の兄弟が秘宝を巡って世界中を冒険するお話。学校の図書室で借りてきた。家で読もうとしてたけどちょっとくらい良いよね。

 私は小説を読み始めた。しかし、冒頭の数ページ程を読んだ辺りで、私は異変に気付いた。


 エイちゃん……エイちゃん……


 昨日まで聞いていた高い音。しかし、今まで気づかなかっただけで、その音は明らかに人の声だった。

 本を読んでて全然気づかなかった。ふと気付いたら「エイちゃん」という声が頭の中にぐるぐると回り続けている。

 その声は私の後ろから聞こえてきた。

「だれ?!」

 私は思い切って後ろを振り向いた。しかし、そこに人の姿は見えなかった。ただ声だけが聞こえている。

 とても気味が悪い。

 早くここから離れたい。

 私は走って横断歩道を渡った。赤信号か青信号かは見ていない。そんな事よりも、私はあの不気味な横断歩道を離れたかった。


 次の日の帰り道も私は同じ横断歩道を渡る。寄り道はダメだから、帰り道を変えられない。

 昨日の声はきっと気のせいだ。私は疲れてたんだ。今日はきっと何も無い。いつもの横断歩道になっているはずだ。

 そう思いながら私は赤信号が変わるのを待った。

 車道の信号が黄色になって、赤色になる。そろそろ渡れるはずだ。

 しかし、いつまで経っても赤から動かない。


 エイちゃん……エイちゃん……


 また聞こえてきた。私の後ろから聞こえる謎の声。

 後ろを見ても何もない。誰もいない。

 やっぱり声だけ聞こえる。

 やっぱり不気味だ。本当に怖い。


 エイちゃん……エイちゃん……


「エイちゃんってなに?!」


 私は誰もいない歩道で叫んだ。


 パン!


 私の上の方で何かが破裂したような音が聞こえた。

 上を見上げると、信号機が真っ暗になっていた。何故か消えていたのだ。


 エイちゃん……エイちゃん……


 信号機が消えていても声はずっと響いている。

「あぁ!もう!」

 私は声から逃げるように横断歩道を渡った。



 木曜日の帰り道も、私はまたいつもの横断歩道を通ることになった。

 本当は別の道を通りたかった。でも、寄り道をするとお母さんに怒られちゃう。

 もちろん昨日の事はお母さんに言った。でも、「そんな事あるわけ無いじゃない」「疲れてるんじゃない?」と笑われてしまった。私は本気なのに。

 おかげで残念ながら今日からもあの気味悪い横断歩道を渡らないといけない。

 ああ、いやだな。

 横断歩道はまた赤信号だった。

 私は昨日のあの出来事を思い出さないように目を閉じ、耳を塞いだ。

 それでもやっぱり聞こえてくるあの声。


 エイちゃん……エイちゃん……


 その声は耳を塞いだ手をすり抜けるように聞こえてくる。そして昨日と同じく私の真後ろから。

 エイちゃんって何だ。まさか人の名前?でも私の名前は「エイ」では無い。


 エイちゃん……エイちゃん……


 その声は次第に大きくなってくる。私が嫌がって耳を塞いでいるというのに、そんなの関係ない。

「『エイちゃん』って誰?!」

 私は勢いよく後ろを振り向いた。いるかも分からない声の主の方へ。

「――」

 そこには小さな男の子が居た。大きさ的にまだ中学校にも入っていなさそうだ。

 男の子は泣いていた。肩を震わせて、上下させて。表情は下を向いていて、さらに前髪が長いのでわからない。

 そして何よりも声が聞こえない。

 こんなに泣いているように見えて、泣き声の1つも聞こえない。呼吸の音も聞こえない。

 それがとても不気味だった。

「君のせいなの?!」

「――」

 半ば吐き捨てるように問いかけた言葉に男の子は全く反応しなかった。

 今すぐ離れたい。こんな不気味な子なんて放っておいて今すぐ離れたい。頭ではそう分かっていても、体は動かなかった。怖くて体が動かないのだ。ただ男の子の姿を見ることしか出来ない。

 黄色いつばのある帽子に白い半袖のシャツ。胸元には黄色い名札。小さくて何と書いてあるか読みにくかったが、「ダイキ」と書いてあるように見えた。黒い半ズボンから赤いハンカチがはみ出ている。靴は何故か履いていない、つまり男の子は裸足だった。

