第13話『告白』
【夕都】
「ここに、鬼姫や鬼に関連した書物が納められてる。好きに入っていいからな」
境内の隅に立つ小屋の戸を開けながら、俺は言う。
できれば見せたくなかった。紅姫……鬼姫には何も思い出さないでほしかった。でも、そう言うわけにはいかない。
鬼姫が戻ってきた。あの日を再び迎えるために。全てを、鬼姫の物語を終わらせるために。
「夕都さん、私に謝らなきゃいけないことって?」
まだ思い出していない様子に安堵と苛立ちが込み上げる。
思い出してほしくないと思っているくせに、何で俺だけがこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだ!とも思う。
クソみたいな男だと思う。こんな男がよく鬼姫の護衛をしていたもんだ。それとも、前世ではもう少しマシな性格をしていたんだろうか。
「神殿に火が放たれたあの日の事、どれだけ思い出せる?」
俺のその言葉に紅姫が驚いたような顔をする。
「夕都さん、私もその日のことを聞きたいんです。あの日、神殿に閉じ込められていたのは私……鬼姫と夕都さん、景都さんだけだったと記憶しています。でも……」
「違う……!!」
紅姫の言葉を遮る。神殿にいたのは鬼姫と俺と景都の三人だけだと?そんな訳はない。雅都もいた。それにもう一人……
「最後まで聞いてください。私たちの他にもう一人いませんでしたか?髪の長い女の人が。あの人は誰なんですか?私は、ずっとあの人が鬼姫だと思っていました。でも違うんですよね?あの人は一体……」
「あいつが全ての始まりだ。その女が神殿に火を放った。鬼姫を殺すため……鬼姫だけを殺すために」
紅姫がどんな表情をするのか怖かった。けれど、紅姫の顔から目が離せなかった。紅姫も目を逸らさない。
「でも……鬼姫を殺したのは…………俺なんだ」
紅姫の目が大きく見開かれる。それでも俺はその顔から目を逸らせない。紅姫の方が先に目を逸らす。そのまま俯き、傘で顔を隠した。
「……嘘ですよね?そんなこと物語の中には記されていなかったですし」
「嘘じゃねぇよ。俺が鬼姫を殺したんだ」
小屋の中へ入り、一冊の本を手に取る。鬼里のことを綴った本。記したのは、一人の巫女様だった。
「これ、読めば思い出すかもな。あの日のことを」
まだ何か言いたそうな紅姫に無理やり本を押し付けて、俺はその場を後にした。雨の境内に紅姫だけを残して母屋へ帰る。本当にクソみたいな男だ。自分のことだけ話して、紅姫の話も何も聞かず、自分で思い出せと言わんばかりに本だけを押し付けて逃げてきた。
「あ、夕都兄さん。紅姫さん帰ってきた?奥本先輩から連絡があって、さっき坂の下まで送って行ったよ、って言ってるんだけど……え、ちょっと!無視しないでよぉ〜!!」
玄関で景都と鉢合わせてしまい、何も答えず自分の部屋へと逃げる。きっと景都が外へ紅姫を探しに行く。そこで小屋の前に居る紅姫を見つけて、事情を察するはずだ。あとは景都に任せればいい。あいつは頭がいいから、きちんと真実を伝えてくれる。
「なんで鬼姫様は俺みたいな男を好きになったんだよ……」
前世の俺はどれだけいい男だったんだろう。それとも、今と変わらないクソみたいな性格の男でも、鬼姫様は好きでいてくれたんだろうか。
【景都】
夕飯の時間になっても、夕都兄さんは部屋から出てこなかった。
「ごめんね紅姫さん。夕都兄さん、あんな風だけど意外と繊細なんだよね〜」
この日の食卓はボクと紅姫さんの二人だけだった。雅都は友人と外で食べてくるらしい。
「いいの。それより……夕都さんが話してくれたことって本当なのかな?」
「夕都兄さんが鬼姫様を殺した、って話し?」
玄関で夕都兄さんに会った後すぐにボクは外に出た。紅姫さんを探しに行こうと思ったけれど、探す間もなく境内奥の小屋の前にいる紅姫さんを見つけた。呆然としている様子を見て察した。夕都兄さんが何か言ったかしたんだろうなって。
居間に紅姫さんを連れてきて、夕都兄さんと何かあったんでしょ?と聞くと、案の定そうだった。
