第16話『守りたくない人』

【奥本】

 休み明けの仕事はちょっと怠い。でも、昨日は紅姫ちゃんに会えた。……宮鬼くんもいたけど。土曜日もまた会える。……また宮鬼くんも一緒だけど。紅姫ちゃんと2人きりで会えないことにモヤモヤするけれど、全然会えなかった時に比べたらマシだ。あんなに好きな人なのに……

『なんで別れたんだろう。しかも僕から別れようって言ったみたいだし』

 いくら思い出そうとしても、別れた時の記憶がない。これも、鬼姫の物語が関係しているのだろうか。

「おはよぉございまぁーす」

「おはよう」

 眠そうな顔で宮鬼くんが席につく。いつもより疲れてるみたい。それに……

「宮鬼くん、その顔どうしたの!?」

 左頬が腫れていた。まるで殴られた後みたいに。

「あぁ、これですか?昨日、家に返ってから夕都兄さんに殴られちゃって。鬼姫のことで、ボクが紅姫さんに話した事が気に食わなかったみたい。人柱だったことを伝えることから逃げたのは、夕都兄さんの方なのにさ。ひどくないですか??」

 ムッとした顔で、宮鬼くんはPCの電源を入れる。そんな宮鬼くんの様子を見ながら僕は不安になる。そんな簡単に手をあげる人と紅姫ちゃんが一緒にいることが心配だった。さすがに女の人に手をあげることはないと思うけれど。

「あ、そうそう。先輩に言わなきゃいけないことがあるんです。悪い話ですけど」

「え?何??怖いんだけど……」

 飲もうとして手に取った水のペットボトルを机に戻す。水を口に含んだ瞬間、とんでもない事を言われてむせる……という事を過去にやっているから、宮鬼くんの話を聞く時は飲食しないことに決めた。特に会社では。

「夕都兄さんが紅姫さんに強引にキスしちゃったんですよ。紅姫さん、泣いてました。彼氏いるんだからとは伝えましたけど。でも紅姫さんが夕都兄さんを引っ叩いてくれて、ボクはちょっとスカッとしましたよ。過去では夕都兄さんは勿論、ボクらにも手をあげなかったんですから。ねぇ、奥本先輩、聞いてます?」

 紅姫ちゃんに強引にキスして泣かせた……?写真で見ただけの宮鬼くんのお兄さんの顔が頭に浮かぶ。前世で紅姫ちゃんの、鬼姫の恋人だった人。やっぱり今でも紅姫ちゃんのことが好きなのかな。好きだからキスしたんだろうな。でも……紅姫ちゃんの彼氏は僕だ。前世で恋人だったからって、そんなこと許せない。っていうか……

「宮鬼くんのお兄さんって仕事なにしてるの?」

「え?夕都兄さんは特に何も。あの人、鬼里神社にいることが仕事みたいなものですから」

「じゃあ、ずっと家にいるってこと?今は紅姫ちゃんと2人っきりってこと?それって危なくないの?大丈夫??」

 紅姫ちゃんも今は無職の身で、ずっと鬼里神社にいる。何だか嫌な予感がする。

「心配しなくても大丈夫ですよ。見張として、青凪を家に残してきましたから。それに、今日は雅都も家にいます。何もできないですよ」

 青凪さんと雅都くんが家に残っていると聞いて、僕は少し安心した。紅姫ちゃんだって、宮鬼くんのお兄さんと2人きりになるような状況は避けるだろう。大丈夫……だよね。

 始業のチャイムが鳴り、僕は仕事へと気持ちを切り替える。怠そうにカフェラテをすする宮鬼くんに、僕は今週中に片付けたい仕事の書類を渡した。


【雅都】

 せっかくの休みなのに、景兄ちゃんから用事を言いつけられてしまった。しかも、夕都兄さんを見張ってろだなんて。

「景兄ちゃん、どうかしてるよ」

 朝の9時半。夕都兄さんはまだ起きてこない。いつものことだけど。僕は居間の窓から境内を眺めた。紅姫さんは境内で黄雷と遊んでくれている。優しい人だと思う。鬼姫様の時もそうだった。兄さん達以外の人と馴染めずに、神殿での仕事もうまくこなせなくて、いつも怒鳴られ邪魔だと叫ばれていた僕。そんな僕にも鬼姫様は優しかった。

