第一章 迷える羽

凍りそうなほど冷たい風に当てられ、砂袋に身を寄せる。

手袋も身体も酷く摩耗して、ボロボロになってしまっている。

疲弊のせいで、ここが戦場であることを忘れさせてしまう。

「アフェル・サドネ!休むな!死にたいのか!」

黙れよ…クソ…

上官ゴミの怒号が耳を刺す。

てめえと違って、もうずっと休んでねえんだよ。

いつからか、補給の物資が減ってきている気がする。

人員は既に消耗し、昔ほど攻め気の体制は取れない。

敵側も攻めてくれば良いものを、一向に動く気配がない。

…これだけ要塞化された陣地に飛び込んでくる馬鹿もいないか。

相手からすれば、こっちにどれだけ戦力が残っているのか未知数だしな。

もう数か月、いや恐らく数年はまともに戦ってないんだろうな。

上層部が時間を見ることを禁止しているから、どれだけ時が経ったのかさえ分からない。

さっさと帰してほしい。

「アフェル・サドネ!おまえ何度言ったら…ガウツェ軍としての誇りはないのか!」

「…戦場で騒ぐな、狙われるぞ。」

この能無しはいつになったら黙るんだろうか。

昇進してからロクに戦果も挙げたことないくせに。

喚くことしかできない役立たずが…!

考えてたら腹が立って仕方がない。

やめよう、何の得にもならない。

「お前見張り行ってこい。」

「俺が?今だれかやってるし、俺が行かなくても…」

敵の動きを監視する見張り役。

誰よりも体を晒している時間が長く、被弾率が高い。

死ぬほど、いや死ぬからやりたくないんだが…

こいつの近くに居るよりマシか。

「…分かった。」

仕事してなくてもバレないし。

見張り塔の入り口に着くと、オトアレンズ黒い翼で鍵を作った。

建付けが悪く、ひどく重たい扉の中は、外の空気に当てられて、凍てつくような寒さだった。

足元の悪い急な階段を、一定間隔で散りばめられた、飾り気のない灯りが照らしているだけ。

”ガウツェ教軍”…

小さな灯りが、壁に掘られたその文字を映し出した。

生まれた時から付きまとう、呪いのような言葉。

俺たちは小さい頃から軍事教育を受けてきた。打倒メイス宗軍を掲げて。

俺は育った環境から、軍からの洗脳にはかからなかった。

だがどいつもこいつも、存在していたのかどうかも分からないような、カラスの神を妄信し、軍のために命を捧げている。

歴史ある神話を軍事の洗脳に使うなよ…。

兵士として認められると、このオトアレンズと手袋が配布される。

ここガウツェ教地に住む人間は、金属を自由自在に扱うことができる性質を持つ。

変形させたり、宙に浮かしたり、遠くに飛ばしたり。

一般的にはそれを、流術と呼ぶらしい。

ガウツェの人間が使う流術は、この戦争において、攻防どちらも優秀。

戦争が始まった当初から、人的不利だったガウツェ軍が互角に戦えているのは、そのおかげなのだとか。

能力には個人差があるが、この手袋のおかげで、不器用な奴でも能力を平均まで引き上げることができる。

刃物や弾などの形状を手袋が記憶して、その中であれば、正確に形作れるという、同盟郡からの支援物資らしい。

俺には何が何だかさっぱりだ。

俺はこんなもの無くても能力を生かせるが、変形させる際は、とんでもなく熱くなるため、耐熱性能のあるこの手袋がやはり必須だ。

…こんなものがあったって、誰もが戦うことにしか使わない。

俺たちの世代は、もはやなぜ戦争があるのか詳しく知らない。

ただ、メイスの奴らを敵視するような教育しか受けなかった。

実際、俺たちの居住区は攻撃を受けていてボロボロ、今でもほとんど修復されていない。

何が正しいかは分からないが、少なくとも俺を大切にしないこの軍は嫌いだ。

お、明るくなってきた。長い階段ももう終わりだな。

…勝ちでも負けでもいいから早く終わってくれないかな。

上りきると、律儀に監視していた兵士がこちらに気が付いた。

「交代か?」

「知らね。なんも聞いてねえ。」

「…確認してくるか。」

そう言うと、この長い階段を素早く降りて行った。ご苦労なこった。

しばらく寝てようかな。

いや、もしバレたら後が面倒だ。

…おとなしく適当にやってるか。


しばらく適当にやっていたが、戦場のすぐ隣の森に、人影がみえた。

木々の隙間から覗かせるその姿は、白い服装で、明らかに我々の黒い軍服とは違う。

メイス軍の奇襲か?いや単騎で動いているのはおかしい。

何より、メイスの軍服は地面と同化するような色だ。

敵からの射線を隠しつつ、望遠鏡を拡大して見ると、…女?

ガウツェでは男しか生まれないため、間違いなくメイスの人間だろうが、メイスの奴は戦場に女連れてんのか?

いや待てよ、あいつ…。

見覚えのある顔に、とっさに足が動いた。

ぼやけて見えていたが間違いないだろう。

数か月前、祖父の墓参りとか言って戦場に来た奴がいた。

腕を怪我していたから、軽く治療して適当に返したが…。

また懲りずに来たのかあいつ!

もう来んなつったろ!

固い扉を無理やり押して開き、上官のもとに駆け寄った。

「おい…おまえ見張ってろって言っ…」

「森の中から何かの反応を確認。確認する。」

上官は目を丸くして、言った。

「そうか、分かった。確認させに行く。だから君は…」

「だから俺が行くっつってんだろ!」

話があいつのペースに飲まれる前に走っていった。

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