「多分だけど、本当だと思うよ?あの日、ボクは夕都兄さんより先に死んじゃったからその場面を見たわじゃないんだけど。そもそも嘘だったとして、そんな嘘つく理由は?夕都兄さんにとって何もいい事ないよね?例えばだけど、紅姫さんに嫌われたいんだとする。でもさぁ、紅姫さんは夕都兄さんと奥本先輩とだったらどっちが好き?」
「奥ちゃん」
即答に驚いたのは、ボクもだけれど、紅姫さんもそうみたいだった。きっと、心の奥には鬼姫の記憶が残っているんだろう。鬼姫は、心から夕都兄さんのことを愛していた。それははっきりと覚えている。
「でしょ?今の夕都兄さんは、はなっから紅姫さんには相手にされてなかったって訳で」
「それは……まぁ、そうなんだけど。でも、本当ならどうしてそんな事をしたんだろう。鬼姫の物語には書いてなかったし。あの日、最後の日は三人一緒に焼け落ちた天井に押し潰されて亡くなったって」
「そっちの方が嘘、って言ったらどうします?」
「え?」
紅姫さんの箸が止まる。掴んだ白米がポトリと茶碗へ落ちる。
「あの日、神殿にいたのは四人……いや、正確に言うと七人……あの女も入れたら八人なんだよね」
「八人?そんなに?」
「鬼姫様、夕都兄さん、ボク、ここまでは物語にも書かれてるよね。それから、雅都、黒耀、青凪、黄雷、そして……白巫女。この八人」
ゆっくり、指を折って数えながら話す。そう、あの日神殿の最奥の部屋にいたのは鬼姫様とボクたち三兄弟とその鬼たち。そして……全ての発端である白巫女。
「じゃあ、私が夢で見てきた光景はあの日、鬼姫が見ていたものそのままだったんだ。私がずっと鬼姫だと思っていたのは実は白巫女で……聞こえてくる呪詛みたいな言葉はその人が私を……鬼姫を殺すために呟いてたってこと?」
「夢で見るのはいつもその場面だけ?」
紅姫さんは黙って頷く。
「夢の中で紅姫さんは鬼姫に戻っている。目の前にいたのは白巫女だけですか?僕の最期の記憶が正しければ、すぐ近くに夕都兄さんもいるはずです。次にその夢を見たら、視線を変えてみてください。きっと……思い出せるはずですよ」
それ以上のことをボクは話さなかった……いや、話せなかった。夕都兄さんよりも先にボクは死んだ。でも、夕都兄さんには鬼姫を殺さなければならない理由がある。鬼姫にも、殺されなければならない理由がある。だから鬼と人の子であっても生かされ、大切にされてきた。全ては、あの日のために。
【紅姫】
夕飯とお風呂を終えて、二階に用意してもらった自室へ向かう。東側と南側に窓がある八畳の和室。そこが私に与えられた部屋だった。押し入れから布団を出して寝床を整える。電気スタンドを枕元に置き、夕都さんから渡された本を開く。
鬼里の歴史を綴ったそれは、私の奥深くにあった記憶を呼び起こした
鬼里ができるまで、その地でも鬼は悪として捉えられていた。今の時代でも鬼は悪として描かれる。節分には家を追われ、悪い事をすれば“鬼に喰われる”やら“鬼に攫われる”と言われ、家を建てる際も鬼門を避けるように考えられる。
そういえば……神社の鳥居や柵も、神聖な神域に鬼が入って来られないようにするためだった気がする。それならばこの神社は?よくよく考えると正門は鬼門を向き、もう一つは裏鬼門を向いている。社殿は東を背に建てられ、拝殿の脇に建てられた石灯籠には蛇が巻き付いていた。社務所に並ぶ御守りや護符にも鬼や蛇が描かれているし、そもそも参拝者の姿を見たことがない。
一体なんのための……いや、ここは鬼のための神社なんだ。人のためではない。鬼が、鬼の血を引く者たちが、鬼と契りを交わした者たちが集い住うための神域。
そんなことを考えながら寝落ちたその日、私はいつもの夢をみた。
夢の中で、私はいつもと同じように炎の中に立っていた。目の前には和服姿の長い黒髪の女性。ずっとあれが鬼姫だと思っていた。でも違う。あれは白巫女。それを見ている私が鬼姫。景都くんは視線を変えてみるよう言っていた。果たして夢の中でも自由に自分の体を動かせるのかと疑問だったけれど、私の視線は白巫女から外れた。