“そんな人たちとは一緒にいなくてもいいんですよ。雅都はとても優しくて、繊細な心を持っている人だから。巫女様が雅都にと、書庫の鍵をくれました。たくさんの本を読んで、知識を身につけるといいでしょう。”

“知識なら景兄ちゃんがいるじゃないですか。僕なんかじゃとても景兄ちゃんには追いつけないですよ”

“同じ行き先を目指す必要はないのでは?景都は歴史や文学に詳しいようですが、雅都もそこを目指す必要はないかと。あなたには得意なことがあるでしょう。それを伸ばすために、知識を……”

 過去の会話が蘇る。できないことはしなくてもいい、その代わり、できることをやって伸ばせばいい。それは逃げることではなく、自分を守り高めることだから。あの日、僕は鬼姫様から書庫の鍵を受け取った。景兄ちゃんがいつも使っている書庫とは違う鍵だった。神殿の奥……鬼姫様がいた部屋の近くにあった書庫。あの部屋にあった本って……僕が学んだことって……

「おはよ」

 夕都兄さんの声が割り込んできて、僕は過去から意識を戻した。

「あ、おはよう。やっと起きたね」

 居間の定位置に座り、気怠そうに煙草に火をつけ咥える。それから境内で遊ぶ黄雷と紅姫さんへと視線を向けた。

「ご飯食べれる?それともお茶だけにする?」

「お茶だけ」

 素っ気ない返答。何だか今日は機嫌が悪そう。そんな日に夕都兄さんを見張ってなきゃならないなんて。

「せっかくの休みなのに……」

 ため息をこぼしながら台所へと向かう廊下を歩く。青凪さんに見晴らせた方がいいんじゃないかなぁ。それとも、気配を消してどこかから見てるんだろうか。台所では、黒耀さんがシンクを磨いていた。料理も掃除も、すっかり黒耀さんの当番になっている。一番恐ろしい見た目をしているのに、誰よりも優しいし面倒見が良い鬼。

「雅都、夕都は起きたか?」

 僕に気付いて、黒耀が振り返る。

「さっき起きてきたよ。朝ごはんは要らないって。お茶だけでいいって言ってるから、もらってくね」

 冷蔵庫を開けながら僕は答える。作り置きの麦茶を取り出し、コップに注ぐ。

「お昼ご飯、楽しみにしてるね」

 黒耀にそう声をかけて、僕は台所を後にする。居間に戻ると、夕都兄さんはまだ外を見ていた。

「はい。お茶ここに置くよ」

 夕都兄さんの背中に向かって声をかける。返事の代わりに、夕都兄さんがこちらを向く。

「景都か紅姫から何か聞いてる?」

 寝起きの掠れた声で問われる。僕は首を傾げる。

「何か、って何?景兄ちゃんからは、今日は夕都兄さんを見張ってろって言われてるけど……それじゃないんでしょ?」

 僕が夕都兄さんの見張りだと知ると、思いっきり顔を顰めたけれど、特に何も言ってこなかった。

「違う。土曜日の話し」

「土曜日?」

 何だろう。特に何も聞いていないので、僕は首を横に振った。

「水華が来るってよ。勝手に連絡しやがって。会いたくねぇんだよなぁ」

 そう言って夕都兄さんは髪を掻き乱す。水華……その名前に僕の身体が冷たくなる。嫌だ

会いたくない。水華さんに会ったら、僕が何をしようとしてるのか皆にバレるかもしれない。怖い。

“あなたには得意なことがあるでしょう。それを伸ばすために、知識を身に付けると良い。誰かを護れる知識を。そうすれば、あなたの鬼火は、結界になる。”

 また過去に意識が戻る。僕が得た知識は誰かを……大切な人を守ための知識。黄雷から分けてもらった鬼火を、結界に変える術。もし、またここが火事になった時は僕の鬼火で皆を守れる。守りたくない人は、鬼火の外に出せばいい。そう、奥本司を鬼火の外に出せばいい。そうすれば……この連鎖は終わる。僕たちはもう苦しまなくてもいい。昔みたいに、また鬼姫様と暮らせる。そうだ、紅姫さんも鬼火の外に出せばいい。そうすれば、紅姫さんも殺せる。鬼姫を殺せばいい。僕たちは……僕は、もう苦しみたくない。

「雅都?何だよ、体調悪いのか?」

 夕都兄さんが心配そうに僕の顔を覗き込む。僕はただ冷や汗を拭うことしかできなかった。

  

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