私はこの男の子見た事がある……?いや、ないはずだ。

 私がこうやって動けない間も男の子はずっと泣いている。手の甲で涙を拭う仕草は見えても、その手は濡れていなかった。

「エイちゃん……」

 男の子が呟いた。泣いているはずなのに、その声は涙声には聞こえない。

「エイちゃん……」

 男の子はゆっくりと顔をあげる。


「エイちゃん……!」


 その顔は笑っていた。


 前髪で目は隠れているけど、口角が上がっている。この子は笑っていた。

 男の子は私の方へと近寄ってくる。

「来ないで!」

 男の子は何も言わない。ただ近寄ってくる。

「来ないで!」

 私の気持ちなんて考えてくれない。ただ不気味な男の子が足音も立てずに近寄ってくる。

「来ないでって言ってるでしょ!」


 キキーッ!


 私の後ろで自転車のブレーキのかかる音がした。

「何やってるの?」

 後ろを振り向くと私のお母さんが自転車に乗っていた。

「えっ?あそこに男の子が」

 気づくと男の子は居なくなっていた。

「……いやなんでもない」

「大丈夫?昨日もなんかおかしかったけど。なんかあった?」

「だから声が聞こえて……」

「そんな事ある訳無いでしょ?」

 やっぱりお母さんは信じてくれないんだ。



 金曜日、一週間の最後。今日を乗り越えれば明日は休みだ。その気持ちだけで帰り道を歩いている。

 本当はあの男の子の事を思い出すだけで怖い。もう横断歩道には行きたくない。でも、この道を通らないと帰れないんだ。

 重い足を引きずりながら歩く。

 あぁ、横断歩道が見えてきた。

 横断歩道の前に立つと聞こえるんだ。


 エイちゃん……エイちゃん……


 聞こえてきた、あの声だ。男の子の声。後ろから聞こえる。耳を塞いでも、目を閉じても聞こえる声。


 エイちゃん……エイちゃん……


 いつも同じ言葉。私じゃない何かを呼んでいいる。


 エイちゃん……エイちゃん……こっち見て


「え?」

 初めて聞いた「こっち見て」という言葉。

 聞いた事のない言葉に反応して私は振り向いてしまった。

「エイちゃん……」

 後ろに居たのは昨日見た男の子。昨日と同じ男の子。そうだと思った。

 しかし、昨日と明らかに違う点があった。

 男の子の右手には包丁が握られていた。

「キャー!」

 怖かった。殺されると思った。

 男の子は包丁を構えると、私の方へじわじわと近づいてくる。私はなんとか離れようと、男の子の動きに合わせて後ろに下がる。

「エイちゃん……エイちゃん……」

 男の子は常にそうつぶやきながら近づいてくる。

「なんで近づいてくるの?来ないでよ」

 私の言葉なんて聞いてない。

「来ないでよ」

 私の気持ちなんて考えてない。

「来ないでよ!」

 目を瞑って思いっきり叫んだ。耳を塞いで、しゃがみ込んだ。

 声が聞こえなくなった。

 私はゆっくりと目を開けて、顔をあげた。そこには誰も居なかった。周りも見渡しても誰も居なかった。

 早くここから離れないと。

 私が思うのはただそれだけだった。

 さぁ、青信号だ。早く家に帰ろう。

 私は走って渡った。ただ地面だけを見てひたすら走った。とても短い横断歩道が何百メートルにも感じた。

 やがて視界から白と黒の縞模様が消える。

 渡りきった。そう思った。


「エイちゃん」


 私の目の前に男の子が居た。包丁を私に向けている。

「そんな……!」

 私は逃げるように反対を向く。

 横断歩道を逆戻りする。

 もう一度ただ走る事だけを考える。


 バン!


 何が起こったのか分からなかった。

 大きな物音が聞こえたと思ったら私は宙に浮いていて、いつもよりちょっと高いところから見えた景色はとびきり笑顔の男の子と赤信号。


『信号は守りなさい。赤信号を守らなかったら車にかれて死んでしまう』


 あぁ、轢かれたんだ。

 ごめんなさいお父さん。信号守らなかったから……。


 私の体が地面に叩きつけられた。



 ***



『こんばんは、本日のニュースをお伝えします。今日の夕方頃、〇〇町〇〇の横断歩道で交通事故が発生しました。轢かれた小学生の女の子は心肺停止の状態で病院に搬送されましたが、まもなく病院で死亡が確認されました。事故現場の付近には10年前、少女のAちゃんに包丁で刺されて殺された児玉大輝君の名札が落ちており、警察は今回の事件との関連性を調べています。では次のニュースです……』

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