「やめて……」
声を発したはずだが、鬼姫は口を閉ざしたまま。鬼姫の中にいる私の声は外には届かない。
鬼姫の視線の先には夕都さんがいた。手に持っているのは太い縄。何も言わない鬼姫を柱に括り付けていく。
「申し訳ございません……俺はこんなことを望んではいない。だから、俺もここで一緒に……」
夕都さんの声が遠くなるのと同時に、燃え盛る炎の熱を感じた。何かが焼け焦げる嫌な臭い。人々の叫び声や雄叫び。そして、白巫女がゆっくりとこちらへ顔を向けようと動く。途端に全身に悪寒が走り震えが起こった。それが恐怖だと気づくのは一瞬だった。振り返った女性は扇で顔を隠していた。それでも震えは止まず、呼吸が浅くなる。
扇に隠された向こう側から、言葉が漏れ聞こえる。低く地を這うような声。吐き気が込み上げてくる。呪詛だ。聞いたことがないはずなのに、この言葉の連なりは呪詛だと直感が告げる。
助けて……誰か……恐怖で声が出ないまま同じ言葉を繰り返す。
助けて……助けて……助けて……
「奥ちゃん……」
やっと言葉になったところで体を揺すられる。同時に炎の熱さと不快感、そして呪詛の言葉が遠くなる。女性の姿も炎に溶けるようにして消えていった。
恐る恐る目を開けると、景都くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。部屋の中は陽の光で明るく、外からは鳥の鳴き声が聞こえる。朝だった。
「紅姫さん、大丈夫?奥本先輩から電話があってね、紅姫ちゃんに連絡しても電話に出てくれないから様子を見てきてくれない?って頼まれてさ。寝てるだけでしょ〜、って思って見にきたら……すごい魘されてたから。夕都兄さんに襲われる夢でも見た?」
枕元に放っておかれた私のスマートフォンを手に取りながら、景都くんが言う。まだ浅い呼吸を整えながらスマートフォンを受け取り通知を確認すると、見事に奥ちゃんからの着信ばかりだった。
「ほんっと、奥本先輩って紅姫さんのこと大好きなんだね。意外と肉食系みたいだし……明日会ったらちょっとイジってもいいよね」
そう言って楽しそうに笑う景都くんの声と奥ちゃんの名前で、悪夢の恐怖も薄らいできた。夢の内容はまだ黙っておくことにした。
「紅姫さんが電話に出てくれるまでしつこく連絡くると思うから、紅姫さんの方から電話してあげてね」
そう言って景都くんは部屋から出て行った。布団に横になったままで、奥ちゃんへと電話をかける。数コールで
『もしもし奥本です』
と奥ちゃんの声が聞こえた。
「おはよう。ごめんね電話気づかなくて」
『もぉー!何回も電話したんだよ!!嫌われたのかと思ったじゃん』
電話の内容は他愛のないことで、声が聞きたかったのが理由だったようだ。
数分の通話を終えて、やっと私は起き上がった。南に面した窓のカーテンを開けて、眼前に広がる境内を眺めてみる。太陽を背に受け、社殿の影が境内に落ちていた。
「鬼のための神社……神域、か。そりゃそうだよね」
鬼姫の昔話でもそう書かれている。
【人々は喜び、鬼たちに感謝をし、鬼たちのために神殿を建てた。】
それならば、本殿に祀られている御神体は一体何なのだろう。河童のミイラや生殖器を御神体とする神社もあるという。まさか、鬼の首が御神体として祀られているのではないだろうか。気にはなったが、そう簡単に本殿には入れないだろう。
夕都さんに聞いてみようかとも思ったけれど、昨日のあの態度を思い出す。きっと声をかけても避けられてしまう。それならば……
「景都くんなら教えてくれるかな」
できれば奥ちゃんも一緒の時がいい。そもそも、奥ちゃんは景都くんからどこまで聞いているんだろう。
置いたばかりのスマートフォンを手に取り、奥ちゃんへと電話をかけた。
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